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前にも書きましたが平木浮世絵美術館は場所が点々として現在は豊洲のららぽーと内に小さなスペースの中で展示しています。しかし所蔵作品は価値の高い作品が多いようです。
今年も毎月のようにお邪魔していますが東海道五十三次の初摺作品がなぜか此処では場所なのか知名度なのか余り観客がいなくゆっくり見る事が出来、私には好きな美術館です。
このシリーズは人気なんですが中々展覧会には全部を一度に見る機会は少なく東京でもこの機会を逃すと数年は見る事が出来ないと思われます。
また1点1点に解説が付いています。それをゆっくり全部読んでいたら2時間かかりました。今は腰が痛いくらいです。お城を攻めるより疲れています。また、変わり図や後摺の所蔵もあり比較が出来ます。(但し13点)これも興味が出ます。
今日は1時間位で帰りに銀座のギャラリーでも寄って挨拶をしようと思っていましたがとんでもなく帰りは久々にぎゅうぎゅう満員の通勤電車で帰りました。
ニューオータニの北斎の冨嶽36景エッフェル塔36景の全100点は今回の倍近いわけですから腰が持つか心配になりました。この36景競演は中々見られないと思います。
浮世絵の有名なものは広重の東海道五十三次、北斎の冨嶽三十六景、写楽の140点の一連の作品(今年の東京国立博物館開催)でそれに今年の2月のボストン美術館展です。今年が没後150年の国芳で(太田記念美術館、暮れに他で開催予定)、何だかんだ今年は浮世絵の人気作は殆ど1年で見てしまう事になります。
ただ、専門家でないのでポイントをいつも外して見ているようで図録を買って帰ってから悔しがっています。今回はそんな事がないように図録を買って中に入り確認しながら見て行こうと思っています。
今回は分かりませんがニューオータニ美術館も上野の美術館みたいな人出はいつもありません。ホテルで食事でもして楽しみに何回かお邪魔しようと思っています。
平木浮世絵美術館
http://www.ukiyoe-tokyo.
ニューオータニ美術館
http://www.newotani.co.jp/group/museum/index.html
ただ、天気予報ではそのすがすがしいのは今日まで、明日からまた湿度が高いじめじめした日が今週は続いていくようです。さて今週というより今月会期までは平木浮世絵美術館の東海道五十三次、ニューオータニ美術館では北斎の富嶽三十六景(全46点)と浮世絵の影響を受けたリヴィエールのパリエッフェル塔三十六景、その外に何点かの名所江戸百景もあり全部で100点の作品だそうです。
今日は、からっとした天気だそうですからまず豊洲の平木浮世絵美術館から行こうと思っています。
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今日のバロン
今日の天気はどうなんだろう。もう雨は降らないか台風は来ないか
フォト ままりん
前作は一畑電車の運転手に49歳で一流企業の幹部が転職する事からの夫婦愛でした。今回はもうすぐ定年退職する運転手の夫はこれから妻と一緒に過ごして行きたい考えと結婚を機に看護士を辞めていた妻がまた、職場復帰し自分の人生を生きたいと思う妻、お互いの葛藤を描く夫婦愛の映画のようです。
今回の舞台は北陸、列車は富山地方鉄道、キーワードは一番近くにいるのに一番分からないあなた。人生は鉄道に乗った長い旅、人生の節目に直面し、これからの節目に直面し、これからの生き方を模索する1組の夫婦が主人公。
雄大な北アルプスを望む富山の美しい田園風景を舞台に、歳を重ねてこそ感じる迷いや焦り、喜びと幸せそしてかけがえのない絆。主役は三浦友和、余貴美子だそうです。
その前に富山の酒とかまぼこフェア2011に参加してから心してこの映画を前作とは違った意味でしっかり見なくては。
公式サイト
http://www.railways2.jp/
