美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
同封のあいさつ状にはいつもの独特の筆使いで今年もよろしくと書かれています。今はだいぶ慣れてすぐ読めるようになりました。書の事は良く分からないのですが独特な書体ではあります。
初めて社内へ封筒で戴いた時は相撲文字見たいに表面一杯に住所名前が書かれていて社内の人からはその筋の人からの手紙ですかとか有名な書家ですかとか色々穿鑿をされた事もありました。
最近はパソコンや印刷文字が多くこう言う筆で戴くとちょっと背筋を伸ばして読んだりしてしまいます。かしこまって一字一字読んでいくと短い文章ですが清々しさが出てきます。やはり手書きのその人の気持ちが伝わるんでしょうか。
コピーに蛍光ペンで塗ったものをいただきます。私の写真にも毛が少なくなった頭やネクタイなどに度派手なピンクで塗ってあるものも戴いています。
東海林さんのプロフィール
http://www.watanabe-group.com/cc/members/sa_gyo/shouji_ryou.html
PR
ザボンと言うと甘酸っぱい果皮を伝統的な手法で煮込んだ長崎のお菓子です。九州展などで販売していると必ず手が伸びる商品です。今回は皮というより実ばっかりの太い食べ応えのある砂糖漬けです。
この一つを食べるのにお茶を3杯も飲んでやっとこお腹に収めた食べ応えのあるお菓子です。周りがかりかり中が柔らかジューシーで最高でした。
上の写真は昭和49年発行の国鉄札幌発の急行券で「第25回さっぽろ雪まつり記念です。絵柄は干支の寅と羊蹄山・ニセコ連峰に新幹線で「ひかりを迎えるトラ」です。38年前から新幹線の誘致運動をしていたんですね。昨年何とか津軽海峡を越える話になったばかりです。
同じ札幌市交通局発行の翌年の「さっぽろ雪まつり30年のあゆみ」で昭和25年から昭和54年までの幾つかの作品が描かれて
下の写真は国鉄時代の札幌駅D型入場券で絵柄は時計台や道庁、豊平館、姉妹都市のミューヘン、ポートランドなどです。エキゾチックジャパンキャーンペーン当時のものです。(1984年から)このキャーンペーンの前はディスカバージャパンキャンペーンでエキゾチックジャパンは国鉄分割民営まで続けられました。郷ひろみの歌が懐かしいです。
今年のさっぽろ雪祭りは東北復興をテーマにしています。何度か行った雪祭りは寒いと言う覚悟で着込んで行きますのでそんなに寒さを感じませんでしたが毎日の生活を仮設住宅の皆さんは寒い日々を送られているんでしょう。このお祭りが終われば南から桜の便りも聞こえてきます。
昭和23年8月「華厳」「鬼怒」などの特急を近鉄に次いで運用。平成2年100系を愛称「スペーシア」となる。現在、東武鉄道ではスペーシアとリョウモウ号の特急が走っています。
隅田川とスカイツリーとオレンジのスぺーシアはとても青空に似合っていると思っていました。この所、日光にはJRだし東武はリョウモウ号の方が多いのでまぁ良いいか。
今回は大きな丸を5つ切り出し梅を作ると言うお題でした。しょっぱなから丸が楕円に何となく出来て、見本を見るともっと大きく切り出さなくてはならず、切り出した丸にもう一度合わせて切り出そうとすると大きく外れて隣の丸との間を削り出してしまいました。
しょうが無く新たに挑戦するも旨く行かず同じことの繰り返しで、もうこのグラスで梅は無理。しょうがなく丸の練習をしようと廻り全部を丸に切り出しました。
沢山丸を作りましたがどうも見本のように綺麗な丸にはなりません。それ見ていた先生がもっと大胆に丸を作ると面白いと半分呆れながら指導をしていただき、最後に磨きをかけて戴きました。
身体も大分良くなってきたので是で一杯を楽しみましたが切り出しは兎も角持った重さが何ともいえず旨い酒になりました。色の濃いグラスはどうも見えず切り出しが難しいと色の性にしながら楽しみました。
かみさんは丁寧な作業で相変らず上手に切り出しています。でも怪我の功名で何となく味のある切子と誰も褒めてくれず一人で悦にいっている可笑しな自分が見えます。
若い頃は幾つ貰った、本命は、義理ばかりかと一喜一憂した思い出がありました。勤務していた事業所がおばちゃんばかりの時は数的には人生最大のものでしたがお返しがまた大変だった事を思い出します。
買ってなんじゃ是と思った事をまた思い出しました。
社内での義理チョコのやり取りもこの数年は無くなりました。夜のお店もこの所ご無沙汰です。クリスマスイブとこの時期のホテルや気の効いたレストランは予約で一杯という報道も今は昔のようです。娘達は男性でなく女性同士で交換をしているようで時代は変わっています。
ただ、ひたちなか海浜鉄道ではキハ3710-02の車両にて湊高校、海洋高校、おらが湊鐵道応援団の協力により、バレンタイン用の飾り付けやオリジナルサボを取り付けて14日までの運行があるようです。
この時期になると受験のシーズンで、神社仏閣に合格参拝して祈願の絵馬などに合格祈願をしている光景がテレビなどで映し出されたり早いところは合格発表があります。
南海電鉄では昔からそのものずばりの学文路駅の入場券を5枚綴りで販売しています。なんば駅から急行で1時間紀ノ川を望む高台の駅で近くの菅原道真を祀る学文路天満宮に由来するようです。おみくじタイプになっていて合格が出るようになっています。昭和55年と平成10年発売のものです。
