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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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b95af6c0.jpeg昨日は友人のasktakaさんと両国へ出かける約束があり、待ち合わせは品川駅。私は両国には普段京浜東北線で秋葉原乗換えで総武線2つ目の両国で下車します。今回は彼からの待ち合わせは総武・横須賀線で錦糸町へそして乗り換え両国へというコースです。

品川駅は京浜東北線、山手線、東海道線、総武・横須賀線、東海道新幹線、横に私鉄の京浜急行が走っています。

29106283.jpegちょっと早めに着きやることもなく入線して来る車両を時間つぶしにシャメ。何代目かの成田空港までの成田エキスプレス。全席指定特急で海外へ行く時数回乗りました。トランクを置けるスペースもあり此れからの海外旅行にも高揚感が沸いたものです。当時は本数も少なく個人的には不便で高速バスの利用が多かった。

今回少しの間に何本も入線してきます。そして成田から横浜方面以外にも池袋行きなどもある。そんな事を考えていたら普通車の総武快速成田行きも結構入線。此方は指定席、特急券も掛からず結構満席で出発。

1275e524.jpeg284912bd.jpeg総武快速線なのか横須賀線なのか今は車体では解らず、普通の総武線は黄色のラインで、其処の区別は解りますが。総武快速は途中地下で東京駅に入線します。

9454a55e.jpeg1639c6b8.jpeg東海道線、トコトコ列車として伊豆、箱根方面に行く時に乗ります。この所家族3人の旅は少なくなりましたが箱根へ行く時は座れないのでグリーンに乗っていました。子供はこの列車はグリーンに乗るものと刷り込んでいて帰りの小田原では始発に乗りますので普通席で充分なのですがどうしても2階(グリーン)に行くんだと泣いて抗議をしていたのを懐かしく思い出したりしました。

ほんの少しの間ですが電車を見ていたら色々思い出されます。
 
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お祭りシリーズのバラ券です。各バス駅から200円区間の乗車券です。
b09aa6da.jpeg山国祭 京都から鶴ヶ岡への京鶴線沿線昭和53年10月京都駅発売。
京鶴本線の周山から山国線丹波鳥居下車の山国神社の祭礼。
明治維新の官軍山口隊士が錦の御旗で東征した当時の山口隊の行列が行われる還幸祭がメイン。周辺には御陵などがあるそうです。
 
ad8995c3.jpeg水口まつり 草津から亀山までの亀草線 昭和54年4月草津駅発売。
滋賀県水口神社の祭礼。趣向を凝らした山鉾がにぎやかなお囃子に街を練り歩く。滋賀県では一番多い16基。
亀草線は国鉄バスとしては全国で2番目に開業した路線。現在はJRバスも廃線。滋賀交通などが走っている。
 
390c5ce9.jpeg田村まつり 亀草線 昭和55年2月草津駅発売。
田村神社の祭礼で、征夷大将軍坂上田村麻呂を祀った神社。神社の前の御手洗川に節分の福豆を年の数だけ祈念を込めて流せば全ての災いが流れ去ると言われている。
 
e7b06635.jpeg左義長まつり 八幡線 昭和56年3月近江八幡駅発売。
近江八幡の日牟礼八幡宮の毎年三月中旬に行われる「どんど焼」商売繁盛を願って十数本の左義長(その年の十二支を出し物にして作る)が出され派手な女装した若い衆が町内を練り歩く。そしてクライマックスはその左義長に奉火する火祭り。
 
a8d001dd.jpeg国鉄ハイウェーバス中国高速線 大阪―津山・落合開通記念
昭和50年11月1日 国鉄バス大阪駅から200円区間の乗車券。
名神、東名に次ぐ三番目の高速路線。
 
af0b2579.jpeg沿線観光と名産シリーズ乗車券No4 
篠山城跡と牡丹鍋 本篠山駅から100円区間。
徳川家康が大阪城包囲網の一環から池田輝政が普請奉行、藤堂高虎が縄張りを務めた強固なお城だった。濠と石垣が遺構、書院が復興されているようです。私はまだ攻め入っていません。現在はJRバスも走っていない。神姫バスが走っているようです。
丹波の猪鍋は有名だそうです。伊豆でも猪、イノブタ鍋があり懐かしい。
 

