[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
唐津城
別名 舞鶴城
構造 平山城
天守 あったかなかったか不明
望楼型5層5階のRC構造の模擬天守
城主 寺沢広高、水野忠邦、小笠原氏など
遺構 石垣、堀
再建 天守、復元櫓、堀、石垣
唐津駅から大分離れた海側にお城はある、麓の学校にも石垣が残っていて此処からの天守の眺めも良い。姫路城以来でのんびり見ていたが此処から城まではかなりの階段を登った。
結構な階段で息上がるも天守からの眺めは今までの疲れを吹っ飛ばす素晴らしい眺めです。青い海、虹ノ松原、海から見てもさぞや素晴らしいだろう。名護屋城の廃材を利用して多くの櫓を作ったようです。
平山城ですが海城みたいな三方は海のお城。此処へ来る前の市役所にも肥後堀として復元されている。名護屋城の留守居役と言う面もあり九州大名による普請でできたお城のようです。
寺沢広高の息子の時代に島原の乱があり結果唐津は安堵されたが責任を取ったのか江戸で自決嫡男なくお家断絶。その後の有名な殿様は天保の改革の水野忠邦、唐津藩は長崎警護役で老中になれず石高の割に実収の少ない唐津から願い出て浜松へ移り小笠原家の分家が入ったようです。
旧唐津銀行、辰野金吾の弟子による重厚な建築物、石炭王の高取邸、此処は杉絵が素晴らしかった。近くに川村美術館があり青木繁没後100年記念展がありましたが残念ながら休館日。今回は佐賀県立美術館も休館日にあたってしまった。普通月曜だろうとツッコみたくなる。
当日予約したビジネスへ向かうが近くに寺町がありその中の近松寺へ参拝。小笠原家、近松門左衛門などのお墓があった。庭も素晴らしく何故か長崎26聖人供養の古田織部考案と言われる織部灯籠がある。
夜は駅近くの居酒屋で万齢2合、天山1合とマスターおすすめの刺盛りと地の魚をミンチした揚げ物などを戴いた。佐賀は焼酎でなく日本酒が盛んなようだ。隣り合わせの旅人とマスターと盛り上がる。途中長崎のネッ友から電話がありびっくり。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |