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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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丸ノ内線は荻窪駅―池袋駅間の本線25駅、営業距離24.2Kと中野坂上駅―方南町の支線3駅、営業距離3.2Kで現在は東京地下鉄(株)(東京メトロ)が事業者。前回の銀座線と同じ1435mmの標準軌。車体カラーは赤。この切符の10年後に民営化。

 

荻窪、南阿佐ヶ谷、新高円寺、東高円寺、新中野、中野坂上、西新宿、新宿、新宿三丁目、新宿御苑前、四谷三丁目、四ツ谷、赤坂見附、国会議事堂前、霞が関、銀座、東京、大手町、淡路町、御茶ノ水、本郷三丁目、後楽園、茗荷谷、新大塚、池袋。(平成6年の鉄道の日記念発売の切符で西新宿駅は平成8年開業ですので持っていません。)

 

支線が中野坂上から中野新橋、中野富士見町、方南町の3駅。丸ノ内線は池袋から東京駅を経て新宿まで山手線の内側をU字形に走行し新宿から直線的に荻窪に向かう路線。

 

地下鉄だが茗荷谷―後楽園、御茶ノ水―淡路町間、四ツ谷駅などは地上区間。そして面白いのは東京の地下鉄は今回の丸ノ内線でも新宿三丁目、四谷三丁目、本郷三丁目など奇数の丁目が多く、関西は逆に偶数の町名駅が多い。

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上野駅公園口から入ると最初の美術館、前庭にはロダンの作品が並んでいる。私は普段前庭を通って東京国立博物館へ向かうか、入って右側横の喫煙コーナーでロダンの地獄門を見乍ら一服します。

 

この美術館は松方幸次郎が大正時代にヨーロッパで収集したコレクションの為に作られた国立美術館。内容は極端に言うと印象派とロダンの彫刻が有名。現在はそれを核に買い増しをしているようです。

 

松方は川崎造船所の社長、川崎財閥の各企業を束ねていた神戸の巨頭で大正5年頃から沢山の美術品を収集。しかし昭和2年の世界恐慌で川崎造船やグループも破綻、その負債整理の為千数百点に及ぶコレクションを売却、ブリジストン美術館、大原美術館などへ、大半は不明になっている。現在の東京国立博物館の浮世絵8000点も松方コレクション。

 

凄いのはこの他にイギリスの倉庫にも300点あったが此れは焼失、パリのロダン美術館にも400点が預けられていた。パリの収蔵品は敵国資産と言う事でフランス政府に接収されていた。

 

サンフランシスコ平和条約交渉の中でこの返還交渉をしていたがフランスの返還条件は日本政府がふさわしい美術館を建てると言う事で戦後で日本政府も資金不足で厳しく藤山愛一郎、著名な美術家が寄付を募りフランスの設計家ル・コルビュジエに依頼しその弟子の前川国男などの実質設計に寄り完成。全部の作品は戻らずかなりいい作品はオルセー、ルーヴル、ポンピドーなどの美術館にある。

 

この建物は素人目には普通の建物にしか見えませんがフランスによりドイツ、スイス、など世界7か国23施設で「ル・コルビュジエの建築と都市計画」として世界遺産に推薦されていています。来年フランスからの推薦による日本では初の世界遺産と言う事になりそうです。

 

当然入れ替えもあり何度か見ています。多分此処の常設展は他の美術館の企画展より凄い作品が多く好きな美術館の一つです。


 

夏ですので夕涼み、蓮取りなどの風物、浮世絵の形としては団扇絵などを展示しています。作家は礒田湖龍斎、国芳などの作品が多い。

 

8室の書画の展開~安土桃山~江戸

寒山拾得図屏風 長澤芦雪の作だそうで岸壁に詩を書く寒山、それを見ている拾得は虎を片手でなぜている。迫力のある屏風だがさてどこで使うんだろうか。

 

