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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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c5801277.jpeg今週はダイヤ改正などの関係で車両の更新などがあり記念切符が色々な鉄道会社から発行されています。十和田観光鉄道のように鉄道自体が無くなるのは別ですが事業の安全、快適性などから古い車両が更新されていきます。
 
今朝もJR東海の品川駅で朝5時半から並んで東海道新幹線300系のきっぷを購入しました。14日のリニア・鉄道館の2時間、今朝の2時間半と良くも今週は並んだ。
 
977b1697.jpeg今週は豊橋駅で飯田線のさよなら119系の記念乗車券を購入、ローカル専用電車で単体でも連結もできる車両でした。213,313系に置き換えられます。195Kの路線に94の駅があり豊橋と辰野までを結んでいます。
 
4f566981.jpegそして今日はラストランとなったのぞみ300系の東京駅、品川駅、新横浜駅、名古屋駅、京都駅、新大阪駅の各駅記念入場券セットが販売されました。どうもこの所気合を入れて並ぶと余り並んでいなく今日は39番目、8時近くには300人位は並んでいましたが余り並んでいないとこんなに早く来るんではなかったと悔んだり、多くが並んでいると有難く感じるのはマニアだけでしょうが。今週は良く並んだ。やはり東京駅は1000人を越える人が並んだそうです。

銀座では新型iPad450人、世界最大1階から12階までのユニクロは1000人が並んだようです。http://www.tetsudo.com/


 
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岐阜城
6ea214ff.jpeg通称  稲葉山城
構造  山城
天守  復興天守
      独立型望楼型3重4階(RC造)
築城主 二階堂行政
主な城主 斎藤、織田氏
遺構  曲輪、石垣、土塁
時間  9時30分~17時30分 夏場夜間営業あり
料金 200円
 
標高329Mの金華山の山頂にそびえ立つお城、京都に対して東の要所に位置して難攻不落の城と言われるが歴史上は7回も落城をしている。此処では美濃のマムシと言われた斎藤道三、娘濃を貰った織田信長、千成り瓢箪の羽柴秀吉、軍師竹中半兵衛、池田輝政などのビックネームが出てくる。その中でも駅前に金の信長像があるように織田信長の居城としてが有名なんでしょうか。
 
d7e303d4.jpeg北条早雲と並ぶ戦国の下剋上大名の斎藤道三、僧侶から油売りそして戦国大名になったが息子義龍を義絶し長良川の戦いで敗れる。義父に応援の信長は間に合わず戦死する直前美濃を譲ると言う遺言書を貰う。何度か攻めるも竹中半兵衛などにより敗走。
 
永禄7年(1564)義龍の子龍興は1部の側近だけを寵愛する事に竹中半兵衛、安藤守就などが造反、後に城を龍興に返すという事態がある。後に半兵衛は秀吉に仕えることになる。
 
永禄10年やっと信長が稲葉山城の戦いで勝利し小牧城から移転する。古代中国の故事周王朝の文王が岐山によって天下を平定した事に因み城、町を「岐阜」と改める。
 
京より足利義昭を迎え天下布武の拠点とした。楽市楽座など新しい城下町づくりを行うが天正4年(1576)子の信忠にゆずり安土城へと移っていく。そして本能寺の変で親子共々天下統一まじかで亡くなっていきます。
 
金華山のふもとは現在公園になっていて織田信長居館跡があり現在も発掘作業が続いています。加藤栄一・東一記念美術館、ギフチョウの名和昆虫博物館、岐阜市歴史博物館があります。
 
このお城にはロープウェーで登る事ができますが、色々な登山ルートもあり40分位で登る事ができます。このお城の天守閣から見る大パノラマは素晴らしい眺めです。此処が京への東の要所だった事も一目で解ります。雪がぱらつき風も冷たく長くは居られませんでしたがそのお蔭で御嶽山や伊吹山、伊勢湾、桑名など良く見えます。
 
52fde8f8.jpeg75717995.jpegc670b566.jpeg02938354.jpeg4179d8b1.jpeg62c56f6e.jpeg麓の岐阜歴史博物館も一見の価値あり、岐阜で刺された板垣退助の像、近くの正法寺には竹と紙で作った13Mの変わった大仏があります。
 
