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この「面白い恋人」はタイトルが北海道の「白い恋人」をパロッタ、いやぁパクッた物のようですが流石大阪、やることがそれこそ面白い。ただ、製造所は印刷がなく販売者としてサンタプラネットと書いてあります。
中身はゴーフルタイプで流石に「白い恋人」みたいなチョコレートではありません。実はこの東京交通会館は多くの各県のアンテナショップが入っていてちょくちょく行くのですが大阪が入っていたのは気が付きませんでした。同じ一階に神戸のアンテナショップは知っていたのですが。
⑤東陽院 仲六郷4-6-2
文化年間焼失し中々復興が出来ずその跡地に大きな宝筺印塔を建てた。江戸末期になって伽藍が再建される。
弘法大師坐像と厨子(非公開)は寄木造り44㎝、玉眼、釈迦如来立像(非公開)寄木造り43㎝、共に妙連尼の寄贈、正保3年竹之内長右衛門寄贈の観世音菩薩立像がある。
⑥宝珠院 仲六郷4-34-8
六郷神社の旧別当寺で江戸期には葵定紋使用と長柄神輿が許されている。境内には延宝8年の庚申塔がある。弁栄を開山としている古いお寺。
⑦六郷神社 東六郷3-10-18
社伝では天喜5年(1057)源頼義、義家の奥州征伐の際、老杉に白旗を掲げ勝利を祈願、凱旋後その奉賛に当社を建立、頼朝伝説では石橋山の戦いで敗れ房総に落ちのび再び大軍を率いて鎌倉への途中この地を根城として向かった。梶原景時の普請奉行により八幡宮創建。境内には区内最古の狛犬、頼朝寄進の手水石、正面には景時寄進の太鼓橋などがある。
江戸期は葵の御紋が許され宮司先導による六郷橋のお見渡り神輿など徳川家からも庇護を受けていた。この神社風景は江戸名所絵図にも書かれています。
(写真はたまたまロケ撮影中でした。)
⑧六郷の渡し(北野神社)
旧東海道における八幡塚村と川崎宿の間を結ぶ重要な渡船場であった。永禄12年(1569)に武田信玄の軍勢が乱入した時は行方弾正が六郷橋を焼き落とし防戦したある。慶長5年(1600)家康が再び橋を架ける。その後何度も架けるが流され貞亨5年(1688)以後渡船、明治7年に鈴木佐内が有料の橋を架けるが何度も流され明治33年京浜電車が権利を買い取り無料で公開、大正14年コンクリートの橋になり渡船が消滅。
この神社は、周りから全く見えず荒れ果ててちょっと寂しい感じです。境内には止め塚、平癒塚、日本橋へ4里の碑、力石などがあります。
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パソコンはやっぱり暖かいのか。毛皮を着ていますが温度管理はしっかりしています。私の隠れ家は夏は涼しいですが冬は冷蔵庫になります。ですから最近は朝夕は寄り付きません。このパソコンはママリンのもの。
この顔と足を揃えて待っていると何となく愛しく顔も洗わずまず朝食をちょっと多めにあげたくなりますが、太ると私の性に成りますから心を鬼にして作ります。
昼間私だけで誰もいなくなると下に降りてきて遊べと「ニャー」とゴロゴロ咽喉を鳴らして寄って来ます。1歳過ぎて体重も大分重くなりました。まだ毛が抜けきれていないようでセーターにいっぱい付いて往生します。
この小屋は余り好んでないようです。やはりダンボール箱が一番良いようです。我が家のホームレス「バロン」になっています。
ただ装飾だけで基本は秋冬バーゲンだったりします。私がハロウインという言葉を聞いたのは子供が小さかった頃のサイパンだかグァムだったかのPICというリゾートでした。毎年10月下旬に行っていました。
どんなパーティが、仮想?っていう感じでした。日本の昔のお月見に子供達が近隣を廻りお菓子を戴くアメリカ版程度の理解でした。何年か前はアメリカで仮想して家に行ったら間違えでピストルで撃たれたと言う事故が報道されていました。ハロイウンよりアメリカの銃社会の方に目が行ってしまいました。