杉戸に犬が描かれた図は犬と言えば丸山応挙、鶏が描かれた扇子、鶏と言えば伊藤若冲。わざと広げていない展示だが。

 

刀剣コーナー

以前刀剣は武具と一緒のコーナーにも刀剣が展示されていましたが現在女子を中心に刀剣が大ブームだそうで刀剣コーナーに纏められたようです。

 

刀剣女子、この所何でもブームを作るのは女性のようだ。恐るべしだがライフサイクルは?長いと良いのだが。

 

近代の美術コーナー

明治からの日本画、洋画、陶器、彫刻などを展示のコーナーですが私の目当ては日本画、洋画です。

 

とてつもなく大きい掛け軸は河鍋暁斎の地獄極楽図、今村紫紅の重文の近江八景、青木繁の筑後風景、中村つねの海辺の風景、高橋由一の長良川鵜飼、その他に狩野芳崖、荒木十畝、前田青邨など素晴らしい作品が多い。

 

企画展専門の平成館、このところ全く行かないが現在はクレオパトラとエジプト王妃展が開催中。

 

 

 

 

毎年この時期に秋田三種町から大森東口広場でじゅんさいのPRを兼ねた即売会が行われます。今年は8月1日10時から15時まで。

 

行司呼び出しの会会長をやってもらっている荻野さんは東口商店街の会長でもあり秋田県出身と言う事で開催しています。今日はやはり暑く誘われたので参加しました。

 

じゅんさいはポリフェノールが一杯で酢醤油などでプルンとした触感で御通しなどに出てきたり天麩羅などにもするようです。秋田三種町が日本一の生産量だそうです。青々とした葉の間からの若芽を1人乗りの樽舟みたいなものに乗りひとつづつ摘み取る絵はこの時期良く流れます。

 

じゅんさいを流しそうめんみたいに流すイベントではプルンとして子供、大人でも中々掴めないようできゃぁきゃぁ楽しんでいます。

 

じゅんさいと稲庭うどん、梅ジャムなどを購入し早々と帰宅。

 

 

 

 

 

変わった看板、光景

旅や散策をしていると変わった看板などが目に入ります。今回の旅行でも幾つかありました。その地では別に変った物でもないのでしょうが私には初めてに写るものです。

ゴム焼きそば

福知山のお好み焼屋さんで提供している焼きそばのようです。戦後から「神戸焼」と言うお店で始まり今では市内のお好み焼屋でB級グルメとしてテレビなどで取り上げられているようです。

 

一瞬屋台の不味い焼そばを思い浮かべましたが腰があり人気があるようです。

 

ビールまたは軽食10円

名古屋のテレビ塔近くの雀荘の看板です。もう何十年も雀荘には入りませんが雀荘と言えば飲み物、時間に寄ってご飯を頼みますがそれが10円とは。

 

名古屋は安い物があると言っても10円とは。それも年中無休と書いてある。

 

珈琲回数券

写りが悪いですが名古屋で入った喫茶店のレジの横に貼られているお客様のコーヒー回数券。毎日のように来るので店が預かっているんでしょうが、話には聞いたことがありますが現実に見たのは初めて。

 

名古屋や大阪はこういったサービスが多い。東京ではまず私は見ない、知らないシステムです。

 

大平原・フィナンシェ~六花亭

大平原は六花亭のレーズンサンドに次ぐ人気商品。何処のケーキ屋さんでもある焼き菓子だが美味しい。

 

フィナンシェは小樽のオーセントホテルの焼き菓子。バター風味の美味しい。共にママリンの北海道の旅のお土産。

 

じゃがポックル~カルビー

一寸硬めのサクサク感のあるポテト、東京ではあまり手に入らないママリンの北海道のお土産。

 

結構大きな箱で数は合ったが夫婦であっという間に戴いてしまった。まだ口さみしいのかコンビニで思わず同じカルビーのじゃがりこを買ってしまった。ほたてバター味、チーズベーコン味、カロリーが高そうと思ったが。

