美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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東北新幹線30周年の記念切符を購入する為、早朝よりJR大宮駅へ行きました。折角大宮駅へ行ったんですから時間もあるし何をするか検討をしました。
1つはJRの鉄道博物館見学、2つ目は会社の先輩の墓参り。大変お世話になった方で毎年11月には7回忌まで大宮からバスに乗って墓参りに行きました。その後は13回忌に1度お参りしただけです。3つ、何度か乗り換えますが流山線を歩く。
結論として今回は流鉄流山線を歩くことにしました。大宮から京浜東北線で南浦和で武蔵野線に乗り換え新松戸で常磐線に乗り換え1つ目の馬橋で流山線へというルートです。
流鉄流山線は、JR馬橋駅のホームから流山までの5.7K,単線、始発駅含め6つの駅、ワンマン運転の短い路線で私鉄です。それも町民が電車がほしいと言う事で1株株主を集め作った町民電車です。車両は元西武鉄道の車両を使っていて流星、流馬、菜の花、あかぎなどの愛称が付いています。
まず馬橋駅から終点流山駅まで乗りました。車窓は住宅地や未開発の地などを見ていますとあっという間に到着です。途中乗ったJR武蔵野線よりは住宅地になっています。
流山駅は千葉県ですがすぐ近くに江戸川が流れ対岸は埼玉県になります。建物も昔の建物が数多く残って明治の趣も感じます。駅からすぐ流山街道が南北に走っています。常与寺、此処はお寺自体は大した見るものは無いですが県内初の師範学校があった所のようです。場所は転々としますが現在の千葉大学の前身になります。
横の浅間神社は江戸時代初期の創建で新撰組を包囲した新政府軍の仮本陣を敷いたところだそうです。特筆としては境内裏に富士塚があります。品川神社の富士塚より狭く、岩がゴロゴロして手すりもないちょっと足元が怖い立派な富士塚です。
流山街道を南に少し下ると明治の建物の寺田園茶舗「見世蔵」という万華鏡のギャラリーがあります。もうお茶は販売していなくその建物を風景画や万華鏡のギャラリーにしているようです。
ちょっと来た道を駅方面に戻ると右側に蔵が見え、そこには近藤勇陣屋跡の場所に出ます。長岡屋という酒造家を最後の陣営をしき再起を図ったが新政府軍に包囲され、これ以上の戦いは将軍の意に背くと単身出頭して捕まる。此処で土方歳三と別れの地となる。土方は此処から会津、函館へと向かう。長岡屋は現在も此処でお酒を作っています。
少し下るとこの地で多分一番大きいキッコーマンの味醂工場があります。昔は流山線の貨物線を引き入れていたようです。工場をぐるッと廻りましたが線路跡は見つかりませんでした。工場の後ろは江戸川ですから昔は船を使って輸送もしていたのでしょう。工場の脇に立派な庚申塚があります。今でも地域信仰が続いているようです。
此処から線路に戻り線路に沿って歩いていきます。線路沿いには住宅地や畑、川もあり中々素直に沿って歩けません。段々づれて行きますが初めての道ですからなるべく線路に沿うように無駄な歩きですが迷子にならないように歩きます。
この先は特別見るべきものがないようですが駅には寄って入場券を購入していきました。駅は有人駅です。この程度なら無人でもと思います。自動券売機がありますが駅員から購入すると硬券の入場券です。またスイカ、パスモは使えません。
鰭ヶ崎駅(ひれがさき)は単線の車両の待ち合わせ駅です。次の小金城跡駅は昔はお城があったようですが今は無く、住宅地に石碑があるだけのようです。この他に東福寺には左甚五郎作の目つぶし鴨といわれる彫刻があるようです。
幸谷駅はホームをマンションの1階?を利用していると言う変わった駅といった程度です。もっと細かく研究していけば有るんでしょうがこのまま行ったり来たりをしながら線路にそって馬橋まで歩きました。
当初この地に明るい友人のちょんまげさんが駅間があると言っていましたが世田谷線と同じ距離で見る所も少なく時間的には3時間程度で完走しました。今日のお土産は流山線の入場券でした。
