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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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昭和12年は段々戦時色が強くなり年末には日中戦争(シナ事変)が勃発していきます。国民総動員法、10月には国民唱歌第一回が海ゆかばが放送されていきます。

当時の流行歌は別れのブルース、人生の並木道、流行語は銃後、馬鹿は死ななきゃ直らない、トーチカなどだそうです。千人針、李香蘭が人気になっています。また前年は2・26事件もあります。

[議会攻防心得帳](匿名政界夜話)では戦争が始まりそうだ、日本は日英親善病、日独防共協定、ロシア関係の大失態、対支那外交の失敗などが踊る。[七十議会に於ける軍部と政党]は多くのページをさいて匿名座談会を開催しています。

余り難しい事はさておき当時の広告ですが今では全く見ないものが多く、時代でしょうか自動車、自転車などは無く、ラジオもなく電気器具は電蓄でコロンビア、ビクトロラ(ビクター)、三菱電気ストーブ、医療品も今で言う風邪薬などでなく淋病、生殖器短小・機能障害、サックなど。花王がシェービングクリーム、資生堂は歯磨き、丹頂チック、井筒ポマードなど。今でもある頭痛にノーシン、仁丹、日本酒(宝酒造・菊華など)

今でも残っている会社、初めて聞いた会社、もうなくなった会社など懐かしい広告も有ります。変わったものでは日本犬、なぜか鉛筆などが広告されています。
37433741.jpeg58ac2d35.jpeg283b28de.jpeg47796cff.jpeg14485802.jpege148c7cd.jpeg9b02b7e0.jpeg3d737fd1.jpeg1ed0cb4c.jpeg983c549b.jpeg8b77579a.jpeg52872461.jpegd8ded0fe.jpegf6b616a7.jpeg2958fda3.jpeg7541d21e.jpeg98aa58f8.jpegfa393201.jpeg十年後の昭和22年は64ページと非常に薄いですが広告は塩野義製薬、三共製薬、山之内製薬、仁丹、東京田辺、武田薬品、ウテナ製薬、小林製薬など圧倒的に製薬関係が多く、富国生命、三和銀行、鉛筆からキング万年筆?が出てきます。

戦後はやはり薬の需要が多かったんでしょう。その十五年後、戦後7年経った27年6月号は三和銀行、第一生命、第一銀行、東京銀行、日本海上火災、東京海上火災、日興證券、東海銀行などの金融関係、武田、三共、藤沢、中外、ノーシン、救心などの製薬関係。

柳屋ポマード、丹頂チック、資生堂石鹸、三菱鉛筆、とんぼ鉛筆、ライトインキ、ヒゲタしょうゆそしてトヨタトラック、富士電機・東芝などの扇風機、森永ビスケットなど。懐かしいのはヘンミ計算尺、宝酒造、アイデアルウイスキー(ジョニ黒似ラベル)、ニッポンビール(現サッポロ)、東洋レーヨンならぬ東洋ナイロンなどです。何となく時代を感じます。
(小さい写真はクリックすると大きくなります。)

ちょっと尻切れトンボの話になりました。本当は学生時代みたいに広告からの時代背景などを書きたかったんですが。
 
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b35e9b07.jpeg東京駅八重洲口から北へ5分位に逓信総合博物館「ていぱーく」があります。郵便やNTTの歴史資料が展示されている博物館です。現在「東海道~知られざる郵便創業の道~」という企画展が開催されています。
 
内容は初代歌川広重の東海道五十三次と三代歌川広重の東海名所改正五十三驔の60枚、江戸中期の東海道絵図の3本立という見応えがある展示です。

 
c32e906e.jpeg917d345a.jpeg東海道絵図が江戸中期、広重東海道五十三次が江戸後期、三代広重の東海名所改正五十三驔は明治初期と年代が違う物を同じ宿場で並べて展示されています。
 
東海道絵図、東海名所改正五十三驔は初めてみるものです。そして東海道五十三次は今まで見たものは初版でしたが今回のは後刷りです。そこへ明治から郵便事業が東海道を利用して始まりますその資料も沢山展示されています。此処もフラッシュを焚かなければ写真はオッケーです。
 