 

白い恋人~石屋製菓

これも北海道を代表するお土産。たまに食べるから良いのかホワイトチョコと小麦クッキーとがマッチしている。この製品の大ヒットで似たようなお菓子が全国にお土産として販売されていて外れは少なく数もあり会社などのお土産に重宝する。

 

数的にはママリンのお土産はもっとあったがきりがないのでこの辺で。夫婦とも旅に出るとお土産が多い。

 

江の島たこせんべい~湘南ちがさき屋

ママリンの小田原からのお土産。最初江の島のたこせんべいかと喜んだが私の思っていたメーカーのたこせんべいでなく小さい胡椒の効いたただのせんべいで残念。

 

赤福―(株)赤福

伊勢名物赤福、製造の関係でいろいろ問題も起こしたが喉元過ぎればでやはり赤福があれば買ってしまう。そして我が家では甘いものをあまり食べないママリンも2,3つは食べてしまう。

 

一番小さいのが8つ入りで今我が家ではママリンと二人だけなので賞味期限2日では私が無理をしないと無くならない。名古屋駅で購入。

 

藤斎―鮎家

作っているのは滋賀県野洲ですが米原駅を煙草休憩で下車し新幹線側にあるショッピングセンターの近江のお土産コーナーで購入します。

食べごたえがある最中で餡がとても美味しく車内で戴くかお土産にしています。

 

ひこにゃん・三十五万石・金亀~おおすが

彦根の和菓子屋大菅のお菓子、彦根城へ行かなくても藤斎最中と同じ米原駅近くのショッピングセンターでお土産に購入。米原駅は行も帰りも乗り換えですので何方も煙草休憩場所です。

 

私は金亀が特に好きで砂糖の塊と中の小豆餡が歯ごたえと甘さがたまらない。

 

私のお土産も煙草休憩や乗り換えなどでもっと購入しましたがきりがないのでこの辺で。

 

店の横の灰皿で吸ったり他の駅でも大体灰皿のある位置は確認済み。どうしても吸いたく知らない駅の場合灰皿がみつからない場合は喫煙室のある喫茶店に入ります。その隣に和菓子屋があったり新たな発見もあります。

 

毎日のように何かしら食べているトレーニングをしていなければ糖尿病になってしまうだろう。お蔭で運動しても下っ腹は落ちない。

3日目 新居城

千秋楽打ち上げパーティから真っ直ぐ帰りもう一度シャワーを浴びてそのまま朝までぐっすり。今までの寝不足、暑い中の疲れだったんでしょうか気持ち良い朝を迎えました。

 

今回名古屋では一人なので朝食は付けていなく名古屋で有名な喫茶店のモーニングを食べようと考えていました。フロントで聞くとテレビによく出るお店は一ノ宮で名古屋には殆どないとの事。

 

ホテルの隣のコメダでモーニングを戴き栄の駅に向かいます。

名鉄瀬戸線の新居城へ向かう予定です。朝9時過ぎですがもう太陽はギラギラで空気も暑く、もう一度喫茶店で煙草休憩をして体調を整え向かいました。

 

新居城

別名 旭城

構造 模擬天守層塔型3層4階平山城

城主 水野宗国 詳細は不明

遺構 土塁

交通 名鉄瀬戸線尾張旭駅下車徒歩15分

栄駅から名鉄瀬戸線尾張旭駅が最寄りですが車中からお城が見えます。此処も駅から離れていそうです。大きい道路に出てそのまま戻るように歩くと右側に見えてきます。

 

天守から下に田んぼアートが見えます。その他に一部甲冑が展示されているだけで1階のレストランの為の施設かと思ってしまう。風が入って来て田んぼアートとこの風が気持ち良かった。鯱は瀬戸ですから黄瀬戸で出来ていたようです。

 

