美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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昨年は開館20周年で多くの企画展があり特に北斎の冨嶽三十六景とフランスの版画家リヴィエールのエッフェル塔三十六景の共演はとても楽しませていただきました。
1番目にベルナール・ビュフェの2Mを超える「2羽のツル」の大作が迎えてくれます。ベルナールが来日した時、札幌ニューオータニの為に書いてもらったタンチョウ鶴だそうです。今回は同じようにホテルの庭を描いたフェリ・イスカンの作品も太陽、雨、風と云う題で3点展示されています。私は残念ながらこの作家は初めて聞く名前です。
http://www.newotani.co.jp/group/museum/index.html
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明日は今から17年前の阪神淡路大震災の日です。もう過去のように遠い昔に思えます。昨年東日本大震災がありましたから思い出すどころではないですが。
その東日本大震災は津波被害では未だ遠い所へ避難したり仮設住宅生活です。そして原発の方はいまだ蓋が出来ず放射能は放出しっぱなしの状態です。
そしてまだ地震が頻発しています。それがもう慣れなのかあぁ~茨城沖か、岩手かともう自分でも感じなくなっています。当初は、また何時大きなのが来るんだろうかと不安でした。
地震国に生きているので何処かで折り合いをつけなくてはと心で思っていても昨年のような大きな家が壊れるんではと思う初めての体験をしても最初のうちだけでもう非常用バックの中身も忘れているようです。
記念日と言うと変ですが1・17,3・11とその日にまた心新たに準備をして亡くなった方のご冥福と一刻も早い復興を祈念し銀座の数寄屋橋公園にあります北村西望作の「灯台」の台座に書かれている「不意の地震に不断の用意」を心して想い出そう。人生初めてのあんなに大きな地震、東海大地震はもっと身近です。
燈台は関東大震災から10年後に建てられたものです。
川端龍子は何度も書いていますが元々は洋画の作家から渡米をしてボストン美術館でみた日本画、浮世絵など日本人ながら素晴らしかったが今まで見たことが無かった。日本に帰ってから日本画に転向、大正初期の日本画は個人の所蔵で床の間芸術と揶揄されるものでお金持ち、お茶会などの飾りとして楽しまれていました。
龍子の日本画は躍動感ある色彩、筆使いで画壇では異端児扱いになります。多くの人に見てもらう会場芸術を標榜して多くの人が一度に見られる日本画を目指し青龍社をおこし三越などのデパートでの展示会などの活動、その拠点として大田区池上にアトリエ自宅を構えました。
今回は大作11点を展示しています。まずは「御来迎」横7mの作品で富士に御来光でたなびく雲海を白馬に見立て御来光を大日輪としている目出度い作品です。
「爆弾散華」はアトリエに終戦3日前庭にB29空の爆弾が落ち当時庭に植えていたトマトやナス、かぼちゃ?(うり?)などが飛び散っているそのままの姿を描いています。爆弾であいた穴をその後池として作ったようです。
「霹霊」(せきれい)も7mを超える迫力のある富士山、「伊豆の国」は上段に富士を大きく描き伊豆の半島を俯瞰するような画で手前に帆船が入江に向かっている図で海が大きく荒れているのが解るような構図です。岩場の筆のタッチで松が大きく揺れているようです。
「寝釈迦」これも7mを超える大作で修善寺の梅林から遠景の富士、その間に釈迦が横たわるように連なる、真ん中に大きなトンビが力強く舞っています。伊豆の下田には寝姿山があるが修善寺梅林からあったかなぁ?