東海道五十三次は日本橋から今日の三条大橋までですが改正五十三驔では明るい色で日本橋風景が魚河岸もありますが人力車が出て来て日本橋電信局も描かれています。
 
9b4d1f0f.jpeg6a1e6a4c.jpegf89e68cd.jpeg新橋(五十三次にはない)、品川、川崎、神奈川には明治5年に開通した鉄道が描かれています。東海道五十三次は徒歩、籠、馬での道行きですが改正には電信柱が出て来て人力車が煩著に描かれています。また渡しは無くなり橋が出来ています。
 
a5cf0c01.jpeg26712022.jpeg残念なのは五十三次ではお城が良く出てきますが改正では明治5年のお城の廃城令により桑名しかお城は描かれていません。

84ca1b4a.jpeg9283c1cf.jpegまた、東海道絵図には細かく各地域ごとに描かれ江戸城、二条城の天守閣も描かれています。浮世絵では江戸城は将軍様のお住まいですからぼかし、お城は描かれる事は無かったのです。
 
bd04ead3.jpeg744f1988.jpegd290b3a3.jpegd5a30902.jpeg江戸時代は通信は飛脚でしたが明治になり郵便制度がとってかわります。その過渡期には小田原から東京までは切手がその先は飛脚が扱っていたりしています。また飛脚問屋印が押されているのはお金が入っていたものだそうです。
 
兎に角、見るものが盛り沢山で結局2日間通って見せて戴きました。会期終了間際でこの他にも行こうと思った展示会はいつものパターンで会期末になってばたばたして行けなかったものも出て来ています。結局2回では良く見られず図録も購入してしまいました。
 
この話を友人にしたら行きたいと言う事で今日また行く事になりましたが良く見たら昨日で終了でした。
798d6874.jpeg東海道中膝栗毛の1場面。この他に大井の潮干狩り、東都名所の高輪などの浮世絵が展示されています。また東海道絵図には江戸城、最後の京都には二条城の各天守閣が描かれています。

この展示会は東海道五十三次、改正60枚、東海道絵巻とその他に東海道の飛脚、郵便まで取り上げていて内容が盛りだくさんでした。

正直2回では良く解らず今日も行けると思ったのですが残念。
 
ea5ead5f.jpeg久留里線の時間待ちがあり木更津で時間つぶしをしました。木更津は昔、関連会社として富津にホテルがあり会社の先輩が社長で出向していて暇な私に木更津へ来い一杯飲もうとお誘いがあり、木更津、君津で良くお酒を飲みました。
 
最終電車で帰ったり、ホテルの宴会場の酒とタバコの匂いが凄い中で寝て翌早朝会社に向かったり木更津は何度も行っても夜の酒場しか知りませんが懐かしい街です。
 
74bf71d3.jpeg久留里線の時間つぶしで郵便局を探していたら駅近くに大きな浮世絵がタイルに印刷されています。見ると切られ与三郎とお富です。そのすぐ目の前の光明寺という立派なお寺にお墓があるそうです。
 
でも確か切られ与三郎の墓は旧東海道の品川宿の天妙国寺にあるんですが。とりあえず本堂に参拝して墓地に入りますと確かにありました。何となく春日八郎のお富さんを思い出しました。ちょっと古いかなぁ。
 
18a2543c.jpeg36d281d7.jpegf6eeba30.jpeg7df74a31.jpeg7ab7ffac.jpeg8888e2ba.jpeg郵便局でスタンプをして此処で何か見るものがありますかと尋ねると「証誠寺」を推薦されました。狸ばやしで有名だそうです。狸ばやしは館林の茂林寺だろうと思いながら行くと野口雨情、中山晋平のたぬきばやしの碑があり、狸塚もありました。そうか茂林寺はぶんぶく茶釜だと思いだしました。
 
c545e8f8.jpegcdb88afb.jpeg2146b86b.jpege0198807.jpegc80164a4.jpegf565035e.jpegd2102aa8.jpegbdb22773.jpegc12d2074.jpegそのお寺の先に八剱八幡神社(やつるぎ)があります。まぁ地元の八幡様と思いながら参拝します。此処には幾つかの碑、頼朝のお手植えの蹉跌などがあります。由来を読むと頼朝がこの本殿を寄進、家康からも御朱印状も戴いている由緒ある神社のようです。
 
しかし絵馬をみると沢山の種類の絵馬があります。普通はあっても2種類くらいですが何と物凄く種類があり、入学に際しての御祓いでランドセルやかばんもお祓いがあるようで何でもお祓いをしてくれるようです。
 
