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佐賀城
別名 栄城、沈み城
構造 平城
天守 非現存
城主 鍋島直茂
遺構 鯱の門と続櫓、石垣、堀、土塁
再建 御殿
佐賀は平らで起伏のない平野でその為堀の幅は50mとも70mと言われる防衛線となり、城下にも縦横に水路が作られて今でもかなり残っている。
明治時代の佐賀の乱で大半の建築物は鯱の門、続櫓を残し消失している。現在は木造で本丸御殿が忠実に再興されて歴史博物館になっている。見学は案内までついて無料。館内で鍋島直正生誕200周年の大閑叟展が開催中。
鯱の門には鉄砲の弾傷が沢山ついています。城下には小倉から長崎までの長崎街道がのこぎりの刃のようにして残っている。
長崎警備の任を通じて鍋島直正(閑叟)は早くから西洋事情に通じていて早くから洋式兵器の導入と技術開発の力を入れていた。蒸気船、銃砲を購入する一方反射炉を作り大砲製造にも取り組んだ。(キャノン砲、アームストロングのレプリカは至る所に飾られています。)
その成果は上野の彰義隊を打ち砕いたアームストロング砲、東北などの戊辰戦争などでも鍋島藩があったから優位に戦えた。世の中が佐幕か勤王かと言う時代佐賀は実用的な物づくりと人づくりに取り組んでいた。
大隈重信、江藤新平など急進派の脱藩者も出たが閑叟は寛大に接し佐賀藩では内紛はなかったようです。あまり目立たない地味な殿様ですが一番の名君だったかも。
旧古賀銀行、旧古賀邸、旧三省銀行など長崎街道沿いには佐賀市歴史民俗館を形成しています。旧福田邸では佐賀錦の展示や体験ができます。
その近くの佐嘉神社、松原神社は鍋島藩ゆかりの神社。工事中の大隈重信記念館、さがレトロ館(食堂)、帰りがけには徴古館、弘道館跡、鍋島段通ギャラリー、駅前の反射炉のモニュメントをみて反射炉を見たことにして佐賀駅から博多へ向かう。昼食はお決まりの佐賀牛。
早朝散歩を兼ねてほとんどの施設の位置を確認したので9時過ぎにはスムースに廻れたが2周したようなものでした。
2泊3日の短い旅の終了で佐賀駅より特急みどり、福岡市営で福岡空港へ雨の羽田には5時着。
<余談>
前の晩は六時過ぎに佐賀駅に着き宿を何とか見つけ、天吹、蔵心、鍋島の佐賀の酒と土佐の船中八策、石川の黒帯、山形の山法師を有明の珍味と刺身でちょっと飲み過ぎた。今回焼酎は全く戴かなかった。ノンベイの感で二泊とも美味しいお店に入れた。
65歳を超えるとシニア割引で乗れることを現役社長で相撲仲間で毎月沖縄の別荘に行くチョンマゲさんに教えてもらい初めての利用だったが飛行機は待ち時間が長く列車の方が良い、しかし遠くは飛行機になりますね。
佐賀市へきて此れで47都道府県県庁所在地制覇となりました。
23日千秋楽、九州場所打ち上げに行きたかったが残念ながら博多周辺はジャニーズ公演のようでホテルが取れずパーティ出席、アラ鍋は次回になった。
優勝は白鵬23回目と言う凄い記録なった。足腰が以前に比べれば弱くなったと言いながらまだまだ29歳、他の横綱、大関陣を見てももっと記録を伸ばすだろう。
場所前期待していると挙げた十両輝は10勝5敗の好成績、第二の出島、輪島に化けるか。英乃海は足首ねんざで休場も再出場で7勝5敗3休で怪我がなければのタラレバ。実力はみんなあるので怪我をするかしないかの差が相撲人生に。無事此れ名馬でしょう。
肝心の高砂部屋力士は前半あまり成績も良くなく特に幕下朝弁慶、朝興貴は負け先行、結果3-4、最後の相撲で勝ったのは大きい。同じ幕下朝天舞は57枚目では楽勝かと思いきや4-3の勝ち越し。