最後の4日分を利用すべく目的もなく、かみさんの故郷上諏訪に温泉でもと考えていました。そしてどうせなら松本で美味しいお蕎麦を食べようと相成りました。此処で松本城、上諏訪の高島城を入れないのは私の奥ゆかしさです。
少しづつ私と娘と同じようにテツになりつつありますが、まだとことこ長距離は飽きてしまうだろうし中央本線ならとかみさん故郷上諏訪を入れればとの考えでした。ですからゆっくり京浜東北線で東神奈川へ行き、8時38分の横浜線で八王子、そこから高尾経由で中央本線。松本13:55です。八王子でかみさんの好きな鳥ご飯の豪華な駅弁を朝食兼用で購入。ちなみに私は太巻き、これで一杯と考えていました。
四柱神社で参拝、川沿いの新しく出来た、なわて商店街?をぶらぶらしてちょっと昔の松本を楽しみましたが新しい建物、施設が多くちょっと戸惑いました。途中お城を模した有名な本屋さんがあり一枚。
夕ご飯はフレンチ?でしたので団体の喧騒はありませんでしたが越後交通バス3台が入っていましたので男湯は夕方も朝も洗い場がない位の混雑、14階の展望風呂は満員電車でした。ちょっと残念。夕食は洋食で土地のお酒、真澄の冷酒でご機嫌。朝食は、団体の時間を外したんですが運悪く食べ残し状態。ガクッ。此処は諏訪でも高いホテルですが越後が景気が良いのか年寄りが金を持っているのか沢山のお土産抱えてバスへ乗って行きました。
片倉館は有名な日帰り温泉施設で立ち湯です。立って入りますから多勢の方が入れます。立ち湯は珍しいと思います。岩手の鉛温泉くらいしか私は知りません。10時開店からゆっくり入り2階で本を読んでいましたが何時の間にか寝てしまいました。
片倉館
http://www.katakurakan.or.jp/
中央本線は距離的に近いのですが特急が多くその度に待ち合わせになります。そこが現在の鉄道の需要と供給、JRの政策でしょうが東海道に比べちょっと不満。それでも松本、上諏訪で郵便局にしっかり寄る。今回、上諏訪の高島城は全く行く気がなかった。
左側が「羽二重餅」製造元は幾つか有りますが松岡軒のものです。
餅粉を蒸して砂糖、水あめを加えて練り上げたお菓子です。福井は羽二重織が盛んだそうでそこから名前をつけたようです。
しなやかでほんのり甘く口の中でふんわりとろけていく上品なお菓子です。
http://www.habutae.com/
隣のけんけらは越前大野の代表するお菓子です。寛元年間(1243-1247)永平寺の健径羅(けんけいら)と言う僧が師のために作ったと言うところから、また焙炉でからからに乾燥させる軽やかな音からとも殿様がなずけたとも言われているようです。
大豆を砂糖と水飴で固めて焙炉にかけきな粉をまぶしたねじり菓子です。からっとしていますから歯ごたえがあります。羽二重餅から食べると硬く感じますがそんなに歯が壊れるほどの硬いお菓子ではありません。きな粉の味で素朴な味のお菓子です。恵比寿堂の製品です。
http://www.fukuinookashiya.com/shop/detail.jsp?id=43
下が「雪がわら」という昆布のお菓子です。上質な昆布をカリカリに焼いて白砂糖をかけ雪の積もった屋根瓦に見立てています。昆布の塩味と磯の風味、砂糖の甘さが絶妙なバリッと言った歯ごたえのあるお菓子です。亀屋製菓の製品です。
http://www.echizen-ud.com/18_68.html
個人的には上品な和菓子よりこのような駄菓子ぽいお菓子のほうが好きです。たまたま食感が全く違うお菓子でした、どちらも福井を代表する銘菓です。
今回は佃煮を少々、個人的に列車のNゲージ1台でした。郵便局3局。鉄道硬券はなし。
丸岡城
通称 霞ヶ城
構造 平山城
天守 独立式望楼型2重3階
築城主 柴田勝豊
築城年 天正4年(1576年)
城主 本多、有馬氏など17名
遺構 現存木造天守、石垣
天正4年柴田勝家の甥勝豊により築城、天正10年清洲会議により勝豊は長浜城へ、天正11年柴田勝家は北ノ庄城で秀吉により滅ぼされる。丹羽長秀の所領となる。その後何代か城主、城代がかわり越前騒動や福井藩2代目松平忠直の不行跡を理由の福井藩分割を経て丸岡藩となる。寛永元年(1624)本多成重が藩主となる。元禄8年(1695)糸魚川藩より5万石で有馬氏入封。