43e01cd9.jpege330e4a9.jpeg久しぶりの木更津ですが初めての木更津でもありました。

土産物屋で鯛煎餅でもと思って入り結局無難な佃煮を購入。お店の人はアサリが美味しいと何度も勧められますがアサリは大好きなのですが今は放射能が心配で止めました。駅の潮干狩りのポスターも何となく寂しく可哀そうですが今の時期の潮干狩りは?
 

 
cf5ef812.jpeg久留里城
通称  雨城、浦田城
構造  山城
天守  独立式望楼型2重3階
      1979年RC造模擬天守
城主  上総武田、里見、大須賀、土   屋、黒田氏
遺構  土塁、空掘り、井戸
時間  9時~16時30分 無料
 
室町時代に上総武田氏によって築城とされる。戦国時代に里見氏にとって代わり現在地に築城、永禄時代に北条軍の侵攻に一時陥落もその後奪還。
 
16a7dbbd.jpeg329e20ac.jpeg24970005.jpeg天正18年小田原侵攻に遅参等の理由に安房一国になり大須賀氏が三万石で入城、その後関ヶ原の功により転封、土屋氏が2万石で入城、その後改易により黒田直純が三万石で入城明治を迎える。
 
fe0c1f91.jpeg985f7ebc.jpeg久留里駅から徒歩で40分位歩いて登ります。入口には杖が置いてあります。いやぁ杖があると言う事はかなりの山城か、先週の館山城も夕方かなり疲れたがと心配になりながらとりあえず登っていきます。
 
杖が置いてあるのは安土城以来だと思いながら細い道を滑りそうになりながら一人登っていきます。途中の木々には木に名札が付いています。しかし途中からはやはり息切れして木どころではなくコートを脱いでヨタヨタですが今回は1ヶ所ですので前回よりは少しは楽でした。
 
e573a6b7.jpeg8f7a8df1.jpeg途中、男井戸、女井戸、お玉が池など複数の水源があり、二の丸跡地からの眺めと風は気持ちが良かった。ちょっと上に資料館があり、お城かと思いました。ちょっとがっかりしましたが天守閣はこのまだ先だと気が付きました。急に疲れましたがそこから数分で天守閣が見えてきます。
 
本来天守閣は町から、登り口から見えるはずですが此処は雑木林で隠れ全く見えない珍しいお城です。お城はその地のシンボルで町の誇りのはずです。
 
2555c0c4.jpeg8dc06b0a.jpeg綺麗なコンパクトなお城ですが本来は2重2階のお城が復元するときに2重3階にしてしまったのはカッコが良いからでしょうか。下の資料館の絵図では2重2階です。天守閣の隣に昔の天守台があります。また此処では殿様より新井白石の方が有名なようです。
 
447e058d.jpeg城内にはなにも展示がなく単なる展望台になっています。展示は資料館で見られますがこのタイプは初めてです。しかしどちらも無料です。望楼型ですから外に出られる高欄もありとても見晴らしも良く風もとても気持ちが良かったです。
 
1ed261de.jpeg28ffb4f5.jpeg帰りに郵便局でスタンプし名産の黒文字楊枝が売っていました。買うか悩んだが結局買わず駅前で3万石最中がお土産になりました。その他にホンモロコが名産だそうです。
 
 
 

 
昨日は目覚めてからもう今月末で終わってしまう「パワフル×スマイルちばフリーパス」で先週乗れなかったJR久留里線に乗ろうと7時に家を出ました。
 
97ab5033.jpeg秋葉原で総武線に乗り換え千葉方面へと向かい途中久しぶりに座席なしの車両に乗りました。総武線は東京で一番混雑率が高い路線と聞いていましたがまだこの様な車両があるんですね。一時山手線や京浜東北線でもこの車両がありましたが今はほとんど見かけられなくなりました。この車両は良いと言う人、厭だと言う人と分かれます。関西だったら絶対にない車両です。
 
市川駅で下車し早速フリーパスを購入。木更津を目指します。今回の目的の久留里線は開業100周年を迎えるJRの路線で木更津から上総亀山までの非電化単線の盲腸線です。
 
929c0367.jpegfd4e1803.jpeg千葉ではJRではもう此処しか非電化路線はなく旧国鉄の列車が走り、今月16日までは途中タブレット交換が見られ、マッチ箱のような列車がトコトコ走る首都圏では数少なくなった人気路線ですが残念ながら今月の16日のダイヤ改正に合わせ、無線による連絡により交互運転が可能になりタブレット交換は廃止となっています。
 