川崎市では今週末毎年行なわれている日本最大のハロウイン仮装行列が数千人で行なわれます。私が知っているハロウインは此れだけですね。まだまだ日本では広まっていない。秋の最後の催しです。
大森では御酉様の告示の立看板が目に付きます。今年は11月2日、14日、26日です。今年は3の酉まであります。3の酉の時は火事が多いといわれますが二年に一度訪れますからそんなに珍しい事ではないようです。
今年は大震災、ドル安円高、ユーロ不安、タイの大洪水など景気も良くなく多くの人がかっこめかっこめと熊手を求めるのでしょうか。我が家も毎年散歩がてら大森鷲神社へ行きます。昨年は初めて浅草にも行きました。
町会では夕べに拍子木で火の用心として廻り始めました。日本橋のべったら市も終わりました。富士山も冠雪しています。テレビでは正月の忠臣蔵の告知が始まっています。紅白の司会者も決まったようです。
朝夕の気温も下がり、陽が沈む時間も早くなりました。そろそろ冬支度に変えなくてはならない時期になりました。扇風機も仕舞いヒーターを出さなくては。そして鍋の時期です。今年は4日に鰯のつみれを大森西鶴で戴きました。そうだフグを食べに行こう。冬の足音,私の鼓動が大きくなりました。
JR蒲田駅東口下車ー①アロマスクエアーー②蒲田切子ー③安養寺ー④宝幡院ー⑤東陽院ー⑥宝珠院ー⑦六郷神社ー⑧六郷の渡し(北野神社)-京急六郷土手
①アロマスクエアー(蒲田5-37-3)
1998年に高砂香料の工場跡地に大田区と日本生命で共同開発したもので日本生命側がアロマスクエアー、大田区側が大田区民ホールアプリコとして竣工。
大田区民ホールは「アプリコ」という5階建て地下1階で演劇、コンサート、講演などに利用されています。地下は小ホールで同好会の発表の場にも最適な幾つかのホールになっています。
入り口には蒲田松竹撮影所にあった松竹橋の親柱、地下には松竹撮影所のジオラマが展示されています。地下のホールにはアートギャラリーにもなっています。
②蒲田切子展示(仲六郷1-9-15)
一階は江戸切子を製作している東亜硝子工芸㈱でその二階で蒲田切子として商品を展示販売している(有)フォレストがあります。この蒲田は明治時代に日本発の黒澤貞次郎のタイプライター工場(吾等が村)、大倉陶園(現TOTO、ノリタケ、日本碍子、旧森村財閥など)松竹キネマ撮影所、各務クリスタル、高砂香料、新潟鉄工、三省堂印刷、東洋オーチスエレベーターなど明治、大正、昭和初期まで蒲田で活動した「蒲田モダン」と言われるものです。現在もモノづくり大田として切子工場があります。
江戸切子が基本ですがそのデザインを活かしながら新しいモダンなデザインの切子作品(蒲田切子)も展示しています。
1階工場では日本の国認定の伝統工芸士鍋谷聡氏が江戸切子を日夜切磋琢磨した作品を制作しています。
但しこの展示は工場オープンディに限ります。
http://www.glassforest.co.jp/
③安養寺 (西六郷2-33-10)
真言宗智山派 山号 医王山 院号 世尊院 通称古川薬師
和銅2年(709)行基によりイチョウの木により薬師、阿弥陀、釈迦の三尊を一刀3札に彫刻、和銅3年(710)精舎を建て東光坊とした。光明皇后により七堂伽藍が寄進された。
銀杏折取禁制碑は光明皇后が銀杏をを奉納して祈願したところ乳の出が良くなったとの伝えから木、枝を折る人が絶えなかったので元禄三年に立てられたもの。
本堂と薬師堂には弘法大師坐像、本尊の大日如来坐像、十王像など多くの仏像群があります。薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来三坐像(非公開)などが。
入り口には古川薬師道道標、境内には富士講碑、また永代百味供物講社を兼ねて4月8日に百味供養が行なわれる。(写真イチョウの木)
④宝幡院 (西六郷2-52-1)
真言宗智山派 山号 大綱山 院号 光明寺
かっては境内1万5千坪、末寺23を持ち別称六郷本寺
鵜の木の光明寺3世行観が開創、北条氏康、徳川家康の庇護を受けていた。(後北条氏文書4通、徳川家康始め歴代将軍の寺領寄進朱印状12通)