流鉄流山線のイベント、ニュースは下記のカテゴリー東日本、地方線でご覧ください。
http://www.tetsudo.com/
1つはJRの鉄道博物館見学、2つ目は会社の先輩の墓参り。大変お世話になった方で毎年11月には7回忌まで大宮からバスに乗って墓参りに行きました。その後は13回忌に1度お参りしただけです。3つ、何度か乗り換えますが流山線を歩く。
結論として今回は流鉄流山線を歩くことにしました。大宮から京浜東北線で南浦和で武蔵野線に乗り換え新松戸で常磐線に乗り換え1つ目の馬橋で流山線へというルートです。
流鉄流山線は、JR馬橋駅のホームから流山までの5.7K,単線、始発駅含め6つの駅、ワンマン運転の短い路線で私鉄です。それも町民が電車がほしいと言う事で1株株主を集め作った町民電車です。車両は元西武鉄道の車両を使っていて流星、流馬、菜の花、あかぎなどの愛称が付いています。
まず馬橋駅から終点流山駅まで乗りました。車窓は住宅地や未開発の地などを見ていますとあっという間に到着です。途中乗ったJR武蔵野線よりは住宅地になっています。
流山駅は千葉県ですがすぐ近くに江戸川が流れ対岸は埼玉県になります。建物も昔の建物が数多く残って明治の趣も感じます。駅からすぐ流山街道が南北に走っています。常与寺、此処はお寺自体は大した見るものは無いですが県内初の師範学校があった所のようです。場所は転々としますが現在の千葉大学の前身になります。
横の浅間神社は江戸時代初期の創建で新撰組を包囲した新政府軍の仮本陣を敷いたところだそうです。特筆としては境内裏に富士塚があります。品川神社の富士塚より狭く、岩がゴロゴロして手すりもないちょっと足元が怖い立派な富士塚です。
流山街道を南に少し下ると明治の建物の寺田園茶舗「見世蔵」という万華鏡のギャラリーがあります。もうお茶は販売していなくその建物を風景画や万華鏡のギャラリーにしているようです。
ちょっと来た道を駅方面に戻ると右側に蔵が見え、そこには近藤勇陣屋跡の場所に出ます。長岡屋という酒造家を最後の陣営をしき再起を図ったが新政府軍に包囲され、これ以上の戦いは将軍の意に背くと単身出頭して捕まる。此処で土方歳三と別れの地となる。土方は此処から会津、函館へと向かう。長岡屋は現在も此処でお酒を作っています。
少し下るとこの地で多分一番大きいキッコーマンの味醂工場があります。昔は流山線の貨物線を引き入れていたようです。工場をぐるッと廻りましたが線路跡は見つかりませんでした。工場の後ろは江戸川ですから昔は船を使って輸送もしていたのでしょう。工場の脇に立派な庚申塚があります。今でも地域信仰が続いているようです。
此処から線路に戻り線路に沿って歩いていきます。線路沿いには住宅地や畑、川もあり中々素直に沿って歩けません。段々づれて行きますが初めての道ですからなるべく線路に沿うように無駄な歩きですが迷子にならないように歩きます。
この先は特別見るべきものがないようですが駅には寄って入場券を購入していきました。駅は有人駅です。この程度なら無人でもと思います。自動券売機がありますが駅員から購入すると硬券の入場券です。またスイカ、パスモは使えません。
鰭ヶ崎駅(ひれがさき)は単線の車両の待ち合わせ駅です。次の小金城跡駅は昔はお城があったようですが今は無く、住宅地に石碑があるだけのようです。この他に東福寺には左甚五郎作の目つぶし鴨といわれる彫刻があるようです。
幸谷駅はホームをマンションの1階?を利用していると言う変わった駅といった程度です。もっと細かく研究していけば有るんでしょうがこのまま行ったり来たりをしながら線路にそって馬橋まで歩きました。
当初この地に明るい友人のちょんまげさんが駅間があると言っていましたが世田谷線と同じ距離で見る所も少なく時間的には3時間程度で完走しました。今日のお土産は流山線の入場券でした。
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