e6ccdbbd.jpeg77c919ce.jpeg約32K駅数14で大半が無人駅、木更津から終点上総亀山までは約1時間の乗車です。今回のダイヤ改正で終点の上総亀山駅も無人駅に。その為車掌が乗務して検札、改札、車内販売を兼ねる。JRの地方交通線で何時廃止になっても可笑しくない路線で朝夕以外は特別な事がない限りガラガラの列車です。

e9bd4b24.jpegcb6c69c5.jpegd10dea28.jpegc021c9c5.jpeg14839238.jpeg147ec2a2.jpeg乗車はキハ37と30の接続です。どこかに国鉄色が残っていないか探しますがペイントもされて中々見つかりませんが製造年プレート位でしょうか。今は珍しい扇風機もJRになっています。雪国で見かけるドアの開閉ボタンも今では中々首都圏では見なくなっています。
 
先週の小湊、いすみと比べれば全く逆で平日でもありタブレット交換もなくなり乗車は少なく、車内はガラガラです。それでも撮り鉄らしき人が何人かいます。また車窓からはいすみ線のような菜の花も咲いてなく地元の応援団もいないようです。
 
7f0e1774.jpege93cea5a.jpeg先頭車では撮り鉄が一生懸命見ていたり写真を取ったりしています。しかし途中からカーテンを降ろされてしまいました。その窓ガラスも余り拭き掃除をしていない状態です。私鉄ならそんな事がないでしょうがまだJRはお役所なんでしょうか。
 
ef48460b.jpeg2dd780a2.jpeg1f88675e.jpeg81b74476.jpeg9d7b5e86.jpeg326ba3ed.jpeg途中乗り降りは地元の人だけで多く下車したのは久留里駅、撮り鉄、乗り鉄はそのまま終点上総亀山駅まで。当然私も終点まで、そして上りで久留里駅へ向かいます。
 
311ebd41.jpeg待ち時間に駅前?を散策しようと思うのですが全く何もなく店まで開いていない状態です。非常食で用意していた木更津駅で購入したおにぎり弁当を食べたりして過ごしました。おにぎりは全部海苔で包まれ、昆布とあさりです。おかずが鳥の唐揚げ、卵の厚焼きです。この海苔は解りませんが千葉の海苔は昔からおにぎりに巻いても歯切れが良く香が良いので有名です。
 
86fe6cfc.jpeg9393d061.jpeg58633a98.jpeg久留里駅は有人駅です。私はお城へ向かいますが同じように下車した人はお城へ行く人はいませんでした。此処は城下町でお城をかたどったアーチが出迎えてくれます。
 
985881d9.jpeg9fb963af.jpeg625095a0.jpeg商店街の至る所に「生きた水」という井戸の湧水があります。汗ばんだ喉にはとても美味しいお水でした。その関係からか酒蔵が何件かあります。また城の帰りに戴いたお蕎麦屋「安万支」のせいろ蕎麦は絶品でした。
 
お城から戻りまたまた待ち時間が長く、何とか木更津へ着き、総武快速で東京へ。1800円の日帰りの旅になりました。(写真は小さいですがクリックすれば大きくなります。)
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Tetsudo.com(鉄道コム)











 
今日は7時から千葉へ日帰りの乗り鉄をしようと出かけました。今月末で終了する「パワフル×スマイルちばフリーパス」を使って前回時間的に乗れなかった木更津からのJR久留里線に乗ってきました。

相変らず千葉方面は時間調整が多く無駄な時間が多く6時過ぎには帰宅しましたが久留里線往復、久留里城、木更津散策で1日が終わってしまいました。さてマッチ箱列車の久留里線100周年の話を書こうと思ったら携帯のカメラが作動せず。

メモ代わりにしていますのでちょっと困っています。明日一番でドコモショップへ行こうと思っています。前は写真無しで書いていましたから別に良いとは思うのですが最近はその写りの悪い写真でもあれば説明が楽になり最近はどっぷり浸かっています。

こういう事になるとアナログ人間には全くお手上げです。
6b2f54e8.jpeg手元にちょっと昔の文藝春秋があります。文藝春秋は大正12年1月の菊池寛により創刊で今でも人気のページ数が多く厚い月刊誌です。
 
持っているのは昭和12年2月号、10月号、昭和22年3月号、6月号、10月号、昭和24年6月号、昭和27年6月号、昭和28年8月号。
 
昭和12年2月号はページ数448頁、値段50銭、発行人菊池武憲、表紙は武内栖鳳。昭和12年10月号はページ数453頁、値段60銭、発行人菊池武憲、表紙は河合玉堂。
 