龍子の意志により作品にはガラスなどがはめられてなく大きい作品ですから少し離れてみると全体も良く見えます。この記念館は生前自分で設計した美術館で作家が自分で建てた美術館では初めてだったようです。
小品より大作ですが昔は雑誌の表紙なども書いていたようです。今回の龍「臥龍」は終戦の報を聞いて描いていたのを止めて新しく書いた戦後最初の自分の心情を表現するために描いたものだそうです。その他大きい龍は近くの池上本門寺の大堂、浅草浅草寺、修善寺の修禅寺の天井画などがあります。
耐震工事ですから何処がどうという事も解りませんがまた近くに日本画の美術館が再オープンして行ける美術館が増えました。
龍子設計の美術館と向かいのアトリエ、自宅、爆弾池
現在JR都区内パスは730円で1日乗り降り自由です。南は蒲田、東は小岩、赤羽、西は西荻窪の間はOKです。
切符整理をしていたら昔懐かしの国鉄時代の「国電フリーきっぷ」が出てきました。これは硬券切符でないので束ねてありました。昭和60年7月25日の刻印があります。全く思い出せませんが利用範囲は同じで料金は700円です。
私は国鉄の時代を知っていますがもうJRと言います。もっと御歳の人は未だに「国電」もっと古くは鉄道省の管轄で「省線」と言ったり大森駅の広場にある鉄道院時代の階段の遺物など、院線の時代で「院線」とはもう言う人はいないでしょう。
写真は現在の都区内パスで機械で購入と緑の窓口対応で券が違います。どちらも自動改札を使えます。JRはこの二十数年値上をしていないのだろうか。
同じように地下鉄もあります。東京メトロ(710円)、都営地下鉄(700円)と二種類発行しています。圧倒的に東京メトロが路線が多いのですが行こうとする場所が都営地下鉄の場合だけしかない場合もありますので事前の確認をしなくてはなりません。
切符整理で国電フリー乗車券が出てきたので慌てて他の切符も探しました。こんな事をして横道にそれるので整理はいったい何時になるんだろうか。
浮世絵はその時代を映した絵が主流です。着物の趣味の人は浮世絵フアンが多いようです。また歌舞伎役者、美人画、股旅物、風景画と色々なジャンルがありますが日常生活を映したものも多いようです。
猫は12支に入っていませんが「猫かわいがり」と言う言葉もあり浮世絵の中にもさりげなく猫が描かれています。特に歌川国邦は多くの猫が入る浮世絵があります。
国芳は猫好きで沢山飼っていたそうですが江戸時代に歌舞伎役者、歴史人物などを描いてはいけないと言う御触れも出て皮肉屋な国芳は顔だけ猫で動作や衣装を見て解る人にして描いてもいます。捕まるか捕まらないかの紙一重で描いています。
豊洲にあります平木浮世絵美術館では3月31日まで「にゃんとも猫だらけ」と言うタイトルで浮世絵を展示しています。3ヶ月の期間ですから第一部猫と遊ぶー美人画の猫―今月29日まで、第二部化け猫騒動2月2日~26日、第三部猫で遊ぶー戯画とおもちゃ絵―3月3日~31日までの三部構成になっています。
今日は第一部の猫と遊ぶー美人画の猫―です。この中でまた幾つかに分かれ女三宮と猫、猫が遊ぶ、猫と遊ぶ、猫を描く、丸くなる猫、物語と猫、猫のデザインとに分かれています。
国芳、国貞が中心ですが春信、歌麿、広重、月岡芳年、楊洲周延、小林清親、歌川芳幾など明治までの作家の作品も展示されています。相変わらず此処の所蔵の作品の質は素晴らしいく、ついこの間描いたのではと思う位の状態です。そして多くがガラス越しでなく目の前で額で見られます。
だっこしたり肩に乗せたり、猫じゃらしで遊んだり紐をひっぱって猫と戯れたり着物の裾で遊んだり猫がお股を広げて気を引いていたりと今の我が家の猫と同じ状態です。昔から嫌がる猫を抱いたりしていたんですね。約80点弱の展示です。とても保存状態も良く素晴らしいもんです。猫絵で文字を書いたり猫を擬人化して描いたりして楽しくもあります。猫嫌いの方にもお勧めです。
ショップでは今回の図録、ポストカードの他に猫の置物も販売してしています。
裏の豊洲ドックでは暮れなずむ東京ウオーターフロントを映し出しています。さぁそろそろ我が家の猫様の餌やりの時間になります。