 
現在は国鉄バスはありませんが各JR会社に所属し各JRバスになっています。JRバス検索はhttp://www.tetsudo.com/ から各JRを検索してください。
また時代の流れでJRバスもかなり廃線になっています。
 
ae802754.jpegチョコレートはお茶の友と言うよりウイスキーなどのお供になります。特にキッスチョコは。小粒のキッスチョコは中々見つからず冷蔵庫の中にはハーシーの小袋が入っています。
 
前は食事で何にも考えずカツを多い時は毎日のように身体が望んでいるのか食べていました。今はボケッとしていても何となくチョコレートが食べたくなります。ロッテのクランチ、キットカットなどをかじっていました。
 
昔から食べ慣れているメリーチョコレートの製品が安心して食べられます。海外や国内の美味しいチョコレートが沢山出廻っています。でも何故かこのファンシーチョコレートが好きです。慣れていること、値段も手ごろ、色々な種類が食べられる所でしょうか。
 
板チョコ以外余り昔は食べた事もなくショコラと云う言葉もそんなに昔ではないです。昔感動したのはニューヨークの五番街のチョコレート屋で宝石のように販売していたのを見た時はびっくりしました。商品名も解らずメリーのファンシーみたいなセットを購入しました。
 
特に夕方、食事前に食べたくなり1、2個食べる程度ですが何となくほっとします。

 
6fcf803b.jpeg朝晩は、めっきり寒く冬らしくなってなって来ています。ところで秋はどうしたんだろうか、紅葉の良い所へ行っていない事もありますが街の中にはまだのようです。多く植えられている桜の葉も赤くならない前に落ち葉になっていたりもします。
 
そんな中、写真はJR大井町駅前の街路樹です。少しづつですが場所によれば色づいてきているのでしょうか。
 
143d4f2e.jpegf6dd1d0e.jpeg日比谷公園ではバラが咲き、箒草などがおしゃれに置かれていました。でも銀杏の葉はまだのようです。
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昔の江戸城外堀には結構な見附跡があります。日比谷見附跡。江戸城を囲む36の見附の一つ。

有名なところでは赤坂、食違い、四谷、牛込などもあります。





















この一年位リニュアルで閉館していた五島美術館、改装、増築を施し10月20日からオープンしています。場所は東急大井町線上野毛駅から環八を渡って少し奥へ入った住宅地の一角にあります。
 
お経巻物、有名人の書を切ったものを貼り込んで装丁したもの、国宝の源氏物語絵巻が出展しています。今回はこの源氏物語絵巻を目的にお邪魔しました。此処でも以前に見た記憶もあり、名古屋の徳川美術館でも一度見ています。
 
源氏物語は平安時代の藤原道長の娘、中宮彰子(しょうし)に仕えた紫式部の光源氏を主人公にして平安貴族の世界を描いたものです。絵巻はその源氏物語を百数十年後に書かれたもので現存する日本の絵巻の中でも最古の作品とされています。
 
五十四帖の各帖より1~3場面を絵画化し「詞書」(ことばがき)と絵を交互に繰り返す形式です。尾張徳川家が3巻、阿波蜂須賀家が1巻所有していたようで蜂須賀家の物が江戸末期に民間に流失したようで現在は五島美術館が所有(4場面)
 
鈴虫一、鈴虫二、夕霧、御法(みのり)ですが時代が経っていますので殆ど解らない、黒くなっている絵です。その為加藤純子氏による復元模写の絵が隣り合わせで展示されています。
 