9460860a.jpeg99813b23.jpega5e3e810.jpeg6c7abea4.jpegb052e14f.jpeg9894af8a.jpeg昭和22年3月号はページ数160頁、値段15円、編集者鷲尾洋三、発行人池島信平、表紙は小林古径。6月号は64頁、値段15円、編集者鷲尾洋三、発行人池島信平、表紙は安田靱彦。10月号は64頁、値段18円、編集者鷲尾洋三、発行人池島信平、表紙は安井曾太郎。
 
86545850.jpeg昭和24年6月号は96頁、値段60円、編集発行人池島信平、表紙は安井曾太郎。昭和27年6月号は252頁、値段95円、編集者車谷弘、発行人池島信平、表紙は安井曾太郎。昭和28年8月号(夏の増刊涼風読本)180頁、70円、編集者田川博一、発行人池島信平、表紙石川滋彦。
 
現在の文藝春秋は大体450頁位で890円と言う値段になっています。中身も読みでがありますが大体読みたい所だけしか読んでいないのが現状です。そして3,9月の芥川賞の時位しか今は購入しない。
 
戦中の昭和22年3月は160頁でしたが6月号、10月号は64頁と紙不足何でしょうか統制品ではあったと思いますがかなり薄いページ数ですが値段は上がっています。
 
また菊池寛と云うつながりなのか表紙を書いている人が武内栖鳳、河合玉堂、戦中は小林古径、安田靱彦、安井曾太郎など今では考えられない作家が描かれています。
 
文藝春秋は昔から文壇の今考えれば大変な大御所たちが書いています。巻頭随筆はありますが決まった人が書いてはいない時代だったようです。
 
もう本は当然古くカビが出て来ていますがパラパラと見るとその時代の事が何となく解り面白い物です。また宣伝も今はまず見ない広告だったりします。これも時代を感じます。

 
0b66492f.jpeg小町圭、小玉健太、日向みどり、日向いなほ、相馬あずさ、北斗みのり、谷川信二、天城勇智、早登野庄一、筑後雅也、由布院文吾と書きましたが此処から何を感じますか?

昨日ロードショーされました「僕達急行A列車でいこう」の出演者の役名です。会社もソニックフーズ、小玉鉄工、のぞみ地所など鉄道の列車名など至る所に鉄道関連の名前が出てきます。鉄道関連の簡単な専門用語も出てきます。

鉄道は、わたらせ渓谷鉄道、富士急行、N700のぞみ、福岡市営地下鉄、JR九州筑肥線、そして圧倒的に東京は赤い京急電車、京急線ですから乗り入れの京成線など。六郷土手のキャッチボール、電車撮影は神奈川新町駅。

ddadfd18.jpeg大手不動産勤務の小町圭(松山ケンイチ)蒲田の中小企業の小玉鉄工の小玉健太(瑛太)が繰り広げるテツを題材にした青春ドラマ、内容的にはそんなにないのですが鉄道が沢山出てくる内容と昨年末突然夭折した森田芳光監督最後の映画です。

もう映画は前売り券を買わなくてもいつでも1000円ですが久しぶりに前売り券を何ヶ月も前に購入しました。京急では現在歌う電車で有名な2100形を全車ラッピングと車内ポスターを僕達急行A列車で行こうのイベント列車を走らせています。

この所鉄道映画は「阪急電車」「Railways」1・2と毎年のように多くなってきています。森田作品はもう見られませんが此れからも鉄道映画が出品される事と森田監督のご冥福をお祈りします。



あらすじhttp://eiga.com/movie/55815/
映画HP
http://boku9.jp/index.html
 
14f96e40.jpeg昨日は曇天でたまにぱらぱらと雨の一日でした。友人から推薦された黒井健の絵本の原画展を銀座の松屋へ見に行きました。「ごんぎつね」「手ぶくろを買いに」「ころわん」シリーズなどの絵本作品で有名な絵本作家だそうです。
 
パステルや色鉛筆を使ったとてもメルヘンチックな絵です。かなり多くの原画が展示されています。その他に新潟中越地震後の故郷新潟を描いた「ふる里へ」宮沢賢治の銀河鉄道などもありとてもほのぼのした作品になっています。
 
746206d7.jpege15b264b.jpegb9a83093.jpeg561cf1ae.jpeg絵本は殆ど読まないのですが子供の小さい頃、読んであげた以来ですがたまには絵本も見るのも良いなぁと思いました。この展覧会は26日(月)700円。
 
