美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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本日の予定は新白河から黒磯、小山を経由して水戸線で勝田ひたちなか湊線終点阿字ヶ浦、戻って那珂湊散策、那珂湊魚市場で昼食、水戸に戻り水戸城址、弘道館、東照宮などみて東京でラッシュを避け早めの帰宅予定。今日も乗っている時間が多いのんびりの旅の予定。
5時23分新白河発の黒磯行きに乗車、クハ700系乗車している人は流石に少ない。郡山、黒磯間はロングシート、途中山から朝日が昇る。東海道線の真鶴あたりの海からの朝日も良いが山からも素晴らしく寝不足にはまぶしい。
このあたりの車窓は屋根がブルーシートで覆われているのが多く見られます。先日の暴風雨による被害だったのでしょうか。水戸でまた乗り変えなくてならない。隣の勝田駅なのですが。水戸駅手前では偕楽園が良く見え桜が満開です。此処は梅が有名ですが桜の本数も多いようです。とても車窓から綺麗なお花見が出来ました。
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通称 小峰城
構造 平山城
天守 三重櫓(1991年木造復元)
城主 結城、蒲生、丹羽、松平、阿部遺構 石垣、土塁、堀
見学 現在修復工事の為入場できず
このお城は東北では珍しい総石垣造りで、盛岡城、若松城と共に東北三名城と言われていた。また白河の関など東北の交通の要でもあった。
その後城主が目まぐるしく変わり最後の阿部氏以降は幕領となり二本松藩の預かりとなる。1868年(慶応4年)戊辰戦争で奥州越列藩同盟軍と新政府軍との攻防戦になり大半を焼失、落城となる。二本松藩は何もできない少年隊を結成(二本松少年隊)官軍と戦わせていながら丹羽長国一家は米沢に逃げている。
現在は昨年の東日本大震災で石垣が崩れ、中には入れません。工事柵から見るとあと少しで天守も崩落しそうです。至る所の石垣が崩れています。これを組み直すには大分時間がかかるのではないでしょうか。白河駅のホームからの見えるコンパクトなお城ですがちょっと残念です。
復元するなら木造建築のほうがお城らしい昔の建築技術の伝承にもなります。
行けませんでしたが寛政の改革で有名な松平定信の作った南湖公園も少し離れていますがあるようです。
「什の掟」
年長者の言う事に背向いてはなりませぬ。
年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
虚言をいうことはなりませぬ。
卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
弱いものをいじめてはなりませぬ。
戸外で物を食べてはなりませぬ。
戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬことはならぬのです。まぁ6番7番は今ではなりませぬではないでしょうが、1~5を今でも小学校で教えているとの事です。この精神が戊辰戦争につながったりしたんでしょうか。「ならぬことはならなぬのです」この歳になって色々教えられます。
そんな会津若松を後にしてまた郡山まで戻り東北本線上り黒磯行きに乗りこむ。時間もなく駅弁を車内にて食べる。駅弁はオーソドックスに幕の内を選ばず「ソースかつ弁」にする。白河名物だそうですが福井でもあったし本来名古屋だろうと思いながら戴いた。
白河に向かうが暫くすると停車。線路に障害物があるとの事で結局40分位停車。
是からは白河城、宿泊だけなので良いですが行き帰りの数分での乗り換えのスケジュールですと全部が変わってしまいます。特にローカルでの乗り継ぎがスムースに行かないと待ち時間ばかりくってしまいます。
郵便局には行けない、お城は昨年の震災で石垣が崩れ、現在工事中で中には入れないとの事。また白河集古苑も月曜日で休館となっていました。とりあえずお城の周りを見て駅周辺を散策。白河の関でもとバス会社に聞くも行きはあるが帰りのバス便は無いとの事。