JR有楽町駅の銀座側のイトシア、東京交通会館の間の広場で今日はかまくらが3棟建っていました。そして雪の固まり、ステージには太鼓ショーなどが開催しています。これは秋田のPRブースで子供にはなまはげが悪いことしていないかとちょっと訛りで脅かしたり、秋田犬、こまち娘のぬいぐるみも愛嬌を振っています。
秋田は食べ物も観光地も温泉も上質なものが多くあります。新幹線も走りこの時期は行くのは少ないでしょうが横手のかまくらは冬の風物です。雪の暇な時期に宣伝なんでしょうか。
イトシアの3階の外のラウンジからはテツの嬉しい場所でもあります。此処からは新幹線、東海道線、山手線、京浜東北線の電車が眼下に見られます。今は寒いので一寸した穴場です。勿論ストーブはついています。
たまたま有楽町のホームでN700が交差していました。ちょっと遅かったようで先頭同士が撮れませんでした。残念。
江戸城の外濠に何で弁慶かと思っていましたが普段ホテルへ行く道の向い側に書いてありました。この橋は明治22年に神田から移築されたもので神田の時代から弁慶橋と言われていました。
もう少し行くと紀尾井坂と濠が接するあたりが今無き喰違見附になります。ここも1874年1月14日(明治7年の今日)に岩倉具視が不平士族に襲われたところです。岩倉具視は濠に転がり難を逃れました。(喰違の変)
岩倉具視は皇女和宮を14代将軍家茂に降嫁させ公武合体に尽力しましたが、その為に洛中から追われ命を狙われ続けましたが、のちに朝廷に返り咲き王政復古を成し遂げ、その後は岩倉使節団として明治の初期の活躍をする多くの人を連れ海外見聞を広めました。
そこから紀之国坂を登ると白い鉄柵の迎賓館が出てきます。此処までは良く行くのですが此処から四谷、お茶ノ水へ向かう外濠を歩くことは中々無く今度温かくなって桜でも見ながら外濠一周をしてみたいと思っています。
池上には大田区初の相撲部屋「尾上部屋」があります。東急池上線池上駅から近くで親方は現役時代顔が良く気風の良い相撲で幕下陥落も頑張った元小結濱ノ嶋です。
日大では現在部屋が消滅し北の湖部屋に所属する木瀬親方(肥後ノ海)が同期です。共に熊本出身。確認はしていませんが今は北海道や東北より九州出身の方が多いのではないでしょうか。
平成18年に三保ヶ関部屋から内弟子を連れ独立、八百長問題で3人の期待された関取(境澤、山本山、白乃波)が引退しましたが現在は大関把瑠都、里山がいます。やはり関取候補の宝庫日大相撲部、熊本からの力士が多いようです。無くなった木瀬部屋も多くの日大出の関取がいました。
尾上は本来高砂系の名跡ですが今はそれも崩れているようです。現在相撲部屋は49部屋、700人位のお相撲さんが居ますので平均しても各部屋15人を切っています。少ない所は2,3人と云うお部屋もあるようです。
昨年本場所が出来なかった影響で今場所後は引退名跡披露相撲が土、日に行われます。また新しいお部屋がその内出来るのでしょうか。新弟子の半年の教習所通い、場所の取り組など早い時間ですから遠いと時間がかかり大変ですが土地代、建築費などを考えると遠くになってしまうのでしょう。
顔と言ってますが相撲関係者からはお前はそんな事を言える「カオ」でないと言われそうです。
また名刺大やバラの入場券は一応ストックブックに収納終了。後は国鉄、各私鉄の袋に入れているのをどの様にストックするかが問題になります。
今日は各鉄道会社の入場券で製本されていないバラの券をとりあえず九州から始めました。今は周年記念などできちんと製本されて全線全駅入場券を発売されます。しかし、費用も係りますので大手は出来ますが中小地方鉄道ではまず発行されません。まして昔のもですから余計発行はされていません。行った時そこの中央駅で全部を買うか、通信販売で購入するしかないないです。
大分鉄道耶麻渓線 廃線 19駅/13枚
北九州高速鉄道小倉線 モノレールです。13駅/13枚
宮崎交通線 廃線 12駅/10枚
長崎電気軌道 路面電車 37駅/35枚
島原鉄道 現在運行24駅/12枚 廃線23駅/8枚
西鉄大川線 廃線 18駅/17枚
松浦鉄道 57駅/47枚
鹿児島交通知覧線 廃線 11駅・11枚
筑豊電鉄 廃線 21駅/16枚
熊本電鉄菊池線 現存16駅/16枚 廃線9駅/9枚
この他に四国は高松琴平電鉄長尾線、琴平急行線、琴平参宮電鉄、伊予鉄道市内線、横河線、高浜線、郡中線、土佐電鉄安芸線、桟橋線、伊野線を整理いたしました。