地下でおやつを購入し、近くの沖縄アンテナショップで海ぶどうや島らっきょなど酒のつまみを購入し帰りがけ有楽町マリオンに新しくなったルミネでは大勢の人だかりです。
 
2b7da9c2.jpeg僕たちのために
咲いてくれるんだと
今年は思っていいですか。

桜を見上げよう サクラプロジェクトという長いタイトルですが東日本大震災復興イベントの一つで47都道府県から集めた桜の枝を開花をそれぞれ温度管理していっぺんに咲かせ高さ8Mの1本の桜に仕立て都内で最も早い花見というイベントのようです。
 
枝にはその地のラベルが付いています。幅も8Mで桜の色が色々ありとてもびっくりする迫力もあります。その隣にはyahooが初めてのリアル売店「復興デパート」として東北の商品を販売しています。
 
14c0b862.jpegc95c97b0.jpeg6acb88cf.jpeg56ffbcc2.jpeg何で日本全国から桜の枝を切って来てわずか数日無理やり咲かせてと個人的には思いましたが日本にはやはり桜でこれを日本全体からひとつに纏めようと言う趣旨なんでしょう。もう切ってしまったので文句はやめて、それはそれで綺麗で迫力もあり一足早い花見を楽しみました。ちょうど松屋で買ったおやつは羽二重団子でした。
 

 
072e1b98.jpeg館山城(館山市立博物館分館)
通称  根古屋城
構造  山城
天守  望楼型3重4階1982年模擬天守
築城  里見義康(天正18年・1580)
遺構  曲輪、堀
時間  9時~16時45分
料金  300円 月曜休館
 
慶長19年(1614)里見氏改易により館山藩取りつぶしにより廃城、その後も麓の陣屋で城は出来なかった。現在の模擬天守は犬山城を模して昭和57年に再建し館山市立博物館の分館として里見八犬伝博物館として展示(南総里見八犬伝の絵草、浮世絵など)周辺は城山公園として日本庭園、野鳥園、里見八犬伝のモデルになった忠臣の墓などがある。
 
45f3a1aa.jpeg117bddc1.jpeg111c81ee.jpeg房総で栄華を誇った里見氏は秀吉の時代に関東惣無事令違反で安房へ家康の時代には大久保事件、無届改築違反などにより改易となり実質消滅してしまいます。言い掛かりみたいなものですが家康にとっては東京湾を抑えられる心配と豊臣派という警戒感からの理由だったんでしょうか。
 
館山駅でお城へ行くにはと尋ねるとあの山の上ですと言う、歩いて行くには、えぇ歩くんですか。しょうがなくバスで城山公園に行きましたがバスの待ち時間30分。
 
何とか城山公園にそこからとことこ登り始めます。大した事がないと歩いていきますがしっかり着こんでいましたのでまた、背中がびしゃびしゃに足もとぼとぼと息も上がって何とか頂上へ。
 
お城の反対側は東京湾、見晴らしが素晴らしい。対岸の三浦半島が一望です。これじゃ家康が心配するのも納得。暫く景色を楽しんでいると天守閣の戸を閉める音が慌てて行くももう今日は閉館ですとつれない。確かに看板には16時30分までの入場となっています。今回も5時までと頭で勝手に思っていました。
 
しょうがなくまた来た道を降りバス停に行くと次までに40分待たなくてはならずタクシーもなく結局歩いてJR館山駅まで早足で25分位掛かりました。馬鹿にしていたこのお城結構な傾斜の道で息も上がり、城に入れず帰りも徒歩での駅まで歩きで余計疲れました。
 
bada86e9.jpegこの日は鉄道に乗る事で来ましたが結局は良く歩いた。もう1日にお城2つは時間的にも体力的にも厳しくなってきました。帰りの電車も千葉行きは同じ40分待ち、中々接続が良くない。
 
夕食を兼ね駅前で海鮮丼を食べましたがお酒はパスしました。これでアルコールが入ると疲労で途中寝てしまう心配があります。降りそこなったらまた接続が悪く家にはかなり遅くなってしまう。

もう一つ残念はくじらの駅弁が売り切れになっていました。まぁ時間的に当然なんですが。
 
館山駅は大原駅に比べれば立派なスペイン風の建物で隣にはJR関東バスの駅もあり久しぶりにバスの駅舎を見ました。昔は国鉄バスの立派な駅が沢山ありました。(左側がJr館山駅舎)

 
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