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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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山王台地が明治中頃から大正期にかけて高級住宅地として発展するのは官設の大森停車場が開設したことによるところが大きい。開業当初は乗客が少なかったが明治22年頃から山王台地に政治家、実業家、高級官吏、将校などの住宅、別荘が建ち始めた。

 

明治の大森停車場は東海道線の陸蒸気と云われた列車で電車はまだ走っていなく本数も少なく時間通りでもなくホームで待つ必要があった。

 

プラットホームは上りと下りに別々にあり駅の東側には待合室があったが上りのホームには無く、簡単な屋根とベンチだけだった。それでは待ち時間が長く風雨に晒されることもあり不便で当局に陳情するも中々実現しない。

 

そこで今の西口の一部に50坪程の土地を借り自分たちで作ろうと言う事のなり会員を募り本当に明治39年に作ってしまった。会員は著名な政治家、学者、実業家、軍人など。初代委員長に司法官児島惟謙(こじま・これたか)が選ばれた。このおじさん確か丸亀だか宇和島の城内の広場で銅像を見たような?

 

この施設は待合室だけでなく社交場としての機能も持ちビリヤード、囲碁、将棋などもできそれなりの人の溜まり場になった。お互いの家を行き来しなくて、家人にも迷惑がかからず倶楽部として機能していったようです。


まだ電話も普及していない時代ここに来れば誰かに会えると言う「倶楽部」の機能が喜ばれたようです。入会金5円、月会費1円、夫婦者を雇い住まわせていたようです。

 

荏原郡の貴族院とも言われ地域の発展のためにも尽力をした。元来農村の新井宿と漁業の不入斗の合併の入新井村にも嫌がる不入斗の人々を調整をしたそうです。大正2年には西口出改所が出来、跨線橋も出来、この倶楽部の運動のたまものと言われている。

初期の目的を達成したのだから倶楽部は解散かと思いきや未だに大森倶楽部は存在し活動をしています。当初の目的から活動内容は変わっています。馬込文士村等の
PR活動など。5月末にモントレで総会が行なわれていたようです。設立から100年以上経っています。

 

 大森倶楽部JR大森駅 西口のスロープの右側 駅に隣接) 
                 

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