終わって立とうとしても腰が痛く暫くは腰を曲げて歩く状態でした。この調子で関西、北海道とやっていこうと思っています。しかし廃線になっている所を調べるのにWikipediaを頼りにしていますがかなり誤字があったり抜けていたりしています。
Wikipediaもかなり間違う事もあるんだと初めて気が付きました。
池上本門寺は私の散策コースの一つです。日蓮聖人が入滅された霊域でもあります。この領地の池上宗仲公の館内で亡くなられ、公がその後法華経の字数に合わせ約7万坪を寄進、日蓮の高弟日朗がその基礎を築き日蓮宗の中核寺院になっています。
江戸時代には将軍や大名諸侯を始め多くの江戸町民の信仰を集め大伽藍が整いますが戦災で多くを焼失しましたが現在の立派な伽藍も復興しています。此処には大名、側室、現代の有名人のお墓が沢山あります。
小さい頃からこの境内や周辺で遊んでいますが今だ誰が何処にあるのか全貌は解っていません。ガイドブックやボランティアガイドなどのツアーがあります。今度一度参加しようと思っていたりします。
先日もかみさんと初詣(実は2度目)に行きました。本門寺の大堂で参拝してそのまま帰るのでなくやはり日蓮入滅の大坊本行寺へ参拝をしなくてはと脇からの階段を探しました。普段はこの本行寺へ先に行ってその脇から上るのです。この方があの加藤清正寄進の此経難持坂を息切れして登らなくてすみます。
もう勝手に経蔵の脇当たりだと思い込み入っていきますがかみさんは違う大堂の裏から降りるんだと言っていますがいやぁ違うと降りて行きました。結果はかみさんの言う方が正解でした。もう年をとると頑固になるんでしょうか、間違いが解ってやっと気がつく有様です。
しかし途中加藤清正の供養塔、日樹聖人五輪塔等がありました。この辺は昔子供が小さい頃せみ取りに入り込んだ以来です。まぁ頑固で此処に在ることが解り私は納得、かみさんはほら、言う事を聞かないからまた坂を上るんだとプンプン。
本行寺へ行く手前に多宝塔があります。日蓮聖人を荼毘にした場所に550年遠忌を記念して建てられた屋外に建つ日本で唯一の木造の宝塔です。日蓮の霊廟は余り人が行かない本殿の裏にあります。
この近くには江戸時代の御用絵師狩野派の4家90基近くのお墓があります。探幽など多くのお墓があり松濤園には弟子の橋本雅邦の筆塚などもあります。狩野派の菩提寺ですから霊宝殿には沢山の絵画があるんでしょう。長谷川等伯との争いなど頭に浮かべながら散策をします。しかし、思いっきり反対の方へ思い込んで歩いたりこの所どうも調子が悪い。一人でならしょうがない間違えたで済みますが他の人と同行の場合は本当に注意をしなくては。
江戸時代には将軍や大名諸侯を始め多くの江戸町民の信仰を集め大伽藍が整いますが戦災で多くを焼失しましたが現在の立派な伽藍も復興しています。此処には大名、側室、現代の有名人のお墓が沢山あります。
小さい頃からこの境内や周辺で遊んでいますが今だ誰が何処にあるのか全貌は解っていません。ガイドブックやボランティアガイドなどのツアーがあります。今度一度参加しようと思っていたりします。
もう勝手に経蔵の脇当たりだと思い込み入っていきますがかみさんは違う大堂の裏から降りるんだと言っていますがいやぁ違うと降りて行きました。結果はかみさんの言う方が正解でした。もう年をとると頑固になるんでしょうか、間違いが解ってやっと気がつく有様です。
しかし途中加藤清正の供養塔、日樹聖人五輪塔等がありました。この辺は昔子供が小さい頃せみ取りに入り込んだ以来です。まぁ頑固で此処に在ることが解り私は納得、かみさんはほら、言う事を聞かないからまた坂を上るんだとプンプン。
この近くには江戸時代の御用絵師狩野派の4家90基近くのお墓があります。探幽など多くのお墓があり松濤園には弟子の橋本雅邦の筆塚などもあります。狩野派の菩提寺ですから霊宝殿には沢山の絵画があるんでしょう。長谷川等伯との争いなど頭に浮かべながら散策をします。しかし、思いっきり反対の方へ思い込んで歩いたりこの所どうも調子が悪い。一人でならしょうがない間違えたで済みますが他の人と同行の場合は本当に注意をしなくては。
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