阿弥陀如来立像(非公開)境内には江戸初期の大田区内最古の梵鐘、手水石などがある。
本堂入り口には7体の地蔵様、境内には四国88ヶ所のお砂踏みもある。
携帯電話が普及してそれを利用したスタンプを集めると言うスタンプラリーがあるようです。また、ゲーム性を強めたスタンプを集めるものもモバゲイなどから出て若い人を中心に楽しんでいるようです。ただ、無料参加ですがツールを買わないと良いものが揃わなかったり、私みたいに携帯は電話とメールだけと言う人間には無理と諦めています。
今月20日から関東民鉄39社がモバイルスタンプラリーを来年1月19日まで開催しています。これはチラシのQコードを取り込み参加登録して各駅のQコードを読み取っていくと駅のスタンプが揃っていくと言うものだそうです。
ご褒美は3個以上でレジャーグッズ、5個以上でオリジナルグッズが当たるそうです。参加費無料。全路線39個制覇すると「関東民鉄応援団認定書」をもらえるようです。
どうもデジタル派にはなれず未だアナログ派です。ですから予定も手帳に記入します。若い人は携帯に予定を入れて確認をしているようです。手帳に記入してあれば昨年はこの時期何が有ったとか確認が出来ます。携帯やパソコンでは消えてしまいます。
特にこの歳になると毎年同じ行動をとるようで忘れていた事も文字ですと直ぐ思い出し、事前に用意などもできます。また友人の一周忌など忘れている事も思い出せます。と言いながら時代に迎合したいのにデジタル人間になれないアナログ人間のいい訳ですが。
今日、明日は「東京貨幣フェア2011」でその記念のミントセットやプルーフセットの販売がありますが雨がひどかったので行くのを諦める軟弱人間でもあります。

写真はウィキペディアより
東海道新幹線300系が来春引退するようで昨日から報道されています。300系は1992年3月に初代「のぞみ」として活躍していた車両で車体をアルミ素材を使い軽量化を図り、当時としては新技術を導入して東京大阪間を2時間30分で走行、最高時速270K。
新幹線はオリンピック時の1964年10月0系が最高時速220Kで走りあの鼻の丸い形が何とも当時はカッコ良かった。1999年9月に引退。
1985年に0系をフルモデルチェンジした100系が登場。鼻が少し尖って何となくスピード感がある車体でした。しかし、2003年に引退。
500系はJR西日本が開発した車両でデビュー時には300K運転を実現、東海道には1997年11月から。目がちょっとつり上がり鉄火面みたいな壮観な車両でしたが東海道では2010年2月に引退。この車両に乗るのが一大ブームでした。
そして今回の300系が来春引退。電動ノコを持つジェイソン顔で風の抵抗を和らげているんでしょうがちょっと最初はそんな印象でした。
残りは700系とN700系が東海道線に走っています。700系は1999年3月、省エネ、タイプとして登場。N700系は2007年7月デビューしています。最も早い場合東京大阪2時間25分。700系は丸い流線型で何ともユーモラスな顔です。
安全性を優先しながらスピードも要求されるので他の電車、列車に比べ金属疲労などどうしても耐久性が弱くなり早い引退になのるようです。今の私には何でそんなに急ぐのと言いたいですがこれも飛行機との競争だけでなく車両、技術輸出で国際的な競争があるようです。
今日は朝早くから京急の駅で寒い中並び羽田国際線ターミナルビル開業1周年のお目出度い切符を購入しましたが新幹線に限らず形あるものは時間で引退があるんですが蒸気機関車みたいにずっと長く走っているものもあります。
とことこ走るかビューっと走るか、自分に置き換えて考えさせられます。
羽田空港、東京国際空港とも呼ばれていますこの飛行場の前身は大正5年この地で日本初の民間飛行機学校が開校。穴守稲荷の離れを教場にし六郷川の中州に格納庫、滑走路はその干潟を利用しキャメロン25馬力1機で始まったようです。