唯一の関取朝赤龍は初場所以来の勝ち越し9-6、入門すぐに若年性脳梗塞を患い長い間逃げず苦労してきた朝ノ島、先場所負け越し序二段になったが今場所勝ち越し新年は三段目に復帰して雪駄が履ける。部屋全体的は後半成績が伸び好成績で納めの場所となった。後は朝西村の怪我が治り復帰が待ち遠しい。お疲れ様でした。
鬼が笑うが来年はアラ鍋を食べに行きたい。
平戸城
別名 亀岡城
構造 平山城
天守 元々は天守は無かった。
模擬天守三重三階RC造り
城主 松浦鎮信
遺構 櫓、門、石垣
再建 天守、櫓
平戸大橋を渡ると遠目から天守閣が見える。城へのバス停を降りそこないまた坂を上る羽目に。ただ此処は唐津城みたいにそんなに歩かなくても天守へ行けます。
島の北部に三面を海に面し天守からの眺めは素晴らしい。最初の城は嫡男死後火を放ち破却している。自身は対岸の現在の松浦資料館に移り七年後に亡くなる。
元禄16年に東シナ海警護の為か特別に築城許可が出る。山鹿素行の子供の築城指導による。オランダ、イギリスとの交易が財源だったが出島に移ると藩財政は厳しくなる。
此処はいくつもの櫓が復元されそれが珍しく解放利用されている。櫓は普通そのまま外からの見学が一般的。天守には長崎古版画展がそして鍔にも十字架が。
向かいの松浦資料館、そして観光写真に出てくる教会と寺の風景。此処まで来たのだからとザビエル記念教会まで向かい反対側から丘を下りバス停へ向かいたびら平戸口へ戻る。
残念ながら松浦鉄道の便が旨く接続できず、高速バスで佐世保へ向かい、そこからJR普通で肥前山口へ、特急ソニックで佐賀へと入る。
伊万里からたびら平戸口向かう列車の時間が大分あり駅前を散策することに。時刻表を持たないいい加減な旅ではこういう事が多い。
伊万里と言えば港から近隣の陶磁器を輸出する港町で此処から出島を通じて海外に輸出された。また鍋島藩が伊万里の山の中で窯業していた「鍋島」が有名。
駅内にも陶磁器のお土産や展示がされています。早朝のためお店は開いていませんが多くの専門店がありました。またシンボルとして駅前や橋の欄干にも大きな陶磁器が鎮座しています。
川の近くの佐賀銀行には陶磁器のからくり人形も陶器商家資料館、海のシルクロード館などもあります。
個人的には陶磁器より土が感じる唐津焼の方が好きです。尤も古伊万里、鍋島は私には買えないのだが。今回は唐津焼をはじめ多くの焼き物を見られました。
一時間近く散策して松浦鉄道でたびら平戸口へ向かう。
唐津城
別名 舞鶴城
構造 平山城
天守 あったかなかったか不明
望楼型5層5階のRC構造の模擬天守
城主 寺沢広高、水野忠邦、小笠原氏など
遺構 石垣、堀
再建 天守、復元櫓、堀、石垣
唐津駅から大分離れた海側にお城はある、麓の学校にも石垣が残っていて此処からの天守の眺めも良い。姫路城以来でのんびり見ていたが此処から城まではかなりの階段を登った。
結構な階段で息上がるも天守からの眺めは今までの疲れを吹っ飛ばす素晴らしい眺めです。青い海、虹ノ松原、海から見てもさぞや素晴らしいだろう。名護屋城の廃材を利用して多くの櫓を作ったようです。
平山城ですが海城みたいな三方は海のお城。此処へ来る前の市役所にも肥後堀として復元されている。名護屋城の留守居役と言う面もあり九州大名による普請でできたお城のようです。
寺沢広高の息子の時代に島原の乱があり結果唐津は安堵されたが責任を取ったのか江戸で自決嫡男なくお家断絶。その後の有名な殿様は天保の改革の水野忠邦、唐津藩は長崎警護役で老中になれず石高の割に実収の少ない唐津から願い出て浜松へ移り小笠原家の分家が入ったようです。
