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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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3b83fd5a.jpeg3日目
広島空港から16時35分で帰るだけです。今日も秋晴れで広島だから安芸晴れかと冗談を言いながら還暦親父3人、レンタカーで福山へ1時間30分のドライブ。福山城へと向かう。
 
途中SAでお茶をしようと立ち寄るが売店は修学旅行生一団により一般客は買えない状態。団体で動くのは凄い。今や中々団体客はツアーや町会位しかなく会社単位は少ない。昔を思い出す。
 
福山城は5重6階地下一階で立派な天守閣が望楼型で乗っている。昭和41年に復原し中は博物館になっている。丁度築城390年記念「福山城展―城郭と城下町―」を開催中でゆっくり見学。
 
福山駅前にあるお城で1度攻め入り、新幹線からも見た事が何度かあります。まだ帰るには早く車で30分の鞆の浦に行き食事にする。万葉集にも歌われる景勝の地で瀬戸内の中心に位置し潮待ちの港で周りには沢山のお寺、歴史的建物などがある景勝地。
 
鞆の浦と言えば日本初の蒸気船同士の衝突、いろは丸事件で坂本龍馬も最初に上陸し暫く隠れていた桝屋清右衛門宅など。下の写真は食堂からの渡船が走っていました。短時間で何度も行き来しているようです。

岸壁では地元のご夫婦が釣りをしていてほのぼのとしています。下まで見れるきれいな水面です。 
97991614.jpeg鯛のてんぷらを戴き今日も車なので昼のお酒はなし。福山に戻り空港へと向かう。空港まで順調なのだが途中のガソリンスタンド、レンタカー乗り捨て場がナビ通りには見つからない。
 
道に迷いとんでもない山へ向かったり、新しい道路に殆ど車が走っていなし道へと1時間は走り、何とかガソリンスタンドが見つかり、レンタカー返却も出来た。時間的に余裕があったはずが1時間もなく簡単にレストランで反省会をして機上へ。
 
36582b8e.jpeg普段は列車のとことこの旅でしたが今回はレンタカーでの旅で足回りは良いのですがナビが古いようで新しい道に対応していなかったりしましが郵便局は6局出来ました。鞆の浦2局、広島空港などは鉄道利用者では中々押せない所でした。
 
長い文章最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 
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d8375de8.jpeg広島城
通称  鯉城 在間城
構造  平城
天守  複合連結式望楼型5重5階(外観復元)
城主  毛利輝元、福島正則、浅野氏12代
遺構  石垣、堀

毛利元就の時代は中国地方の9ヶ国を支配していたが孫輝元の時代に秀吉の軍門に下り黒田如水の縄張りにより太田川の三角州に築城。途中朝鮮出兵などで工事は中断、慶長4年の朝鮮の役終了後再開。外見は下見板張り、2基の小天守、80を超える櫓が経つ。

関ヶ原の戦い後毛利氏は周防、長門に減封、福島正則が49万8千石で入城。19年間城と城下町の整備をするも洪水による三の丸石垣の工事が徳川幕府に咎められ改易、浅野長晟が42万6千石で入城、以後12代続く。

3d86b562.jpegd7681912.jpegかって濠には沢山の鯉が泳ぎ蓮が覆いかぶさるように茂っていた。そこから鯉城、後の広島カープの語源にもなっている。

天守は原爆の爆風で倒壊、戦後昭和26年に広島国体に木造仮設天守閣が造られる。国体終了後に解体。是により城再建の気運があがる。城址が国の史跡指定にされ天守再建気運が高まり昭和33年に竣工。郷土博物館として開館。

f77a5120.jpegまた東京にある国会議事堂は1時明治の帝国議会も開かれている。これは日清戦争開戦に伴い宇品港(広島港)が兵站基地になったことから広島城内に大本営がおかれ明治天皇の滞在に合わせ帝国議会も開催された。(明治27年)

城内には広島大本営跡として残されている。また中御門跡後ろには原爆投下の一報を伝えた中国軍管区司令部防空作戦室(地下通信室)跡もある。

2度目の攻め入りでしたが今回は雨の為、天守閣しか見ていない。城は外郭、町全体の雰囲気も楽しめます。個人的には好きなお城です。

前回3人の8月の旅行(松坂、桑名、津など)その後の9月の明石、赤穂、龍野城と櫓だけのお城から欲求不満が。やはり城は天守閣が有った方が良く、最上階の高覧から城下を見る気分は心地良い風と共に最高です。