昭和4年日本航空輸送㈱が立川の陸軍飛行場を共用して1日1便東京~大阪~福岡の往復飛行を開始。昭和5年羽田を国営の民間飛行場として近隣の買収が始まる。
昭和13年日本航空輸送のフォッカー機と日本飛行機学校のアンリオ機が空中衝突、死者85名負傷者76名を出す。森が崎法浄院に事故慰霊地蔵尊が祀られています。
終戦により米軍の駐留、接収される。近隣住民48時間以内の強制立ち退き。昭和27年講和条約により返還、運輸省の管轄下で名称も東京国際空港に。
昭和39年オリンピックに対応、ジェット機時代に、敷地も戦前の8倍になる。
昭和53年成田空港開港に伴い国際線は成田へ。(中華航空残る)
平成5年9月新国内線ターミナル完成、平成16年第二ターミナル完成、
平成22年10月国際線ターミナル完成
簡単な時系列です。海外に行く場合、成田は遠く、国内線からの乗り継ぎに不便で未だに接収の問題もあり滑走路も2本で多くを飛ばせない等問題が多々あり羽田の埋め立てによるD滑走路完成に伴い国際線の一部を復活出来ました。
今やこの国際線ターミナルは一大観光地となって乗客以外に1日1万5千人もの人が訪れているようです。今日はその開業1周年の記念切符が京急より発売されました。
羽田空港では京急、東京モノレール各社がイベントを開催しています。
上段が京急羽田駅開業記念アルミきっぷ 1993年4月1日
中段が国際線ターミナル開業記念きっぷ パスポート型 2010年10月21日
下段が1周年記念エアーメール型きっぷ 2011年10月21日
和歌山路面電車 天王寺 京橋行き 車内 キハ11
キハ11 指導員座って 上司が来る 伊賀鉄道 伊賀鉄道
変んなサイダー 伊賀鉄道 伊賀鉄道 近鉄 非常食
今回は趣味の一つ電車、列車に乗ることですが色々乗ることが出来ました。この他に東海道線、新幹線、近鉄特急など。
いつも思うのですが関西方面はJRと私鉄が競合しているので列車、快速などのスピードなどサービスが関東に比べ良いです。競争が無いところはやはりサービスは落ちます。
今回みたいなずっと乗り継ぎ乗り継ぎで行く場合、私は非常食としておにぎりやパンを買っています。時間があれば駅弁を購入できますが新幹線でも売り切れが出たりしますので必ず朝、乗る前に購入しています。かみさんからは何処でもあると言われますがオムライスのおにぎりなど今まで見たことも食べた事もない物にぶつかることもあります。ちょっと嬉しくなります。
また、郵便局スタンプも10日祭日にもかかわらず5局でした。郡山、亀山はちょっと残念で4時ちょっと過ぎだったり帰りに場所が分かったりと。きっぷは伊賀鉄道開業95周年きっぷ、近鉄では幾つかの駅入場券だけでした。やはり大手は売れ残りきっぷはないようです。
通称 安濃津城
構造 平城
天守 なし
築城 細野藤敦
改修 織田信包、藤堂高虎
城主 細野、織田、富田、藤堂氏
遺構 石垣、堀
開門 公園になっている
交通 近鉄津新町駅徒歩10分
平安時代より伊勢の国の中心地で北は安濃川、南は岩田川に囲まれた外堀になっていた。現在は内堀自体も狭くなって石垣も多くは残っていない。高虎らしさの高石垣はなく直線状の石垣がそうかなぁと思う程度です。今治城と同じ石垣の下には犬走りが少し見えます。
伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つという伊勢音頭のように城下町として栄えたようです。現在、築城400年祭りが此処でも行われています。やはり銅像があるように藤堂高虎が中心になっています。
この模擬三層櫓は元々なかった破風が付けられています。コンパクトな櫓です。天守台や残った石垣も整備がこれからなのでしょうか。お城公園として庭園だけで市民の憩いの場として終わってしまうのでしょうか。
帰りの電車の予定時間がまだあったので津では専修寺に寄るか帰りが遅くなるが桑名城も攻めようか考えましたが早く帰って風呂でも入ろうと予定より2時間早く帰宅になりました。
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