只帰るだけでなくこの城と瀬戸線に乗るために来ましたがわざわざ来るには?と言った施設で帰りも汗をかきかき栄駅、地下鉄で名古屋へ、百貨店で代えのシャツを購入着替える。

此処で山本屋の味噌煮込みうどんは流石に食べる勇気はなく今回はパスして駅弁にして東海道線で真っ直ぐ帰宅となりました。帰って来て鉢に水撒きでまたひと汗をかいてしまいましたが花々、猫も喜んでいます。

二日目 高砂部屋千秋楽打ち上げパーティ

丁度26日は名古屋場所の千秋楽で福知山の帰りに名古屋で一泊すれば参加できると言う事で昨年に続き参加しました。昨年までの打ち上げは宿舎近くの蟹江町で行われていましたが今年から栄の中日ビルの5階で行われます。

 

栄は名古屋の中心地で交通も便利で泊まるホテルでシャワーを浴びてから参加。テレビ塔の近くで行きのテレビ塔、帰りのライトアップのテレビ塔と楽しめました。

 

さて成績ですが朝赤龍は10勝で上手く行けば来場所は幕内復帰になります。お客様も現金なもので朝赤龍は多くの人と写真やサインをと大人気。やはり勝負事は勝たないとダメですね。

 

4連勝で始まった幕下5枚目朝弁慶なんとその後3敗して4-3で化粧まわしや締め込みの心配は何だったのか。まぁ本人は緊張の連続だったでしょうが来場所は是非とも勝ち越して夢の関取になってもらいたいものです。

 

花ちゃんも勝ち越しで幕下復帰、やはり網膜剥離の影響が大きいかったのか。14人中8人が勝ち越しの好成績で打ち上げ終了。関係者も無事病気もなく元気に千秋楽を迎えられたようです。

 

名古屋は知り合いもいなく東京場所と違い食べてばかりで過ごしました。おかみさん、若松親方(元朝乃若)や朝之助、邦夫君たちに気を使って戴きました。抽選会は私の番号は292番残念。300人以上は来ていたのでしょうか。

 

場所も皆さん熱闘でしたが名古屋のパーティ会場もお客様が多く暑く、帰りの夜の名古屋も暑かった。力士、関係者皆様お疲れ様でした。   

二日目
 
綾部駅から福知山駅へ。福知山駅には昔懐かしい国鉄型特急が3台も並んでいます。また京都丹後鉄道の特急も。改札も上はデジタルの出発表示ですが改札は係員の人的な作業でほのぼのとしています。
 
目指すお城は車中から見えましたが駅までかなりあり確か徒歩15分だと思ったがこの暑いさなかもっと時間が掛かるかと不安になりながら向かう。

福知山城

別名 横山城、臥龍城、福智山城

構造 連郭式平山城

天守 複合・連結式望楼型(現在は昭和60年の外観復元)

城主 明智光秀、青山氏、朽木氏など

遺構 曲輪、石垣、井戸、移築番所、門

再建 大・小天守、続櫓、釣鐘門

交通 福知山駅から徒歩15分、火曜休館、310円

織田信長の命により明智光秀は山陰道、秀吉が山陽道を攻め入り丹波国を平定、光秀が築城し女婿の明智秀満が入城。
 
2重3階の大天守、2重2階の小天守を復元し中は博物館になっている。天守周りには天守台に使った五輪塔、墓石などが大量に使用されていたものが展示されている。今でも天守台には墓石が入っている。(転用石)。近隣の寺から大量に墓石を持ってきたようです。
 
深さ50mの日本一の深さの豊磐井と言う井戸が。関係者の方がそう説明して戴きましたが確か丸亀城の井戸が日本一と記憶していたのだが。この他に銅門番所が移築され、光秀も祀られている神社もある。城の上り口には日本画の佐藤太清の記念美術館もある。