レントゲン検査・顔料の化学分析などにより細密に描かれていますが今度は明るすぎて失礼な言い方をすると素人には何だかありがたみがなくなるような絵になっています。
 
この美術館は庭が広く庭園内には幾つかの茶室、休憩場、古墳などが点在し散策も出来ますが今回は中庭だけの開放になっていました。秋の気配が迫る気持ちの良い一日でした。
 
来年三月まで各時代に沿って毎月のように展示が行われる予定になっています。
http://www.gotoh-museum.or.jp/
久しぶりの洋画です。内容を解らずアラン・ポーの名前だけで見る気になりました。この数年は推理小説は余り読んでいませんが、昔は圧倒的に推理小説ばかり読んでいました。
 
ストーリーはポー作品の熱狂的なフアンが最新作を書かないポーに対しての挑発するために殺人事件を起こし、恋人を誘拐し推理させる。史実とフィクションが混ざったサスペンスものになっています。
 
開始すぐ血が出る殺人場面で見るんではなかったと反省しましたが後は、血が出るような殺戮的ものはなくポーの小説を思い出しながら見る事が出来ました。洋画は余り見ないので俳優さんなどは未だ全く解らない。
 
もうすぐロードショーは終了するようで日本一集客の川崎チネチッタでも私と外国人アベックの3人の貸切ホームシアターでした。

6eacba00.jpegこうのこのみさんの絵です。絵本画家、作品はユニセフの絵ハガキにもなっています。特徴として気球や風船、そして家族を多く描いています。メルヘンチックな絵です。80歳を超えているようです。本来は10月の結婚記念日に載せようと思っていましたが、家族で食事に行き調子に乗ってお酒を飲んだのでアップそびれたリトグラフです。
 
企業、病院などのレンタルの絵として時期が経ったようで骨董市に出ていたのを購入しました。我が家と同じような構成で長い人生の道を家族で仲良く歩いていくような構図で思わず購入。数年前に家族で行った長崎のハウステンボスのお城へ向かう道のような気がします。http://ginnohoshi.art.coocan.jp/KOUNOTORI/htm/KONOMI.htm 

そして今日はブログを初めて丁度満4年になります。友人のasktakaさんから勧められ始めたブログもあっという間の時間が経ちました。
 
鉄道、相撲、お城、美術館と好きな所を時間も出来、毎日遊んでいます。是が出来るのも家族がいて健康でいられるからだと思います。家族に感謝して少しづつ色々な物に興味を示し感動する日々を過ごしていこうと思っています。
 
是からも家族そろって手を繋いで歩いていこうと思います。こんなブログに訪問戴き深謝します。

 
73020591.jpeg3c82a616.jpeg12fc7f9f.jpeg羽田神社から元の道に戻り大師橋の下をくぐり首都高の下に「羽田の渡し跡」がるとの事ですが探すが見つからず。近くには釣り船、レジャーボートが係留され、土手からは投げ釣りを楽しんでいる人たちが羽田空港近くまでバラバラと居ます。 
fa01e6ed.jpege8ec2532.jpeg093d5958.jpegd0e81fc0.jpeg5b7f3e10.jpegc3690672.jpeg水門、赤レンガの堤防の先に「かもめ稲荷神社」があります。神社だから簡単に見つかるだろうと高を括っていたら見つからず、買い物のおばさんに案内をしてしてもらいました。一人でお住まいのようでこれから買い物なのに陽だまりの境内で暫くお話のお付き合い。
 
f916ae1f.jpeg771e2c73.jpeg106f295a.jpeg来た道を赤レンガ堤防沿いに歩き、突当り手前に「玉川弁財天」もう目の前は羽田空港、突当りの小さな所に五十間鼻。洪水時の急流から岸辺を守るために水中に長さ50間(90M)に渡り石を敷き詰めて作られた。手前には水難事故を祀る無縁堂があります。此処は初日の出のスポットでもあります。何人かが此処から飛行場を見ています。多摩川の土手のサイクリングコースの終点にもなっていて話をした人は府中市から来たそうです。
 