かなり古いお寺さんで墓石もかなり昔の物が多い。(平安末期?)看板が出ていてすぐ小原庄助さんのお墓は見つかった。同じ墓域には羅漢山人のお墓がある。羅漢山人とは谷文晁の高弟で羅漢山の下に住み酒を好み絵を描いていた人で、この山人に絵を習いに来てこの地に住みついたのが会津塗師久五郎で小原庄助というようです。墓石が銚子、徳利、盃になっています。
通称 鶴ヶ城、若松城
構造 平山城
天守 層塔型5重5階RC造り1965年
城主 蘆名、蒲生、上杉、加藤、保科氏など
遺構 石垣、土塁、堀
時間 8時半~17時 500円、駅から40分
再建された天守は郷土博物館になっている。蘆名氏を伊達政宗が攻め落とし、その後蒲生氏が入封城を整備、その後上杉景勝120万石で入場も西軍加担により30万石で米沢へ移封、加藤嘉明が入封、会津地震で倒壊した天守を再建、家光の庶弟保科正之が23万石で入場。この城は陸奥、会津の両方を睨む東北の要の地。
戊辰戦争では城に立て籠もり1ヶ月持ちこたえ落城はしなかったが少年まで戦争に駆り出し町の火事を落城と勘違いした白虎隊40名は可哀そう、しかし降伏式では責任者として城代家老西郷頼母は切腹せず家族は全員自刃。この戦争は殿様、筆頭家老がなぜか生き延びる。
平成23年3月に黒瓦から赤瓦へ葺き替え。雪も無く瓦は良く見えたが数年前とそんなにイメージは変わらなかった。
会津若松城、次の白河城も司令官や殿様の問題があり城にいくとワクワクしますがこの2つは配下の人が可愛そうであまり気分的に乗らないお城です。
鶴ヶ城は4年前大森いさ美寿司のバス旅行で東山温泉に泊まり城は前日に見たのですが夜からの大雪で太平洋側は通行止めで新潟経由で12時間かけて大森まで帰った思い出があります。トイレが大変だった。私のバス最長時間。
此方では伝統的な工芸品も多くありますが「五郎兵衛飴」は柔らかい飴にパラフィン?が付いた物で何処となく懐かしい物です。創業800年以上の老舗、義経、弁慶の平泉落ちの際の飴購入の借用書などもある。
宇都宮、黒磯、郡山と乗り換える予定。途中岡本ー宝積寺間の川では釣り人が川の中に入り棹を下ろしている人が数人見える。寒くないのかとか思ったり。今日も快晴の様ですが車内には暖房が入り窓ガラスが曇る。やはり外は寒いようだ。
乗客も普段はドア近くに座るがドアの開閉で冷気が入り多くの人がロングシートの場合は真ん中に座っている。途中から私も真ん中に座る。ドアの開閉ボタンはここらでは飾りでなく自分で押して開ける。雪国に向かっているのを感じる。
宇都宮まで座れたが乗換えで黒磯行きに乗るが学生でびっちりの満員電車、黒田原で全員下車、黒磯まではガラガラになる。地方線の朝はやはり学生の足なんだと実感。それにしてもうるさい学生達で特に女子がうるさかった。満員の車内の時は栃木弁のオンパレード、東京ボン太を思い出した。こいつらカバンでなく唐草の風呂敷で学校へ行けなんて思ったり。
宇都宮までは車窓から桜を楽しんでいたのが嘘のようです。磐梯熱海は温泉で有名なところですが午前中、平日という事で駅前には人影が見当たらない。やはり震災、原発の影響でしょうかちょっと寂しくなります。駅も無人駅が続きます。
会津若松駅ではこの電車が着く時間に駅前からJRの「会津駅からまちなか歴史散策」というボランティアガイドによるガイドツアーが無料で毎日行なわれています。3時間の予定。このツアーは途中抜けても良いとのことで私も参加しました。
参加人員4名、延命地蔵、羽金家住宅、西軍墓地、田中稲荷神社、野口英世青春広場、山川健次郎生誕地、西郷頼母邸跡、降伏式会場、鶴ヶ城にて解散。
私はこのツアーの野口英世青春広場で抜け、お城へ一人向かいました。
(小さい写真はクリックすれば大きくなります。)
5:36 | 6:51 | 7:47 | ||||
4月9日 | 大宮 | 東北本線 | 宇都宮 | 黒磯 | ||
6:56 | 7:54 | |||||
9:01 | 10:57 | 13:11 | ||||
郡山 | 磐越西線 | 会津若松 | 会津若松 | 磐越西線 | ||
9:45 | 会津若松城 | |||||
郵便局 | 郵便局 | |||||
会津戦争慰霊碑 | ||||||
14:59 | ||||||
郡山 | 白河 | 宿泊 | ||||
14:24 | 白河城 | (新白河) | ||||
小原正助 | ||||||
6:18 | 6:42 | 8:10 | ||||
4月10日 | 新白河 | 東北本線 | 黒磯 | 小山 | 水戸線 | |