73c18e38.jpeg織田信長のお城としては清州城、小牧城、岐阜城、安土城と廻りました。やはり天下統一の野望から安土城の不思議な作りと本能寺の変後に焼失した信長集大成のお城、礎石だけでしたがロマンを感じる信長の城です。

眺望はこの岐阜城が一番良かったようにおもいます。まして低い山ですが寝不足、浜松城からお城めぐりでしたがその疲れもふっ飛ぶような眺めでした。

またロープウェー近くに眺望の良い展望レストランがあります。冷えた身体に香りの良いコーヒーを戴きました。

 
名古屋は何度も来ていますが大体直接目的地に行けたためしがありません。名古屋城へ行くにはJR名古屋駅から地下鉄に乗り途中名城線で乗り換えて市役所駅で下車します。
 
昨年名古屋城へ行くのにまず地下鉄を探す、いい加減に来ましたのでお城にはと聞くと市役所下車と教わり栄駅で乗り換えましたが反対方向に乗ってしまいました。帰りはバスで帰りました。
 
今回も泊るホテルは新栄駅でしたが指定の1番出口から出ましたが解らず地図片手に何とかたどり着きました。
 
ホテルでシャワーを浴び夕食として「ベトコンラーメン」を考えていましたが残念がら近くには無いとの事、事前に調べたのは名古屋駅近くでまた地下鉄に乗って冷たい風の中探すのも厭になり近くの居酒屋で済ませました。(残念)
 
あおなみ線も解りづらく大きな名古屋駅を大分歩いてやっとこ見つけました。入場券があるかと聞けば剣もほろをにこの路線は入場券は無いとの事。鉄道で入場券がないのは珍しい。
 
しかし名古屋は今のところ食べ物は何も外れはなく値段も安く美味しい。次回名古屋を訪ねるのは名古屋城の御殿が完成してからになると思います。尾張名古屋は城で持つと言いながら名古屋駅から地下鉄は直通がない。次回もバスで行く事になるんでしょうか。そのバスも駅前の乗り場が良く解らない。
 
自分がしっかり調べて行かないのがいけないのですがどうもすんなり行けない。ベトコンラーメンは話のタネに食べたかった。(ニンニクなどが入った元気が出るベストコンディションになれるラーメンだそうです。決してベトナムの兵士のラーメンではないようです。)

e29eca5b.jpeg78e65cce.jpeg5d9bc801.jpegJR東海がやっている「リニア・鉄道館」は14日が開館1周年と言う事で1周年記念のカードを10000枚配布、新幹線300系100系の引退とイベントもあるだろうと余り新幹線には興味がないのですが1度は行こうと思っていました。
 
埼玉のJR東日本は1周年も大変な混みようでしたのでまぁ余り並ばない、入場制限のない時間にと思い前泊しましたが前日の睡眠不足とお城めぐりで疲れたのか目覚めは7時でした。
 
こりゃ駄目かなと半分諦めホテルで朝食をとって初めてのあおなみ線に乗り終点の金城埠頭へ、隣のリニア・鉄道館へ向かいました。8時前には着きましたがドドッと並んでいるかと思えば私の前には前夜から並んでいた東京からの人、北陸から来た人、愛知の車いすのおばちゃんと介添えの娘さん、中学生?4人組しかいません。
 
32f277e6.jpege4fc62e9.jpegdf74642a.jpeg何たることか全く考えていなかった展開です。お陰様でNO,9番のカードを戴きました。9時開門ですが10時開場と結局は2時間並び、忘れてはいけないかみさんから新幹線型のバームクーヘンを買って来いとの指令でちょっと恥ずかしかったですが幾つかの食べ物もお土産に購入してから館内を見学。私の興味か下記の写真などでした。
 
321fa53a.jpeg3f7f8d1c.jpeg309d8df7.jpeg762138f2.jpegbf2091b9.jpeg0c9052e1.jpegb63ac8d4.jpeg300b64c9.jpeg73574359.jpeg切符の好きな私には余り見るものもなくざぁざぁと見て11時のお弁当販売を待っていました。館内見学は1時間弱と待ち時間より短い。多くの人はシュミレーターで新幹線を操縦したいようです。
 