実は浦賀には西と東の二つの叶神社があります。両方とも養和元年(1181)京都神護寺の僧文覚が源氏再興を発願し岩清水八幡宮を勧請、源氏再興後頼朝が神号を改め叶大明神としたと伝えられています。東で勾玉を購入し西で袋を購入するという恋愛成就の袋もあります。東の叶神社裏には勝海舟が臨海丸に乗船する時断食供養した碑などもありその周りは昔の浦賀城跡でもあります。
受験生もいなく気楽にニュースを見ていますが受験生をお持ちのご家族は間際になると眼に着くものは何でも購入し、困った時の神頼みになるようです。後で買っとけば良かったのにならないために。そこを狙うのは何となく好きになれませんが今きっぷを見ながら思えば呑気な父さんは変わったきっぷとして喜々として購入したようです。
今日は立春です。受験生にも早くハルが来る事を祈念します。
写真は彫師 新実護充 摺師小野寺隆二 平成14年制作のものです。名所江戸百景。
今日は立春、当初今月の絵はいつもの広重の東都名所を考えていましたが今年は例年になく寒波が厳しく梅も咲くかどうかの時期に桜は早いと言う事で蒲田村梅屋敷にしました。此処はウオーキングコースでも書いていますのでダブります。
品川宿と六郷宿の間に梅屋敷と言われるお店がありました。当初は道中の常備薬としての「和中散」を販売したり茶店的なものでした。宝永年間(1704~1710)数軒あった1軒山本久三郎は和中散の本舗が近江の国の梅木村であった関係で庭に梅の木を植え酒肴も楽しめる茶屋を開業しました。
旧和中散本舗(滋賀)http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=1706
それがいつしか梅屋敷と呼ばれ大盛況に広さも3000坪に及んだそうです。12代将軍家慶が鷹狩りの折、14代家茂が上洛の際など休憩をしています。
幕末には高杉晋作、佐久間象山、三条実朝、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などが会合を開き、特に高杉晋作など攘夷派の志士たちも此処で横浜異人館焼打ち計画の密議があり山内容堂、毛利元嗣などが慰留をした「梅屋敷事件」などが有名です。
明治維新後は明治天皇始め大正天皇、皇族の方のご来遊もあり特に明治天皇は9度の行幸、梅の木のお手植えもされていました。そして此処は聖跡梅屋敷公園となっています。
大正7年京浜国道の拡幅工事により東側が大きくさかれ西側は京浜電車の開通により大きくさかれ今は当時の面影は全くありません。現在狭い庭内には復元ですが里程標(距 日本橋3里18丁 蒲田村山本屋)山本家の梅の句碑、狂歌堂真顔の歌碑などがあります。弓道場、土俵もあります。
広重の絵には上面に白梅、空は赤く、中段には池を望み萱葺きの小屋が2棟、遠くの梅には紅梅、その周りの小さく多くの人が観梅しています。この遠景を出しているのが下段の浮いているような籠、大きな梅の幹。
そんな歴史的な場所も残念ながら再び京浜急行の高架事業、国道の拡張工事などで今は見る影もありません。同じように原村(矢口)の梅園も今は面影を留めるものがなくなっています。
オレンジとグレーに白線入れた塗装に戻し、現在のワインレッドと白の編成は今月19日までしか見られなくなります。SE車は昭和32年7月に当時としてはスマートで高性能なロマンスカーとして衝撃的なデビューをしました。
性能検査の際三島、沼津間で当時の狭軌鉄道の最高記録145Kを出し、やがて新幹線で花開く高速鉄道の幕開けを飾る記念すべき電車です。写真のきっぷはロマンスカー昭和53年7月発売の直通運転開始10周年記念御殿場線電化記念の3枚セットです。
一の会のメルアドを知っている人で平日時間の取れる人にメールを送ると大半の人が行った事が無く行きたいと即決でしたのでちょっと無理をして行く事にしました。今回参加の人は場所も解らないのでどうしても私が行かなくてはという決めた私の責任と皆さんが楽しみにしています。
稽古場は当然暖房が無く板張りに座布団だけでは寒いなぁと思って入りましたら見学場には暖房器が2台付いていました。
昔の厳しい稽古からかなりやさしくなっているようです。朝赤龍は廻しを付けて土俵に降りていますが柔軟体操程度でゴムで軽いトレーニングでした。若者頭、松田さんが指導をしています。親方はたまにちょっとこいと言って一言程度のアドバイスです。
帰りはちょっと歩くのが辛かったのですが両国まで歩き、相撲博物館を見学して私は岐路に着き、その足で病院へ検査結果がすぐ出て「立派なインフルエンザです」と宣言されてしまいました。
薬は小さな吸入剤で2本吸うだけで他に薬は無いそうです。さびしそうな顔をしていたのか解熱剤をくれました。しかしこの吸入剤で熱も下がり咳も少なくなってきました。ご心配をお掛けいたしました事を感謝申し上げます。ただまだ感染力は残っていると言う事で今週は大人しく寝ています。
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
カウンター
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(04/17)
(04/17)
(04/16)
(04/15)
(04/14)
(04/13)
(04/12)
(04/11)
(04/10)
(04/09)
(04/09)
(04/08)
(04/07)
(04/06)
(04/05)
(04/05)
(04/04)
(04/04)
(04/03)
(04/03)
(04/02)
(04/01)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析