6:53 | 8:25 | |||||
9:44 | 9:51 | |||||
水戸 | 勝田 | ひたちなか湊線 | ||||
9:46 | 終点まで阿字ヶ浦全線走破 | |||||
那珂湊散策 | ||||||
郵便局 | ||||||
14:30 | 17:00 | |||||
水戸 | 水戸 | 常磐線 | 自宅 | |||
水戸弘道館 | ||||||
水戸城址 | ||||||
東照宮 | ||||||
郵便局 |
エクセルの表が旨く乗っていませんが上記のこんな行程を前日の夜、ママリンの体調が治らないとの事で日帰り予定が急遽1泊での一人旅の行程を作りました。
ひたちなか海浜鉄道に乗って那珂湊のお魚市場で美味しい物を食べる、偕楽園は梅だけでなく桜もきれいという事でこの2つだけ決まっていました。ママリンが行かないというのでチケットが1枚余りますので急遽会津若松と白河をいれました。
そして東北本線、磐越西線、ひたちなか海浜鉄道湊線、水戸線、常磐線を入れて何処も何度か行った事があるところですから鉄道にトコトコと乗っていこうという方針に決めました。時間がもう少しあれば磐越東線もと考えましたが那珂湊か水戸の時間が無くなるので今回は諦めました。白河城を外せば、いやこの城は外せないと時刻表片手に色々検討しました。早く寝ないと翌日は始発に乗るのでこの程度で諦めました。
1泊ですから荷物も無く手ぶらで行こうかと思いましたが途中銭湯か立ち寄り湯があればと考え下着といつもの私の場合戦闘道具(銭湯)をバックにいれて用意。さて会津は福島の中で1番寒い所ですから厚手のダウン、いや普段の散歩用の薄い上着と悩みましたが薄い上着で決行しました。
詳細は後ほど。
昨日は久しぶりと言うより何年振りの御勉強会に出席、2回講習ですが今回は第一部大田区の神社と旧地名、第二部大森貝塚とモース博士と言うタイトルです。
1部はスライド中心で大田区の神社を見せて戴きました。やはり明治の廃仏毀釈と戦災で数は減っているようです。ちょっと歩けばお稲荷さんが沢山ありますがそれでも昔に比べれば少なくなっているようです。
2部は大森貝塚保存会会長で大田区史委員でもある方でモースの人となりや心情など今のボストン美術館、セーラムのピーボディミュージアムの基礎を作ったといったただ単なる考古学者の話でも動物学者の話でもなく、自分を犠牲にしても集めたものを町に、美術館へ寄付する。それも高級な物でなく其の当時の日本の庶民の生活用具など今、残念がら日本にはない物がアメリカにある。
同じように西洋にはシーボルトが持っていったものが展示されている。そして日本にはもうない物ばかりで日本の生活を見るには外国へ行かなければ見られない。
現在の日本も大田区も歴史ある物を壊し新しい物ばかりになっている。歴史ある物との共生ができない。新しければモダンで快適だと勘違いしている。と云ったお話でした。
1時半から4時まで久しぶりの座学、考古学でなくて良かったのですがやはりちょっと疲れました。6月の最後の講義まで事前にちょっと予習をしようと思っています。
1部はスライド中心で大田区の神社を見せて戴きました。やはり明治の廃仏毀釈と戦災で数は減っているようです。ちょっと歩けばお稲荷さんが沢山ありますがそれでも昔に比べれば少なくなっているようです。
2部は大森貝塚保存会会長で大田区史委員でもある方でモースの人となりや心情など今のボストン美術館、セーラムのピーボディミュージアムの基礎を作ったといったただ単なる考古学者の話でも動物学者の話でもなく、自分を犠牲にしても集めたものを町に、美術館へ寄付する。それも高級な物でなく其の当時の日本の庶民の生活用具など今、残念がら日本にはない物がアメリカにある。
同じように西洋にはシーボルトが持っていったものが展示されている。そして日本にはもうない物ばかりで日本の生活を見るには外国へ行かなければ見られない。
現在の日本も大田区も歴史ある物を壊し新しい物ばかりになっている。歴史ある物との共生ができない。新しければモダンで快適だと勘違いしている。と云ったお話でした。
1時半から4時まで久しぶりの座学、考古学でなくて良かったのですがやはりちょっと疲れました。6月の最後の講義まで事前にちょっと予習をしようと思っています。