旧唐津銀行、辰野金吾の弟子による重厚な建築物、石炭王の高取邸、此処は杉絵が素晴らしかった。近くに川村美術館があり青木繁没後100年記念展がありましたが残念ながら休館日。今回は佐賀県立美術館も休館日にあたってしまった。普通月曜だろうとツッコみたくなる。
当日予約したビジネスへ向かうが近くに寺町がありその中の近松寺へ参拝。小笠原家、近松門左衛門などのお墓があった。庭も素晴らしく何故か長崎26聖人供養の古田織部考案と言われる織部灯籠がある。
夜は駅近くの居酒屋で万齢2合、天山1合とマスターおすすめの刺盛りと地の魚をミンチした揚げ物などを戴いた。佐賀は焼酎でなく日本酒が盛んなようだ。隣り合わせの旅人とマスターと盛り上がる。途中長崎のネッ友から電話がありびっくり。
鉄道好きとしては乗っていない路線に乗ったり私鉄ですと硬券入場券、記念切符のがあったり降りる度に楽しみがある。
最初の電車は福岡市営地下鉄、これは何度か空港まで乗っているが姪浜までは初めて。
筑肥線で姪浜から唐津まで乗る。市営との相互乗り入れでJR九州の電化区間、1Cカードも使えJR東のスイカを使用。松林、博多湾、住宅地、虹ノ松原と車窓は楽しめた。ワンマン運転303系。
松浦鉄道は国鉄民営化に伴い、旧松浦線が三セクになる。当然のように伊万里で分断されている。有田から半島を一周近くぐるっと回るが佐世保で途切れる。
車両が古いのか線路整備が悪いのかバウンドするような感じがする。今回は伊万里からたびら平戸口でいったん降りその後佐世保まで乗るつもりでしたが便が悪く、たびら平戸口からはバス利用になった。大半が無人駅、単線非電化。本当は佐世保まで乗りたかったが。
その他に佐世保線で普通、肥前山口からかもめ、佐賀から博多まではみどりを利用。
佐世保では大村線のシーサイドライナーの車両、此れに乗れば長崎のネッ友に会えるのだが。伊万里では少し散策。唐津行Y-DC125が。鉄道情報には鉄道ドットコムをhttp://www.tetsudo.com/
七年に及ぶ無益な侵略戦争は秀吉の死によって終了した。朝鮮半島を焦土と化し豊臣政権の衰退を速まらせた。
単なる海岸の一寒村が大阪城に次ぐ大規模場城が出来、120以上の大名の陣屋が出来10数万人の都市を形成した。兵どもの跡地に立つと本当に朝鮮半島が、目の前の綺麗な海には明の船があるようにも感じられる。
現在は発掘作業の整理で石垣なども修理され周りには遺跡の展示がされています。一度は来てみたかった名護屋城址、やはりスケールが違いよくもこんな大きな縄張りを組んだものだと感慨が大きい。
結果は散々なもので朝鮮国内での人的、物的略奪はその後の文物・技術は日本国内の発達には大きな影響を与えたが。
城址の前には県立の名護屋城博物館があり模型などを使って名護屋城築城前、築城、その後と紹介しています。入場無料
名護屋城へは唐津バスセンターから直接の便もあるが少なく、烏賊で有名な呼子へ行き、今回はタクシー往復となった。
今回の城めぐりの中では一番のメインのお城で城内跡地を1時間半位しか散策できなかったが何とも言えない感慨があった。
世の中そうは上手く行かないもので23日は博多周辺、かなり離れた地域も満室、ジャニーズ公演があるようです。翌日は何処もガラガラなのにそして翌日夜はマネージャーは都合が悪いときている。やはり佐賀県は相性が悪いのかと半分諦める。
そんな時相撲仲間のハギさんが先に全国制覇した事を知り私も遅ればせながら年寄り割引の空港券もあるとの事で重い腰を上げた。
全く計画なしの出たとこ勝負で出かけました。コースは早朝一番の飛行機で福岡から市営地下鉄で姪浜、筑紫線で唐津、唐津から呼子の名護屋城、名護屋城博物館見学、イカ料理の昼食、戻って唐津城、高取邸、唐津曳山、旧唐津銀行などを見学し宿泊。
