[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
亀山城
通称 粉蝶城
構造 平山城
天守 現在なし
築城 関実忠
城主 関、岡本、本多、石川氏他
遺構 多門櫓、石垣、堀
(多門櫓平成24年3月に補修完成予定)
開門 いつでも、城址公園
交通 JR紀勢本線亀山駅徒歩10分(坂道)
1265年(文永2年)関実忠によって築城、江戸時代は東海道の要所の一つで将軍が京都へ行く時此処で1泊して次の難所の鈴鹿峠を越えて膳所城か大津の宿で1泊して京都へ向かう重要なコースでもありこの藩主は二の丸御殿で住んでいた。広重の東海道五十三次の絵にも右側にお城が描かれています。
昔は同じ名前の藩があり紛らわしかった。嘘のような話で丹波の亀山城の天守を解体するようにの命を間違え伊勢のこの亀山城の天守を解体してしまった。
現在唯一残る多門櫓は高い石垣の上にあります。下の小学校から見れば見上げるような高さです。これは本来あった天守の場所に構築されたようです。敵の防御として横矢枡形になっています。横矢枡形は字の如く横合いから鉄砲や矢を撃てるように枡形に飛び出しています。
亀山城は基本的には土塁で作られています。櫓などだけに石垣が使われているだけのようです。石垣は野面積みです。右の写真の上部のシートが多聞櫓。
明治に入り藩知事を任命にあたり紛らわしい名前は変更されました。丹波の亀山は亀岡に紀伊田辺と丹後の田辺は丹後が舞鶴と云ったように整理されました。
たった一つの多門櫓を見に行きました。JR駅ではわざわざ案内の紙まで戴いたのですが現在修理中で中が見えません。これしかないのにちょっと言ってくれればがっかりしなかったのに。暑い日で非常に残念でした。広重の絵でお城を想像するしかありません。絵の右上がお城。(浮世絵はウィキペディアより)
人はそれぞれ性格が違いますが今回ではJRの(亀山、郡山)職員より近鉄や伊賀鉄道の人の説明がたまたまかも知れませんが親切でした。多門櫓は平成24年3月に補修が終わるようです。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |