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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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高知城の画像
別名  大高坂山城、河中山城
構造  平山城
現存天守12のひとつ
構造  独立式望楼型 4層6階
城主  山内一豊

ちんちん電車で県庁前で下車して追手門へ向かいます。此処には城主山内一豊、妻千代、板垣退助の像などが迎えてくれます。此処の城主はNHK大河ドラマ「功名が辻」で有名になった山内一豊です。

山内一豊は、妻のへそくりによる名馬を購入、織田信長から掛川城を貰い、関が原の戦いでは家康にいち早く掛川城を進呈しその貢献により家康より土佐24万石へ出世しました。

土佐は長宗我部元親の領地でしたが西軍に属した為お家取り壊しになりました。本来家来は殿様と運命を共になります。殿様が出世する度に新規雇用をしていくので地元出身者はいないのですが、高知や薩摩などはまだその流れが出来ていなく地侍、国侍となっていました。

山内一豊は早い期間でお城を作ります。敵は長宗我部元親の家来です。何時反乱を起こすか解りません。彼らの一部を未開地開発と引き換えに郷士として登用し不満を解消。幕末維新で大活躍の郷士は彼らからが多く、知的で政治意識も高かったようです。

今ブームの龍馬は当然お城へ上がれるお目見えではなく城には一度も上がったことはないようです。

お城は標高43Mで鏡川、江の口川との挟まれた丘の上に天守を建てた。お城は掛川城と同じ造りで城下町は二つの川に挟まれた地域に東西に長く伸びています。

お城からは何処もそうですが城下が一望、疲れた身体や汗にも風が涼しく登りきったご褒美なんでしょうか。

お城の近くに「ひろめ市場」という屋台村みたいな沢山のお店があり安く美味しいものが一杯でした。魚の卵の煮付け、鰹のお寿司など食べきれなく、夕食代わりみたいな車内での一杯のつまみになりました。確かその列車もアンパンマン号だったような気がします。高知から一気に坂出へひとつ飛び。個人的だが高知城より土佐城の方が何となくあってるようなきがします。

容堂なども本来殿様になるはずも無く気ままな生活をしていたため世間知らずの殿様でなく、その意味で薩長土肥の一角を占め自由民権運動の中心的な役割を果たせたんでしょうか。
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