1e256af0.jpeg弁天橋に向かい飛行場の道を少し戻ると「白魚稲荷神社」が出てきます。祠といった典型的な稲荷社が多い中で境内がありますが何もない。
 

82e56d47.jpeg8235dc14.jpegea7d11af.jpeg京急の線路に向かいその先左に向かいますと最後の穴守稲荷神社へ出ます。この神社は正月は近隣から多くの参詣者を集める有名な大きな神社です。元々は現在の飛行場にあり米軍の撤収命令により現在地に移転いましたが残った鳥居に色々な災いが有ると中々撤去できなかった話題になった大鳥居の稲荷神社です。
0bb1bfab.jpeg9776412e.jpeg鈴木新田開発の時沿岸の堤防が大きな穴があき被害を受けたそのため稲荷大明神を祀った事から始まったようですが、穴と云う事で花柳界のお参りもあり昔は近くに温泉場、旅館もあり一大遊行地でもあったようです。

403b2093.jpeg233ab644.jpege43284fb.jpeg境内には稲荷大明神の他に小さな祠がありそれぞれ出世、繁盛、開運、必勝などのお稲荷さんが合祀されています。また招福の砂が貰え、自宅などに蒔くと願いがかなうようです。さて私の効果は。
ecf6db10.jpeg87a170c4.jpegebb98a18.jpegお稲荷さんは食物神、商売繁盛などで商店などが自宅に祀ったり全国に多くのお稲荷さんがあります。羽田は周りが多摩川、東京湾と云う事で昔は新田開墾、漁師の水難事故防止などで羽田地区に多くのお稲荷さんが点在し、それが大きな神社に合祀されたりしているようです。
 
447fac7f.jpegea693225.jpeg帰りは京急穴守稲荷駅から帰宅。駅前には鳥居、そしてコンちゃんという狐がお出迎えでした。


0355b671.jpeg食事を入れて4時間の散策です。自宅から糀谷まで1時間、食事、見学などを除くと2時間ちょっとでしょうか。土手沿いの道が多く郵便局のスタンプは1局しか出来ず。陽だまりの中ちょっと汗ばむ散策でした。

 稲荷社についてはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E
 
3c24b709.jpeg先日山の手新宿七福神巡りをしました。今日は羽田の七福いなり巡りをしました。京急の空港線糀谷から大鳥居、穴守稲荷駅の三駅にまたがるお稲荷さんを巡る散策です。
 
七福いなりという珍しいものです。しかし実際は番外があったりして巡る数は9つになります。稲荷と言えば白いきつねと朱い鳥居、そして稲荷ずし。正月の運動不足解消とご利益を求め散策のコースとして出来ています。朱印のスタンプラリーも正月は開催されているようです。
 
bbe4ab66.jpeg1f751e4b.jpeg自宅から糀谷まで徒歩で1時間近く掛かりました。糀谷駅からスタートです。幸先良く稲荷寿司を売る店が、これは楽しみだ。まずは駅から多摩川の土手方面に歩きますと萩中神社がありその中に合祀されている「東官守稲荷神社」があります。身体安全、海における仕事の安全を守る守護神だそうです。
 
萩中には寺町と言っていいように多くのお寺さんが並んでいます。20以上はあるんではと思います。江戸の時代に此方に移されたのでしょうか。立派なお寺、ちょっと寂しいお寺など時間が有れば廻りたいといつも思っています。
 
e93a622a.jpegdb632ab6.jpeg南下して出雲小学校の裏側に「妙法稲荷神社」招運厄除け、大洪水の被害から立ち直る為に鎮座されているようです。


 
cb8d51b2.jpegそこから3分位でバス通り沿いに「重幸稲荷神社」開運長寿、五穀豊穣を願って設立。ここから土手沿いのバス通りを暫く歩き都南小学校とつばさ総合高校の間に「高山稲荷神社」が出てきます。学業成就、前社が飛騨高山の大工によって設立されたそうです。
 
da922035.jpeg36ba666b.jpegこの付近は工場跡地に団地やマンションが多く立ち並んでいます。大きなホームセンター、ショッピングセンターが建っています。すぐ土手ですから何となく郊外といった雰囲気で変わった塔は都営住宅の貯水塔、現在は運送会社等が祀る馬頭観音なども。
 