このお城は勝豊築城から3年で上杉勢により焼失、昭和23年の福井震災で倒壊しています。昭和30年に倒壊材で復元修理しています。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を乗せていて屋根は笏谷石が乗せられています。北ノ庄城なども同じだったそうです。
石垣は野面積みです。中の階段ですが極端に言えば直角、階段に入る幅はバックを背負っていると入れるか入れないかの幅です。急ですからロープがついています。建物自体が重文ですから手すりをつけると改造になってしまいます。
このお城にもミステリーが伝わっています。1、石垣を作る時何度も崩れるので子供二人の片目の後家「静」を人柱とした。その条件が子供を侍に登用する事だったがしなかった。夜な夜な片目の蛇がでる。2、敵の襲来の時井戸より霞が出てお城を隠した。その井戸やお静の碑等もあります。
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ 本多重次が長篠の戦いから妻へ送った手紙。丸岡では毎年テーマを決めて公募をしています。その綴りの「日本一短い母への手紙」はベストセラーになっています。入選作がお城入り口に沢山掲示されています。城の上り口には歴史資料館もあります。
この城は日本最古と地元では言っています。しかし、その根拠があいまいでかといって逆の証拠もないようです。専門家の中では「1階を下見板張とし3階では柱や長押を白木のままとする古式に見えることから勝豊時代の現存最古の天守とされています。実際には1階と2階の通柱がなく3階の廻縁は見せかけで層塔型天守の特徴を有している事から慶長18年本多成重によって造営されたのではともいう。しかしその年代の絵図には天守が描かれていないという問題もある。結局築年数不明。
城下の堀は現在一部しか残っていません。円光寺にキリスト燈篭があります。これは島原の有馬氏の流れの人が隠れキリシタンとしてこの地にも来ていたんだということでしょうか。
これで現存木造天守のお城12城は廻りました。ちょっとした感動があるかと思いましたがそれもなくちょっと、あぁ終わっただけでした。
山城は年齢的のもかなり限界に来ています。1つだけなら良いのですが折角行くんだからとお城なら何でもと言った感じで数を周りとやはりきついです。元一ノ矢の松田さんの腰トレや週に数回のトレーニングをやっていますがやはり夏で階段は厳しいです。
地方へ行くと和式のトイレがそれも厳しくなってきます。歩いてる程度じゃ駄目ですね。もう椅子の生活が長いので生活習慣から長い年月で自然に足腰がやわに成っているようです。これからも現存天守に拘らずお城めぐりは郵便局スタンプと共にやっていこうと思っています。
だって馬鹿と煙は高く上がるそうです。天守からの景色と風は何とも言えません。
今までのお城の参考文献
日本の名城がわかる本 本山一城 リイド社
日本の百名城 八幡和郎 KKベストセラーズ
日本の城 中井 均 山川出版社
日本の城 監修 西ヶ谷恭弘 世界文化社
名城地図帳 大沢広彰 学習研究社
日本の城封印されたミステリー 平川陽一 PHP研究所
この他に各地の観光協会のパンフ、ちらし
越前大野城
構造 平山城
天守 連結式望楼型2重3階
推定復興天守
築城主 金森長近
築城年 1575年(天正3年)
城主 金森、松平、土井氏
遺構 石垣、堀
1575年織田信長から越前一向一揆平定により金森長近が3万石を与えられ亀山に城郭を築いた。元は複合式連結天守であったが1795年焼失、天守以外は再建されたが明治に廃城になり1968年(昭和43年)にコンクリート造りで推定復興した。
亀山の山頂を平坦にして本丸を作り東側に二の丸、三の丸をめぐらせ、南・北・東には人工の外堀、西に赤根川、各所に沼があり天然の堀として守りを固めていたそうです。石垣は野面積み。連結の小天守?天狗櫓も再建。天守の石垣と途中の石段の石垣の年数がかなり違う。