912b3b32.jpeg16797cad.jpeg0db2c1db.jpeg2日目は今回の目玉旧海軍兵学校、現在の海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校、呉の大和ミュージアム、てつのくじら館など海上自衛隊関連施設をまわります。

16dca60e.jpeg583f192f.jpega92fdbd9.jpeg今日廻る所は私も初めてです。特に江田島は中々行けない所で、今回は広島からレンタカーで8時出発。ナビの使い方、読み方で苦労する。2時間で行けるはずが行けない。

江田島の海上自衛隊の学校は無料ですが10時、13時、15時の3回、案内が付き1時間半途中退場は厳禁、服装もタンクトップ、ノースリーブ、短パン、ダメージジーンズ、極度に短いスカート、破けているズボン、ビーチサンダル、下駄、雪駄等は禁止。

元々は築地にあったが文明と隔絶していて教育に専念でき、軍艦が停泊できる入江、気候が温暖と云う事で此方に移ったそうです。帝国海軍の将校を養成する目的とした教育機関。最近では坂の上の雲で人気も出ているようです。

広い構内には明治の建物、大正の建物などが残されています。とても大きな赤レンガの校舎、素晴らしい作品、特攻隊の遺書などが展示されている教育参考館などがあります。

623e8137.jpegこの教育参考館は海上自衛隊の聖地と云う事で中では脱帽し写真撮影は禁止、我々だけでなく現役の生徒がメモを取りながら勉強しています。此処では自由行動で40分間見学できますが途中で時間が来てちょっともったいなかった。

勝海舟から横山大観、戦争画のレオナール藤田、川端龍子、特攻隊の遺書、元帥、大将の書、東郷元帥の刀など。遺書関係は申し訳ないが途中通過。数万点の所蔵。歴史的資料が多いようですし、先人の偉業をたたえる、また戦没者への鎮魂施設。

583f192f.jpeg大講堂は鉄骨煉瓦石造りで大正6年の兵学校の入学・卒業式、精神教育の場として建築。此処で秋山真之が首席で赤いじゅうたんを歩いたんだと感激。

真ん中の赤い絨毯は1番の首席者のみが戴き、2番手以降は横から証書を成績順に戴く。現在は首席だけで後は学生番号順だそうです。

江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期(クラスと呼ばれた)を何よりも大切にしたそうです。職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があったそうで、またクラスが戦死した場合残された家族は生き残ったクラスが可能な限り面倒を見るという暗黙の了解が存在。逆に同期のトップが不祥事等で辞める場合は同じ同期は全員が辞めるそうです。戦後に至るまで兵学校出身者の絆は強かった。中庭には同期の桜があるそうです。

 
5d2655f1.jpeg赤煉瓦校舎は幹部候補生学校庁舎で日清戦争前年の明治26年海軍兵学校生館として建設。

第一術科学校学生館(旧海軍兵学校西生徒館)は昭和13年に建てられたが昭和31年横須賀にあった術科学校が移転し、現在は第一術科学校生徒館として使用。現在の建物は平成10年に改築。
 
とにかく広い敷地に多くの建物があります。敷地の真ん中に日の丸掲揚台があります。時間で国旗が掲揚されるのでなく日の出、日の入りで行うようでその時間は居る場所から掲揚台へ敬礼をするようです。
 
a5861833.jpeg説明の方も良かったし教育参考館も素晴らしかった。解散後食堂でカツカレーを戴く。富士演習場、横須賀に次ぐ3ヶ所目の自衛隊でのカレーだった。


 
cf4bae5a.jpeg2f37ff9d.jpeg7d2c5614.jpeg呉では戦艦大和の十分の一の模型やゼロ戦、回天、特殊潜航艇などを大和ミュージアムで見学。500円。

a84b1910.jpegc4271d52.jpeg52e6d166.jpegff7fe4e9.jpeg9f32df7d.jpeg67ad2526.jpeg横の海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」で潜水艦の中へ見学。現在行っている魚雷の掃海艇などを見学。無料。