6c92a18e.jpeg10420e3a.jpeg4382df2e.jpeg55b126e5.jpeg68db34ca.jpegd1d3a97f.jpeg2129b270.jpegとりあえず新幹線開業当時の昭和39年当時の復刻版の駅弁、限定の300系さよなら弁当を購入。さよなら弁当は家のお土産。昭和39年当時のお弁当は800円でしたが美味しく戴きました。100系も同じ日に引退ですがのぞみのインパクトが強いのでしょうか。

新幹線は大学に入ってから乗りました。当時でも贅沢な乗り物でした。食堂車も今誰もいないところを見ると場末の食堂みたいですが当時は大勢の人が押し寄せて食事をしていました。私は残念ながら廃止になる間際に誘われて高いコーヒーを飲んで贅沢な気持ちだったことを思い出しました。列車では安い駅弁かパンでした。お茶は陶器製だったり薬缶で入れてもらったような気がします。そしてビニール製の手で揉むタイプのお茶は画期的でしたが余り旅の気分は無くなりました。
 
JR東海は営業距離も駅数も少ない会社ですが東海道新幹線があり優良会社になっています。ですから在来線などはたいしてなくこの鉄道博物館もリニア・鉄道館と言う名前になっているんでしょうか。
 
32f277e6.jpeg0系、100系、300系、リニアと豪快に並んでいます。今回の300系も平成4年から10年まで製造され同じ3月14日に東京―新大阪を2時間半で走る「のぞみ」で午前9時の会議に間に合うというキャッチフレーズだったそうです。通常ダイヤからは13日に山陽新幹線で引退しています。明日のさよなら運転で引退になります。
 
新幹線は今は700系、N700系が主力になって行きます。JR西日本の500系はまだ運用されていますが高速運転の新幹線の寿命は短くなっていきます。私はとことこ列車や電車でのんびり旅をしたいと思っています。今回も名古屋から6時間かけて帰りました。

詳細は下記鉄道コムです。
http://www.tetsudo.com/
 
早く旅に出たい気持ちがあるが寒い日が続き、今年は例年にない雪が降る日が多かった。でも旅に出たい気持ちが強く、青春18キップも発売されているし14日はJR東海のリニア鉄道館も開館1周年だしと訳の分からない理屈をつけ13日早朝家を飛び出しました。
 
どうせ行くなら途中お城を見て泊まりは名古屋で1泊してリニア鉄道館は開館1周年、さよなら新幹線300系で大変な混みようでしょうから東京からのこのこ行くよりよ~いドンで早目に並ぼうと計画をしました。
 
城はとりあえず岐阜城に行きたい。まだ行った事がなく昨年東海道沿いのお城めぐりで岐阜には降りたのですがロープウェーが点検でお休みですと駅で言われ諦めました。
 
1つじゃつまらないので何回か行っていますが浜松で今回はうなぎでなく餃子でも食べて序でにお城へ行こう。岐阜から戻り名古屋ではひつまぶしでなくみそカツでもなく今回は「ベトコンラーメン」と決めて、当然おやつは豊橋のお稲荷さん、名古屋のきしめんとワンパターンです。
 
リニア館は初めてですからちょっとおおなみ線のきっぷ、豊橋で飯田線の119系の記念乗車券もまだあればゲット、浜松、岐阜、名古屋の郵便局の1000円貯金もといい加減な計画で向かいました。

事の顛末は後日。今回の情報は
http://www.tetsudo.com/
822306ed.jpeg昨夜は、友人の石田会長が主催している応援チャリティーコンサートの第二回が開催されました。チャリティだから入場券を買ってよと言われ、えぇ素人のカラオケでしょ。あまり好きじゃないし前回買ったでしょ。と何とか逃げようとしましたがチャリティ、チャリティだからと言われ行く事になりました。
 
入場料2000円、夜の部前に素人さんを舞台で歌わせ出演料ならぬ参加費を取り、夜には大田区の歌手さんが歌うそうで売上金は会場費等を除き全額大田区寄付するそうです。前回は200万円の寄付になったようです。
 