藩主が頻繁に変わり(明治まで19人)藩財政難に至る。土井家7代目利忠は財政改革を行い借財を返還。藩の借財の整理、積極的な殖産事業を行なう。変わっているのは直営の藩店大野屋を大阪、函館に開設し特産品を販売。
将来を見据えた誰でも入れる藩校(明倫館)で洋学の奨励、洋式帆船「大野丸」を巡航し幕府の許可を得て蝦夷地屯田を行い準領地にした。
城下は碁盤の目に整理され多くの湧水地があり、武家屋敷、旧家が整理保存されています。此処では北陸の小京都と言っています。でも金沢があるから福井の小京都位でしょう。また朝市が金森時代から盛んに始まったそうです。
お城は南登り口と西の亀山公園口からあります。今回は工事中との事で西側から登りました。標高240Mの山です。人工の急な階段が400段はあったでしょうか息切れしびっしょり汗をかいて登りました。時間的に10分位でしょう。夕方で私以外誰もいなくひっそりとしています。
此処は雪深いところですから12月から3月末までは閉館しています。また、今月も工事の為何日間休館をするようです。行かれる方は越前大野市のHpを確認してから行かれますように。
越前大野までの間には一乗谷があります。朝倉家の遺跡が残る地です。戦国時代一乗谷と一乗山に本拠を定め5代続いた朝倉氏、文化的に円熟した城下集落、防御力に優れたお城があった。機会があれば城廻人として見たい所です。
駅にも水があり冷たくとても城攻めの後には美味しい水でした。昨年の430年祭りからのラッピング列車で心地よい疲れと共に福井へ。
築城430年祭りのユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=GyNYABmX5bM
そんな福井へ29日から急遽1泊で行きました。目的は木造現存天守12の最後に残った丸岡城へ攻め入る為です。23日から3泊4日で岡山、島根に行った時使った青春18切符が5枚のうち2枚しか使っていない為9月10日までに使わなければ期限切れになることもあり、一気に行かないとまた何年も行かなくなる心配があるためです。本当は子供みたいに直ぐ行きたいと言う気持ちだったのでしょうが。
多分お城巡りをしていなければ丸岡という地名もそしてもう1つの越前大野も行かないところだと思います。大きな福井市もまず行かない、降りない都市です。
青春18切符は簡単に言うと年に春、夏、冬の3回JRが販売する格安切符です。前は5枚のバラ券でしたが今は1枚で5回分になっています。誰が使っても良く、1枚で5人で使っても良く1枚11500円、1日2300円でJRの北海道から九州まで使えます。但し普通車以外は乗れません。特急などを乗る場合には乗車券、特急券が別に必要です。細かいルールがまだあります。
詳細は下記
http://www.jreast.co.jp/tabidoki/service/seishun18/index.html
東京からの場合、夜行のムーンライトながらを」使えばその日に九州まで行く事が出来ます。東海道で早朝出ても夜にはゆっくり山口県には入れます。そんな切符ですが社会人では休みが限られ時間がないので新幹線、飛行機を利用せざるを得なくこれを使っている元会社の後輩U君が羨ましかったものです。
さて初日はとことこ普通車で米原に12時頃到着いつも此処で次の列車の待ち時間があり駅の周りは何もなく駅弁食べるしかない所でまたこの先近江塩津でまた待たされるので特急しらさぎを利用しました。2770円余計に掛かりますが2時間先に着きます。その時間を利用して越美北線で越前大野へ越前大野城を攻めました。
お城は山城でここも石垣が工事中で人工の長い階段を息切れしながら登りました。雪深い越前大野ですから、途中工事車両は前がラッセル車のような雪を飛ばす車両が何台か見えました。福井までの本数も少なく乗れば50分位ですが乗り遅れたら大変と帰りは小走りで駅へ。
駅前で一杯を兼ねた食事を取りましたが水がきれいなのか織田の豆腐、大野のサトイモと牛の柔か煮、足羽のこんにゃく、丸岡竹田の厚揚げなどとても美味しく戴き〆に越前おろし蕎麦、これに話し相手がいれば最高でした。酔った勢いで2駅だけチンチン電車に乗車、酔い覚ましに徒歩にてホテルへ。