戦後戦艦技術は鉄道への技術の場へと移り、新幹線などへと繋がって行きます。
 
その後歴史のみえる丘を探すがナビの場所と違い、近くの山へ行ける所まで車で上り呉湾を見て、広島へ帰る。
 
夜は昨夜のホテル下の居酒屋で反省会。戦争を知らない還暦親父今日の施設見学で多いに盛り上がる。刺身や広島ならではの食べ物を選び焼酎一本で足りず、量り売り迄飲む。その後また部屋で乾杯。明日は福山、鞆の浦を予定。
江田島旧兵学校の詳細は

3352fe42.jpeg明日から工事中だった本線の平和島、六郷土手駅間、空港線京急蒲田、糀谷間は踏切が無くなります。

菩提寺と図書館へ行く時踏み切りに大勢のカメラを持った人がいて最後の下を通る京急線を撮っているようです。

これで電車待ちは無くなり此れからはレールを外し、多目的に利用できる施設や公園などが出来るんでしょうか。

京急蒲田駅の空港線では京浜第一国道を横切らず正月の箱根駅伝もまた違ったドラマが見られるんでしょうか。勝手なもんでなくなると風物詩が消えたと寂しくもなります。鉄道に興味がある方、京急に関するニュースはhttp://www.tetsudo.com/
b16e40e4.jpeg
 
eec6cf80.jpeg17日(水)から19日(金)まで8月の伊勢路と同じメンバーで2泊3日の旅に出かけました。今回は①広島城、福山城のお城、②日本一の広電の路面電車、厳島神社、江田島までの船、滞在中のレンタカー、行き帰りの飛行機と乗り物の旅、③呉の大和ミュージアム、海上自衛隊の「てつのくじら館」江田島の旧兵学校という軍都広島の顔、④お好み焼き・牡蠣・あなごめし・もみじ饅頭・瀬戸内の魚などの食べ物⑤郵便局スタンプと盛り沢山の旅。

初日は羽田を8時40分発JALで広島へ。ちょっと元株主としては微妙ですがやはりJALは鶴丸が似合う。

d8375de8.jpeg3d86b562.jpeg広島は雨でとりあえず広島駅までリムジンバスで向かい、雨なので広島城を軽く見ようと攻め入る、展示品として刀展が開催中、同行二人は雨なので軽くと私に付き合うが展示品に興味を示しかなり長く滞在。個人的には城内の天守閣だけでなく櫓などお堀一周をしたかったが諦める。


b006b226.jpeg7d4b6aa3.jpeg77bda391.jpeg路面電車で宮島口へ約一時間乗る。多分私の路面電車最長時間。営業距離(35.1K)、乗降人員(1日16万人)は日本一。残念ながら「チンチン」は鳴らない。3連の車両が多く、出る、入場と前後にある。フリーキップのカードリーダーの使い方が当初解らず。乗る時は下からいれ、下車時は上から入れるも、車両によっては横から入れる。

大正元年開業で今年で100年、殆どの乗降客が磁気カード利用で昼間でも3両編成で満員、完全に市民の足になっています。

宮島口で腹が減り(3時)であなごめしを戴く。1400円は高いと思ったが他のお店は2000円前後、アナゴの炊き込みになっていて美味しかった。フェリーに乗り宮島へ。修学旅行生、ツアー団体で一杯。

721b8520.jpeg7864dd01.jpeg途中、同行者のちょんまげさんが牡蠣を食べようとなるが広島の生はどうも東京人には怖く、私と塚ちゃんはパス。夜に焼牡蠣を戴く。東京に入る広島産は加工用が多い。参道までは穴子・牡蠣・もみじ饅頭屋が多い。おやつにもみじ饅頭の出来立てを戴く。

e8520b00.jpeg97b15af6.jpeg厳島神社は当然もの凄い人、神殿で参拝をして引き潮なので雨の中ですが大鳥居まで私1人行く。この鳥居の下には50センチの松杭が100本打ち込まれている。
 