a0455aad.jpeg途中正蔵院前には羽田街道の碑があります。左 三原 東海道 左 七曲 要嶋と書かれています。説明によると旧東海道の美原通りから内川沿いに江戸時代まで「駿河屋」という(歌舞伎で出てくる白井権八に声をかける幡隋院長治衛、『お若いのお待ちなせい』の提灯が駿河屋)この跡地が現在、するがや通りと言います。厳正寺、三輪厳島神社、新呑川の末広橋を渡り大鳥居商店街に至り産業道路に出てこの正蔵院を通って弁天橋に至る5Kを羽田道と云うようです。
 
048f82d2.jpeg0987d9eb.jpeg産業道路下に羽田神社があります。この神社は羽田の氏神様で此処の神輿の担ぎ方は「ヨコタ」という独特なもので7月のお祭り(羽田まつり)は良くテレビで放送されます。担ぎ手3000人、見学者3万人と言われています。氏子には羽田空港があり全日空、日航などの客室乗務員が飲み物サービス、団扇などをボランティアで配布もあるようです。
 
befd4182.jpega433d9f5.jpeg今までが小さいやしろですがこの神社は立派です。境内の中には鈴納稲荷神社、増田稲荷神社、日枝神社、羽田稲荷社がありその他にこの神社が兼務する神社は今回廻っている稲荷神社の大半がこの神社が統括しています。近隣神社14社を兼務社としています。
 
3fe75c56.jpeg文久元年(1861)に疱瘡(天然痘)が蔓延、時の将軍徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により疱瘡神よるもとし崇め祀ったものから「疱瘡除祈願御礼の碑」があったりし江戸時代は徳川家、島津家、藤堂家により厚く信仰されてきたようです。また運行安全、航空安全の他に病気平癒、身体安全も祈願されてきます。大田区唯一の富士塚もあります。(続く)

(小さい写真はクリックすれば大きくなります。) 

 
熊野古道シリーズ昭和54年7月から発売され長期に渡り出ています。これもバラで絵が綺麗なので在庫分を購入した記憶があります。国鉄バス紀伊田辺駅から300円区間の乗車券で発売は大阪駅です。
 
国鉄バス熊野線沿線沿いの熊野古道とその道路沿いにある王子(遥拝・休憩・宿泊所)を中心に熊野古道シリーズとしています。王子は熊野九十九王子があるようです。私はこの古道を歩いたことがありません。バスで行って那智の滝くらいを見た程度です。
 
熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道で5つの道があるそうです。現在紀伊山地の霊場と参詣道の一部としてユネスコの世界遺産に登録されています。
 
10328891.jpegNo1瀧尻王子
熊野九十九王子の中でももっとも由緒ある1つに数えられています。古代の法皇、上皇が熊野詣の途中、いよいよ熊野霊域に足を踏み入れるこの地で茶会や歌会を催した。昭和54年7月発売。
 
b4ff7a5d.jpegNo14塩垢離の浜
熊野詣のに際しこの浜で海水を浴びて身の穢れを清めて旅たったと言われる。現在は埋め立てられて公園となっています。昭和56年9月発売。
 
6cab48d6.jpegNo16大門王子
建仁元年の御幸記には記録がなく、享保8年紀州藩が当時なくなっていた王子跡に建てたといわれる。昭和57年1月発売。
 
a55d573d.jpegNo17 八上王子
八上神社として祀られて、西行法師の熊野参詣の歌碑がある。昭和57年3月発行。
 
2e57ae37.jpegNo18高原熊野神社
地元では高原王子とよばれていますが九十九王子には入っていません。室町時代熊野権現を本宮大社より勧請して熊野詣の途次に設けられた。王子社とは別に独立の崇拝を受けたもののようです。昭和57年5月発売。
 

現在は国鉄バスはありませんが各JR会社に所属し各JRバスになっています。JRバス検索はhttp://www.tetsudo.com/ から各JRを検索してください。
また時代の流れでJRバスもかなり廃線になっています。
 
 
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