2日目は早朝筑紫線で伊万里、少し散策して松浦鉄道でたびら平戸口、そこから平戸島へ平戸城、松浦資料館、ザビエル記念教会などを見学、平戸口に戻り高速バスで佐世保駅前、佐世保はパスして特急ソニックで佐賀へ佐賀牛の夕食をとり宿泊。
3日目も早朝より佐賀城周辺を散策。鍋島藩ゆかりの佐嘉神社、松原神社参拝、見学予定の場所を確認したら9時過ぎになり佐賀城本丸御殿、工事中の大隈重信記念館、徴古館、旧古賀銀行などの歴史民俗館、佐賀錦の旧福田邸などを見学。ほぼ2周した計算です。
佐賀駅から特急みどりで博多、市営地下鉄で福岡空港、夕方5時には雨の羽田へ。本来は3泊のつもりでしたが早足ですが大体廻ったので吉野ヶ里公園、武雄・嬉野温泉は残念ながら次回に残しました。
まぁとりあえず20数年間残した佐賀市を攻め47都道府県県庁所在地を制覇し名護屋城も攻め込み筑紫線、佐世保線、松浦鉄道も乗れて満足の3日間でした。
今日は大崎に用があり来ました。時間もあり天気も良く久しぶりに東海禅寺大山墓地を見ようと大崎駅から歩き結局、東海道品川宿を経由して大森まで散歩。
以前品川宿のボランティアガイド的な物をしていました。大山墓地は久しぶりです。この墓地は沢庵和尚の為に徳川家光が創建した広大な敷地を要した東海禅寺の鉄道敷地、国道などによりこの墓地が飛び地になっています。
歴史あるお寺ですから江戸、明治の有名な方のお墓があります。当然沢庵和尚のお墓もあります。(上の写真)私の目的は鉄道の父と言われる井上勝のお墓です。
大山墓地は小高い丘の三角地みたいな敷地になっています。その三角地の先端に井上勝のお墓があります。墓の後ろには新幹線と横須賀線が走り、前は自身が作った東海道線、京浜東北線が走っています。まさに鉄道の父と言われる人のお墓にふさわしい墓地です。
その墓前に変わった形の新しいお墓があり沢山のお花が捧げられています。誰かとみると今年亡くなった島倉千代子のお墓になっていました。多くのフアン、関係者が訪れているようです。
幕末・明治の実業家の西村勝三の墓、爆薬、銃などで戊辰戦争で大儲けしてその後、靴の製造で軍靴など、官営ガラス工場の払い下げなど一大事業を築いた人。日本国学の賀茂馬淵、そして沢庵和尚の墓など。
この官営硝子工場は現在の三共製薬の工場にあった。建物は明治村に保存展示されています。
現在の東海寺は山手通りに小さくあります。隣は墓だけ管理している細川家の墓地もあり歴代の殿様達が眠っています。
ここまで来たので海晏寺(かいあんじ)を見ようと向かう。此処は江戸時代、秋は楓で有名なお寺で浮世絵にも描かれている。非公開ですが岩倉具視、福井の殿様松平春嶽などのお墓もあります。残念ながら紅葉にはまだ早く、現在は楓も少ない。浮世絵は勝川春潮作。
先月に続いて国貞展の後期を見学に、生涯数万点の作品を発表した国貞ですので太田記念美術館でも黄表紙、絵本を含め280点を超える展示です。(前後期合わせて)
今回は同じ企画展で川崎・砂子の里資料館も2ヶ月に渡り100点を超える作品を展示しています。同じ作品もありますが感想としては、国貞は役者絵、美人画が良く風景画は広重・北斎の方が。
生涯作品が多いのは人気があったから注文があったことの証明ですが一門・弟子などによる製作工房作品が多かったのでは?
太田記念では中々珍しい下絵、凸絵などを見られたことが収穫。凸絵は川崎でも。上野の森美術館での北斎展もそうですがまだまだ初めて見る作品が多い。
11月24日までで12月は休館、次は来年正月から。
帰りは明治神宮を参拝して帰宅。
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