今回行った福井市、丸岡、越前大野町では福井セットなるものがあり中身はソースカツ丼に越前おろし蕎麦です。此処出身の友人は知らないと言う事ですので最近出来たB級グルメブームの商品でしょうか。
翌日は早朝から県庁のある福井城址を散策、8時前には丸岡城へ、8時開館かと思えば8時半との事で汗ばんだ手を蚊に刺されながら待つ。やっとこ登る、やはり古いお城ですから天守までの階段は狭く、極端に言えば直角、誰もいないのでディバックは階段下へ。今までの階段の一番の鋭角かもしれない。ロープがついています。
天守から清々しい風を受け、これで12のお城が終わったんだと思うがそんな大きな感動もなし。あぁこれで終わった。と言う程度です。もっと感動すると思って一人で来たんですがちょっとあっけなかった。
この時間に合わせ9月の企画催しの案内を戴いている何件かの銀座のギャラリーや展覧会に顔を出しいつものお土産を購入、帰ろうとしたら交通会館の前で青森の農産物を販売しています。
とうもろこしをたぶん食べたいなぁと見ていたんでしょう。販売員の人が「嶽きみ」です。まず東京には出ていないと思います。青森の岩木山の近くの嶽(だけ)地方の高地で作られたとうもろこしで「きみ」は青森でとうもろこしの事をいうそうです。このまま生でも食べられます、非常に甘いですとの事。標準語でしゃべってくれてんですがなまりがちょっと入って一生懸命説明してくれます。
そこまで説明を聞いたのでとうもろこしは以前は北海道の芦別から朝取り航空便で取っていた位大好きです。朗読会に行くのにちょっと重いかなぁと思いながらも購入。実は氷見うどんを持っていたのです。
さて、今回の朗読は岡場所で働く女性の夫婦愛?だったんですが外の蒸し暑さから涼しく暗い会場で上手なしゃべりですから何時の間にか寝てしまいました。
時間的には対した時間ではないと思いますが目が覚めるととても気持ちよく、体調もバッチリで会場から家まで歩いて帰りました。やはり午睡は身体に良いのか。おすもうさんも午睡を仕事にしている。でも太っちゃいけない。そうだ番付を届けなければ。
台風が近づいてくるのか風は出てきますが雨が降らない。植木鉢は風で乾いています。さて、撒いた方が、雨を待った方がここが問題だ。とりあえず、とうもろこしを食べてから考えよう。
嶽きみ(決して伊達公子ではありません。だけきみです。)
http://www.dakekimi.com/01_welcome.html
今年春に彦根城を訪ねた時、友人から彦根の銘菓と勧められた菓心おおすがの三十五万石、金亀です。当日はメールが届いたのが6時過ぎでこのお店はお城へ行く途中にあるんですが閉まっていました。翌日も早くから安土城へ行くので駄目で駅売店にも置いてありませんでした。
気にはなっていたのですが東京で滋賀県のアンテナショップは行った事もなくそのままでした。東海道線の旅では米原で乗り継ぎで時間がいつも出ます。米原駅前は何にもなくいつもボゥッとしています。今回駅前のスーパーに乾電池を買いに行きました。そしたらこの地方のお菓子を売っていました。
三十五万石は最中ですが中に求肥、栗が入っているもので、私はオーソドックスに求肥入りを購入。ふっくらとした小豆に求肥がまた違った感覚でとても美味しく戴きました。
金亀はこの所戴いています桂月堂の薄小倉のようなお菓子で周りは薄小倉、出雲より硬く、中は逆に全部が餡でなく寒天の為歯ごたえが硬くからぐにゃッとした違う感覚になります。また金粉がのって彦根城の通称金亀城を表しているんでしょう。これはこれで美味しいお菓子です。
昔からの城下町はやはり美味しいお菓子が多いようです。それにしてもこのタイプは京都、松江、大垣、彦根と歴史のある街では必ずあるんでしょうか。金沢も一度チェックしてみます。おーぃH君やっと食べられましたよ。
菓心 おおすが HP
http://www.kashin-ohsuga.com/
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