9日まで日本橋三越では全国銘菓展を開催しています。北海道から九州までの有名菓子舗をセレクトし実演販売もあり多くの女性を集客しています。
そんな圧倒的な女性の中を軽やかに縫って余り食べた事がない物やまた食べたい物のコーナーへ向かいます。院展で疲れたものも嘘のようです。
出店は各県の有名どころが出ています。六花亭、両口屋是清、赤福、鹿児島明石屋かるかん、とらやの生菓子、静岡の間瀬、長崎福砂屋、高知の西川屋のけんぴなど。見ているとすぐ買いたくなってしまいます。
松屋銀座は「おいしいニッポン」11日から19日まで開催。京都から出町ふたばの豆餅(大福)、鶴屋寿の嵐山さ久ら餅(柏で包んでいます)村上開新堂ロシアケーキ、三宮一貫楼の豚まん、芦屋ゆるりの春菜ずし(ばらちらし)、点天ひとくち餃子、長崎からは料亭御宿坂本屋の角煮めし、蘇州林のちゃんぽん、岩崎本舗の角煮まんじゅう。
沖縄から黒糖アガラサー(蒸しカステラ饅頭)、仙台伊達の牛タン、米沢牛メンチ、新潟布乃利生そば、福島あわまんじゅう、日光水羊羹、北海道からは六花亭、開拓おかき、月寒あんぱん、小樽めるかーどの桜いぶしベーコン、札幌蟹工船のカニ満足弁当、利尻磯めしなど堂々の蟹づくしの多種の弁当。
此方はどちらかと言うとお菓子より食事的な食べ物が多く、どれも買ってしまいそうです。イートインも多く落合シェフのラ・ペットラのスパゲティ、鳥つねの親子丼、イノダコーヒーのビーフカツサンド、レモンパイなど。今はイートインできたり、実演販売が多くなっているようです。
トレーニングしてもこれでは体重は減らないしお金も続かない。でも相変わらずあれも食べたいと喰い意地が張っています。友人の内科医は笑いながら其の喰い意地がある限り元気だ、大丈夫だと言ってくれるが。
旅先で食べたお菓子、その土地を思い出しながら百貨店情報に目が行っている自分がいます。
恒例になっています「時代小説へのお誘い」今月は山本周五郎「つゆのひぬま」中村昇 元NHKアナウンサーの名調子であっと言う間の90分です。
山本周五郎の岡場所を扱った秀作のようです。佃の岡場所の話で遊女とお客の恋物語。「つゆのひぬまに」は「露の干ぬま」と書くようでほんの一時、きれいで楽しいのはほんの僅かと言う事のようです。
話は悲恋で終わらずハッピーエンドで中村氏の女性の声色も素晴らしく話術に引きこまれました。流石です。来月は藤沢周平「花のあと」。
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会場の大田文化の森ではエントランスにこの建物での教室の3E押し花教室の展示がされていました。とても素晴らしい作品です。植物資源開発研究所といういかめしい名前の先生が教えているようです。
冷たい風が吹いてきましたが静から動へとトレーニングをして帰りは何となく温かくなり午後があっという間に過ごせました。
山本周五郎の岡場所を扱った秀作のようです。佃の岡場所の話で遊女とお客の恋物語。「つゆのひぬまに」は「露の干ぬま」と書くようでほんの一時、きれいで楽しいのはほんの僅かと言う事のようです。
話は悲恋で終わらずハッピーエンドで中村氏の女性の声色も素晴らしく話術に引きこまれました。流石です。来月は藤沢周平「花のあと」。
冷たい風が吹いてきましたが静から動へとトレーニングをして帰りは何となく温かくなり午後があっという間に過ごせました。
東京国立博物館は本館を中心に特別展の「平成館」法隆寺から皇室に献納された宝物を収蔵する「法隆寺宝物館」東洋館の耐震工事中の為展示している「資料館」その他に休館しているのが「表慶館」「黒田記念館」などがあり本館裏には日本庭園になっています。
1階は余り行かないのですが1、彫刻、2、漆工、3、金工、4、刀剣、5、陶磁、6、民族衣装(アイヌ、琉球)、7、近代美術(絵画、彫刻)、8、近代工芸になっています。
今回は花見と言うテーマで各コーナーが桜にちなんだものになっています。私はその中の浮世絵のガイドツアーに参加しました。浮世絵展示は全作品(今回展示30点)をボランティアの方の説明を聞きながら見学。やはり見方が違ったりして勉強になりました。
温かい日だまりと日蔭の寒さと桜を愛でながらののんびりした時間を過ごせました。
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