 
光秀は娘が嫁いでいる細川忠興に応援を頼むも断られた時点で敗戦だったのか。細川忠興の妻ガラシャは悲しい末期に。忠興の父細川幽斎は田辺城での籠城戦では天皇まで巻き込み助かる、後には細川家は九州での大大名になる。街では大河ドラマの誘致を目指そうとしているが明智光秀では難しいだろう。細川ガラシャでその父として出るくらいか。

 駅に戻る途中商店街の中に福知山ポッポ館があるとの事でお邪魔した。長い屋根付きの立派な商店街だが人が歩いてなく店も殆ど閉まっている地方でよく見る典型的なシャッター通りになっている。
 
切符や大きなジオラマもあり立派な物でした。あまり時間がなかったが係りの人から丁寧に説明をしていただきました。帰りは早足で駅に向かい福知山から京都、そして名古屋へ向かう。

 

 

 

1日目 伏見城

今回は一人旅で日程はいい加減に組んでいます。初日は福知山まで行っても城は門を閉じているので当日は泊まって二日目に攻め入り、名古屋へ戻り高砂部屋千秋楽パーティーへ出席程度の考えでした。

 

泊まる前に何処かでお城は無いかと城のガイドブックを見いたら本山一城氏の「日本の名城がわかる本」で近畿地方に伏見城だけが行っていないので模擬天守ですし中に入れないので今までパスしていました。

 

京都から奈良線ですぐのようで桃山駅下車してなだらかな坂道を登って行く。両サイドは高級な立派なお宅が続く。駅から15分ですから軽く考えていましたが坂道はどうと言う事もないが兎に角暑い。

 

伏見城

 
別名 桃山城、指月城、木幡城

構造 悌郭式平山城

天守 複合式望楼型5重6階 小天守3重4階

    RC造模擬天守1964年築

城主 豊臣秀吉、徳川家康

遺構 移築門、石垣、堀

交通 JR西奈良線 桃山駅徒歩15分

 

1591年 秀吉聚楽第、関白を甥の秀次譲る。

1592年 肥前名護屋城へ

1593年 秀頼が誕生、大阪城へ移る。

1594年 京都の拠点として伏見指月台に隠居城を築き始める。

1596年 近畿大地震で城は倒壊。

1597年 近くの木幡山に築き直す。

1598年 伏見城で秀吉死去。

    秀頼大阪城へ。徳川家康が入城、前田利家死去、石田三成を佐和山城へ追放、家康も大阪城へ

1600年 家康会津征伐に出ると石田三成軍により陥落

1602年 家康により再建

1603年 此処で征夷大将軍の宣下を受ける。

1619年 廃城

    櫓、門、部材などは二条城、江戸城、大阪城、淀城、福山城、明石城、お寺などへ移築、櫓は伏見櫓と呼ばれる。

 

現在は運動公園などもあり近くには明治天皇の陵墓になっていて全体

的に宮内庁の管轄でこの模擬天守は近鉄の遊園地の一環として建されたもので後に京都府に寄贈され街のシンボルになっている。

 

中に入れないのがこの暑い中歩いてきた身には辛い。

 

他の本ではもっと行っていない城があるが本山一城氏の「日本の名

城がわかる本」では近畿地方の城は制覇で良しとするか。

 

桃山駅から京都駅までの間に稲荷駅、東福寺駅があり時間もありどち

らにするか考えるも東福寺は遠く伏見稲荷は駅の目の前なので稲荷

駅下車。

 

伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本社、外国人に人気の観光スポット

2年連続一位、外国人には赤い千本鳥居が良いのだろうか。今日

も多くの外国人が。中の茶店でお稲荷さんを戴こうと覗くも満

員で諦める。

 

京都から山陰線に乗り車中からの絶景を楽しみながら綾部駅前のビ

ジネスホテルに泊まる。日帰り温泉施設で入浴後、今日はお祭りのよう

で花火を楽しむ。




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