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岐阜城
6ea214ff.jpeg通称  稲葉山城
構造  山城
天守  復興天守
      独立型望楼型3重4階(RC造)
築城主 二階堂行政
主な城主 斎藤、織田氏
遺構  曲輪、石垣、土塁
時間  9時30分~17時30分 夏場夜間営業あり
料金 200円
 
標高329Mの金華山の山頂にそびえ立つお城、京都に対して東の要所に位置して難攻不落の城と言われるが歴史上は7回も落城をしている。此処では美濃のマムシと言われた斎藤道三、娘濃を貰った織田信長、千成り瓢箪の羽柴秀吉、軍師竹中半兵衛、池田輝政などのビックネームが出てくる。その中でも駅前に金の信長像があるように織田信長の居城としてが有名なんでしょうか。
 
d7e303d4.jpeg北条早雲と並ぶ戦国の下剋上大名の斎藤道三、僧侶から油売りそして戦国大名になったが息子義龍を義絶し長良川の戦いで敗れる。義父に応援の信長は間に合わず戦死する直前美濃を譲ると言う遺言書を貰う。何度か攻めるも竹中半兵衛などにより敗走。
 
永禄7年(1564)義龍の子龍興は1部の側近だけを寵愛する事に竹中半兵衛、安藤守就などが造反、後に城を龍興に返すという事態がある。後に半兵衛は秀吉に仕えることになる。
 
永禄10年やっと信長が稲葉山城の戦いで勝利し小牧城から移転する。古代中国の故事周王朝の文王が岐山によって天下を平定した事に因み城、町を「岐阜」と改める。
 
京より足利義昭を迎え天下布武の拠点とした。楽市楽座など新しい城下町づくりを行うが天正4年(1576)子の信忠にゆずり安土城へと移っていく。そして本能寺の変で親子共々天下統一まじかで亡くなっていきます。
 
金華山のふもとは現在公園になっていて織田信長居館跡があり現在も発掘作業が続いています。加藤栄一・東一記念美術館、ギフチョウの名和昆虫博物館、岐阜市歴史博物館があります。
 
このお城にはロープウェーで登る事ができますが、色々な登山ルートもあり40分位で登る事ができます。このお城の天守閣から見る大パノラマは素晴らしい眺めです。此処が京への東の要所だった事も一目で解ります。雪がぱらつき風も冷たく長くは居られませんでしたがそのお蔭で御嶽山や伊吹山、伊勢湾、桑名など良く見えます。
 
52fde8f8.jpeg75717995.jpegc670b566.jpeg02938354.jpeg4179d8b1.jpeg62c56f6e.jpeg麓の岐阜歴史博物館も一見の価値あり、岐阜で刺された板垣退助の像、近くの正法寺には竹と紙で作った13Mの変わった大仏があります。
 
73c18e38.jpeg織田信長のお城としては清州城、小牧城、岐阜城、安土城と廻りました。やはり天下統一の野望から安土城の不思議な作りと本能寺の変後に焼失した信長集大成のお城、礎石だけでしたがロマンを感じる信長の城です。

眺望はこの岐阜城が一番良かったようにおもいます。まして低い山ですが寝不足、浜松城からお城めぐりでしたがその疲れもふっ飛ぶような眺めでした。

またロープウェー近くに眺望の良い展望レストランがあります。冷えた身体に香りの良いコーヒーを戴きました。

 
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