近くの民族資料館へ時間的にいけなかったのは残念でしたが修学旅行、平清盛ブームで大変な込み合いの宮島を後にして1日目が終了。この日だけ結構な雨で靴まで水が入りスニーカーが臭い。

e433b41d.jpeg夜は一番有名との「みっちゃん総本店」で一杯と入る。外人も多く食事だけのようでちょっと飲んで此処のスペシャルを戴きホテル下の居酒屋で宴会。ここでも広島お好み焼きを食べるが流石有名店で最初の店が旨かった。


 
 今日から学校・会社と全く関係ない永年の友人と3人で2泊3日で広島へ行きます。今回はとことこ列車でなく飛行機利用でちょっと残念。
 
メインは江田島の旧兵学校、呉の自衛隊などですが広島から宮島は50分の路面電車、広島城、時間が有ればJR山陽線で福山城、ついでに郵便局スタンプ、お好み焼き、アナゴめし、瀬戸の刺身など楽しみです。

全部で14枚のシリーズですが1、2が持っていません。このシリーズも長期に渡って昭和56年から昭和61年7月まで発売、各バス駅から300円区間の乗車券。何度も山陽、山陰へ行っていますがこの中では秋吉台位しか行っていません。
 
8ac6fee4.jpegNo8 源氏ボタル (山口県山口市)、昭和59年7月広島駅発売。

山口のホタルは500年前の大内時代から有名で、一の坂川は約200年もの間栄えた大内一族が、重臣の反乱により一夜のうちに炎に包まれ消えて行った一族の魂を弔うかのように今も流れている。この川に一年を通じて多くの人が来るのがホタル狩りの時期。源氏ボタルは天然記念物に指定されている。
 
38e768f4.jpegNo9 笠戸大橋 (下松市) 倉敷駅発売。

笠戸島とを結ぶ全長156.2メートル、昭和45年10月に完成。笠戸島は瀬戸内海国立公園に指定され、奇岩や起伏の変化に富み、周囲36Kの絶景な島で半分を国有林が占めている自然豊富な環境の島。夕映えが素晴らしい。
 
No10 秋吉台と化石 (美弥郡秋芳町)昭和60年6月 秋吉駅発売。

3億年前の海底でサンゴ礁のカルスト台地秋吉台。地殻運動で隆起した為石灰岩の中には多くの化石が含まれている。
秋吉台にナウマンゾウが現れたのは今から3万年前と言われている。化石は秋吉台科学博物館、美弥市歴史民俗資料館などに展示されています。
 
483dc05e.jpegNo11 禅昌寺 (山口市)昭和60年7月 山口駅発売。

室町時代に建てられたお寺で大内義弘公の開墓、当時山口は西の都で80の末寺を取りまとめ千人からの修行僧がいて西の高野山とも言われていた。
 
No12 周南七福神まいり 昭和60年12月 倉敷駅発売

中国地方には七福神巡りはあまりなく昭和57年11月に周南地方の真言宗の7ヶ寺で周南七福神霊場が開創された。
 
7a3dedc6.jpegNo13 鏡山公園 (広島県東広島市) 昭和61年5月 乃美尾駅発売
学園都市として県史跡桃山城跡の保存と活用、運動休養が出来る公園、面積は36ヘクタール。
 
No14 大島大橋開通10周年記念(山口県) 昭和61年7月倉敷駅発売。

昭和51年に鳴門に匹敵する潮流で名高い大畠瀬戸に大島大橋が開通。大島経済の活性化と観光ルート化に大きく貢献しています。
 

現在は国鉄バスはありませんが各JR会社に所属し各JRバスになっています。JRバス検索はhttp://www.tetsudo.com/ から各JRを検索してください。
また時代の流れでJRバスもかなり廃線になっています。
 
 
80bc2fce.jpegJR目黒駅前にあります久米美術館では11月11日まで佐賀藩士で岩倉使節団に随行し「米欧回覧実記」を表した父久米邦武の関係書類、メモ、息子の画家桂一郎のパリでの作品、親友黒田清輝の作品、二人のフランス留学時代の師、ラファエル・コランの作品などが展示。
 
展示スペースも個人的には丁度良い広さにゆったりと展示されています。1年に数回しかお邪魔していませんが久米桂一郎の絵は明治中期の絵ですが未だに時代を越えて素晴らしいと思います。
 