会場はJR鎌田駅前の大田区民ホール・アプリコで1000人以上入る大ホールですが6時過ぎに行ったらもうほとんど満席で大田区長の挨拶が始まっていました。何とか後ろの中央の席に座りました。
 
もうその席の周りは百貨店の1階の匂いが充満、香水なのか私にとってはかなりきつい化粧のにおいです。久しぶりに耳にガンガン来る歌謡曲、演歌を一杯聴きました。
 
暫くは化粧品の匂いと演歌は充分堪能したので遠慮したいと思います。石田氏の恐ろしい事は壇上の歌手さんに募金箱を持って廻らせた事です。周りに人もまた払うのと言っていますが多くがその歌手の御贔屓さんのようでニコニコ払っています。口と腹は違うようです。
 
57f46224.jpeg私は列の真ん中ですから暫くはとぼけていたら、私の名前を呼ぶ人が居るので見ればロスインデイオスの棚橋さんです。私もしょうがなく寄付する羽目になりました。
 
まぁ寄付金が石田さんに行く訳でないのでまぁしょうがないか。しかし良くやるなぁと感心しきりでした。
 
まだ拳を回した歌声が耳に残る寒い夜でした。

 
43c53f6f.jpeg岩手県大船渡のお土産菓子で三陸を旅した時の定番のお土産になっています。

白餡を黄色い生地に包んで全体をホワイトチョコでコーテイングしてあり見た事がないのですがかもめの玉子はこんな大きさなのかと思ってしまいます。

観光船に乗ってかもめにカッパエビセンをやる楽しい思い出がラップします。一口で食べられる大きさですが中はどうなっているんだろうと半分にしてズボンにポロポロ落としたりした事が思い出されるなど今は三陸と言うより岩手の代表菓子になっているようです。

今では都内の百貨店で何処でも購入できるくらい有名なお菓子になっています。
久しぶりに購入しましたがやっぱり美味しいですね。お菓子を食べながら昔行った旅を思い出すのが良いです。

丁度東日本大震災1年で東日本大震災関連の「頑張ろう東北」のキャンペーンで購入しました。大船渡はチリ地震での被害から復旧、今回は東日本大震災の被害で大船渡線はまだ運休しています。今回も粘り強い東北の人は必ずや復興するでしょう。これからも身の丈にあった応援をしたいと思っています。
 

 
1a39eaca.jpeg大田区ワンコイン文化講演会「フェルメール全作品と生涯」が東急多摩川線下丸子駅横ににあります大田区民プラザで開催されました。
 
フェルメールは17世紀のオランダを代表する風俗画家で謎も多く生涯作品も少なく日本では大人気の画家の一人です。現在は渋谷の東急文化村ザ・ミュージアムで前回の地理学者に続きラブレター展が14日まで開催されています。
 
今回はチケット完売との事で500名収容の会場はほぼ満席でした。圧倒的に私より年上のおばちゃんでなんでこんなに人気があるんだと不思議に思います。渋谷の展覧会のチケットはまだあるんですがあの混みようで2回目はと二の足を踏んでいます。今月末のダ・ヴィンチ美の理想にしようと思っています。
 
講演は多摩美術大学の中村教授ですがスライドで絵を見ながら説明をしていただきますがこの人の話は芸術的な専門的な話でなくポイントは押さえながらも漫談を聴いているようでとても楽しい時間でした。
 
フェルメールは独自の特徴あるあの窓側からの構図などは実はそれ以前の人の習作でありながらこまごました物を取り除いたシンプルさ、青、赤、黄などわずかな色で描かれている。私が知っていたフェルメールブルーにはあまりこだわっての説明もなく、絵が持つ物語性は個あまり取り上げなく、印象派前の光の表現、点描、宗教画のような崇高さを強調されていました。聞いてて北斎、広重の作業を思ったりしました。
 
