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二日目
綾部駅から福知山駅へ。福知山駅には昔懐かしい国鉄型特急が3台も並んでいます。また京都丹後鉄道の特急も。改札も上はデジタルの出発表示ですが改札は係員の人的な作業でほのぼのとしています。
目指すお城は車中から見えましたが駅までかなりあり確か徒歩15分だと思ったがこの暑いさなかもっと時間が掛かるかと不安になりながら向かう。
福知山城
別名 横山城、臥龍城、福智山城
構造 連郭式平山城
天守 複合・連結式望楼型(現在は昭和60年の外観復元)
城主 明智光秀、青山氏、朽木氏など
遺構 曲輪、石垣、井戸、移築番所、門
再建 大・小天守、続櫓、釣鐘門
交通 福知山駅から徒歩15分、火曜休館、310円
織田信長の命により明智光秀は山陰道、秀吉が山陽道を攻め入り丹波国を平定、光秀が築城し女婿の明智秀満が入城。
2重3階の大天守、2重2階の小天守を復元し中は博物館になっている。天守周りには天守台に使った五輪塔、墓石などが大量に使用されていたものが展示されている。今でも天守台には墓石が入っている。(転用石)。近隣の寺から大量に墓石を持ってきたようです。
深さ50mの日本一の深さの豊磐井と言う井戸が。関係者の方がそう説明して戴きましたが確か丸亀城の井戸が日本一と記憶していたのだが。この他に銅門番所が移築され、光秀も祀られている神社もある。城の上り口には日本画の佐藤太清の記念美術館もある。
光秀は娘が嫁いでいる細川忠興に応援を頼むも断られた時点で敗戦だったのか。細川忠興の妻ガラシャは悲しい末期に。忠興の父細川幽斎は田辺城での籠城戦では天皇まで巻き込み助かる、後には細川家は九州での大大名になる。街では大河ドラマの誘致を目指そうとしているが明智光秀では難しいだろう。細川ガラシャでその父として出るくらいか。
駅に戻る途中商店街の中に福知山ポッポ館があるとの事でお邪魔した。長い屋根付きの立派な商店街だが人が歩いてなく店も殆ど閉まっている地方でよく見る典型的なシャッター通りになっている。
切符や大きなジオラマもあり立派な物でした。あまり時間がなかったが係りの人から丁寧に説明をしていただきました。帰りは早足で駅に向かい福知山から京都、そして名古屋へ向かう。
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