今回展示の中では「晩秋」「林檎拾い」「ブレア島の少女」「睡蓮」などパリ時代の師コランの作品は3点、友人黒田清輝の作品は自画像、久米桂一郎の肖像画の2点、また水彩画は小品ですがほのぼのとしてほっとする作品です。
久米美術館HPhttp://www.kume-museum.com/


5d14b232.jpeg大相撲は今月29日に11月場所の番付発表があります。来月の九州で1年が終わります。
 
高砂部屋しか知りませんが毎朝早くから土俵に出て稽古、稽古の毎日ですが、昼チャンコの後は昼寝や自分の時間として過ごし、夕チャンコの後、人によってはトレーニングルームで自主訓練。そんな1日が大半です。
 
奇数月は本場所が開催。この時の成績が全てを決めて行きます。この為に日々の稽古をしています。
 
稽古は、部屋だけでなく他所の部屋への出稽古もあります。下の人は中々行けないでしょうが関取について行ったり、知り合いの所へ行ったりとするようです。
 
その他に6月に茨城、8月青森・平塚と合宿があります。地元の人とふれあい歓迎をして貰い、地元の人にちゃんこをふるまったり御祭りが有れば参加したりと普段と違う場所でレクリエーションも兼ねられます。
 
現在は師匠の故郷高知で4日間の合宿が行われています。力士には気分転換にも稽古も違う環境で出来、部屋には相撲部屋の告知にもなり、力士希望者の勧誘にも旨く行けば出来ます。
 
合宿は面倒を見てくれる世話役さんがいないと出来ません。20人前後の力士・関係者の対応で、稽古場所、寝る所、交通、地元歓迎会、マスコミ対応など、その他に地元のちびっこ相撲があればその対応と好きじゃなければ中々できません。
 
高知は親方の故郷で、朝赤龍、朝乃土佐の母校明徳義塾高校が飛行場へ向かいに来てくれ沢山の差し入れがあったりします。もう一人朝乃丈は安芸市出身。
 
合宿では近くの老人施設へ必ず訪問します。まじかに大きなお相撲さんを見たり握手したりすると笑顔になったり普段しゃべらない人が喋ったり明るくなると言った科学では判断できない効果もあるようです。
 
みなさん怪我なく納めの九州での好成績を期待し特に岩手石巻出身の花ちゃん、平塚出身の弁慶は九州での大活躍を期待しています。

高知合宿は今日の高砂部屋でhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~wakamatu/

昔貼り付け獄門になった鈴が森処刑場跡の近くでお酒を飲んで帰りにはタクシーで帰った。家について自転車で行った事を思い出し早朝、チャリを取りに行く。どうもこの所物忘れが激しい。
 
チャリで帰りがてら菩提寺に参拝して近くの喫茶でモーニング途中義父に遭い京急蒲田の近くのPIOでの「おおた商い観光展」へ。http://papalin.blog.shinobi.jp/Entry/1725/
 
区内の商店、伝統工芸などが沢山出展しています。早い時間ですがTVに良く取り上げられる「羽根つき餃子」は長い列が出来ている。中をとりあえず1周、色々試食をしながら物色。
 
結局買い物は試食で美味しかった山形のつや姫5K、佃煮(いなご・たらこ・あさり)赤飯、羽根つき餃子・エビのてんぷらなどを購入。義父の家で昼から宴会。
 
e789db3f.jpeg725dd153.jpeg2時から大森駅東口駅前ではUTANフェスタがあり行司&呼び出しの会の会長をして貰っている居酒屋正助市場の正助さんが商店街の会長もしていて「大森から元気発信」と云う事で広場でDDTプロレスを開催。子供教室などもありメインの試合が始まる頃は多くのお客様が雨の中観戦。
 
de5a6bb1.jpeg毎年開催していて無料でまじかにプロレスが見られると言う事で大人気です。商店街の宣伝や売り上げは無視しているようです。兎に角大森を知ってみんなが喜んでくれればと云うようです。
 
商店街の真ん中で盆踊りや阿波踊り、ソーランなどは売らんかなで厭なんだそうです。何だかんだ2つの催しものでお酒も飲んで楽しい一日でした。
 
 

 
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