評論をする人によってかなり中身が、見方が変わるんだと言う事も感じました。余り難しい事は解りませんが楽しい時間を過ごせました。
 
待ち合わせの時間が迫り講演会の楽しい感慨もそのまま慌てて大森へ戻りました。幾つかの絵を思い描きながら旨いビールをグイッと。

いつもの菩提寺に散歩がてら参拝をして京急梅屋敷駅のそばの聖跡梅屋敷公園で良い匂いの梅を見てから時間もあり此処から京急川崎へ行き川崎砂子の里資料館へ向かいました。

駅から歩いても数分の旧東海道沿いに川崎砂子の里資料館があります。今月は歌川芳年の月百姿の前期が行なわれています。時間がある時に見ておこうと行きましたが残念ながら日祭日が休館日でした。頭の中は美術館等は月曜日が休館日と刷り込まれています。

ですから月曜日は美術館へは行かず同じ世界ならギャラリー、デパートの美術部へ行きます。都内めぐりなどの散策に当てますし夕方からはトレーニングを入れてます。

どうもこのような自分での刷り込みでの勝手に行動してドジを踏んでいます。


http://www.saito-fumio.gr.jp/
fc32c5c8.jpeg今日から南海難波駅近くの大阪府立体育館で23年3月場所が始まります。

大相撲は朝8時の呼出しによる寄せ太鼓から始まります。8時45分から序の口の相撲が始まります。序二段、三段目、幕下と続き午後2時20分頃十両土俵入り3時45分幕の内土俵入り、横綱土俵入りと続き6時近くに弓取り式を行い呼出しのはね太鼓で終了となり長い一日が終わります。
 
大相撲には力士がメインですがその他に勝負を裁く行司、土俵の周りで勝負を見極める勝負審判、観客に取り組みを知らせる呼出し、力士の髪を結う床山、会場運営の木戸、館内担当、決め手係、場内放送、事務担当、各部屋には指導する親方衆など目に見える人、見えない裏方の人が沢山います。
 
7be2ad00.jpega5c4fe1c.jpeg888d051c.jpeg毎場所番付を親方、呼出し・行司、マネージァーさんなどから戴きます。呼出しさんの仕事は取組の力士名を扇子を広げながら呼び上げます。マイクを使わず1万人に聞こえる様に抑揚のある独特の節回しで呼び上げています。
 
4853fe01.jpege7357843.jpeg7014045a.jpegこの他に土俵を作るのも呼出しです。土俵は本場所の会場だけでなく各部屋の稽古場も作ります。本場所中は土俵上の砂を綺麗に掃き物言いなど蛇の目の砂が勝負を判断します。呼び上げた後は必ず箒で掃いている光景を見られると思います。また幕の内にはお客からの懸賞金が掛かりその懸賞幕を持って土俵を廻ります。綺麗な刺繍された懸賞幕にうっとりしたり同じ企業が何本も出すとお客さんからオォーといった声も聞かれます。
 
f5834237.jpeg土俵下では力水、塩を用意してタオルなど力士が拭く物の手伝い、土俵下の審判の手伝い、物言いの場合には城内説明のマイクを審判長に渡したり控え力士の座布団などを運んだりもしています。
 
十両や幕の内の土俵入りには柝を入れます。中入りに翌日の取り組み紹介の顔触れ言上には行司の手伝いをします。取り組みが終わると土俵の整備整頓、はね太鼓を打ち鳴らして大まかな作業が終了します。
 
f0a28e7d.jpeg呼出しは力士と同じ階級があります。1番上が立呼出しと言われています。ただ行司は階級により衣装や持ち物が変わりますが呼出しは同じ裁付け袴のようです。
 
給与は協会から出ますが呼出しは行司や床山と同じように各部屋に所属しています。一人も所属していない部屋があったり多くが所属している部屋があったりします。居ない場合は各一門で土俵作りなどを手伝ったりするようです。
 
定員は行司・床山と同じ45名、定年が65歳です。呼出しになる資格は義務教育終了から満19歳までの年齢制限があります。各部屋に入門願いをして定員枠があれば親方の了承で協会に入門願いが出されます。
 
知ったかぶりで書いていますがまだこの他に場所中協会内の仕事があったり朝から晩まで色々な作業があるようです。そして呼び上げ、俵などの土俵づくり、太鼓などの稽古もあり巡業などでは先乗りして土俵づくりを毎日のように行うようです。
 
地方場所、巡業などお相撲さんとの一緒の生活ですので気を付けないといつの間にか体重がお相撲さんになれる位になったりもするようです。

 
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