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横山大観瀟湘八景 8幅 瀟湘八景は中国の伝統的な画題。
同じ題名ですが橋本雅邦の1巻
明治の油絵の大家高橋由一の肖像画大久保甲東(こうとう・大久保利通の雅号)、上杉鷹山像
高橋由一の甥の安藤仲太郎の岩倉具視、大久保利通像
高村真夫の黄檗僧、黄檗は禅宗。
佐藤朝山のシャクンタラ姫とドウシャンタ王
朝山は大正時代の天才彫刻家で大田区馬込の文士村に住んでいた。戦後は師匠の山崎朝雲と不仲になり玄々と名乗る。
朝山の作品は何時でも見られるのは巨大な作品で日本橋三越1階に天女(まごころ)像が見られる。
8室書画の展開は10月30日まで酒井抱一の「夏秋草図屏風」が展示されていた。先月感動したものがまだ見られたので得をしたような気がした。先月も書いたのでダブっていますが。
琳派は江戸初期本阿弥光悦・俵屋宗達が創始、江戸中期に尾形光琳。乾山兄弟によって発展し江戸後期に酒井抱一・鈴木其一が時代を超えて定着させた。光琳から実に100年後に再興がはかれた。
この屏風は銀箔で夕立にたれる夏草、強風に吹きすさぶ秋草など自然の対比を描いていますがこの屏風の裏には金箔に風神雷神が描かれた有名な尾形光琳の風神雷神図が描かれています。
扇面散屏風は宗達派の作品で60の扇絵が切り貼りされている。
秋草図屏風は俵屋宗雪の作。宗雪は加賀藩に仕えたそうです。
歌仙絵 特別室
歌仙絵とは優れた歌人の和歌とその肖像を表したやまと絵の一つだそうです。平安時代の中期、藤原公任(きんとう)が編んだ三十六人撰に基づく三十六歌仙絵、鎌倉時代前期、後鳥羽院が編んだ時代不同歌合に基づく時代不同歌合絵など。今回展示されている作品は重要文化財が多い。
佐竹本三十六歌仙絵 小野小町など。
柿本人麻呂像 祇園南海の書
新三十六人歌合画帳
東照宮縁起絵巻2 住吉如慶作
宮廷コーナーではたけくらべ草紙
今月の国宝は伝藤原能像
今月は先月からの展示の夏秋草図屏風がまた見られたことが良かった。暫くは見られないだろう。そして良く解らないがやまと絵を見た。洋画の良く解らない絵より良いなぁ。
浮世絵コーナーは10月25日~11月20日の展示です。今回は浮世絵前史の寛文美人の代表作の右近源左衛門を描いたとされる肉筆画がメインだそうだが初めて聞いた名前、作品です。季節柄楓や萩などを描いた作品が展示。
舞妓図(伝右近源左衛門)作者不明、鳥居清倍の子を抱く美人
柱絵が多い礒田湖龍斎の雛形若菜の初模様扇や内瀧川。 鳥居清長の出語り・二代目市川門之助の徳兵衛、四代目岩井半四郎のお初、三代目瀬川菊之丞のお房。
国貞、国芳の師匠歌川豊春の書、画
風景画の葛飾北斎清原深養父、武者絵の国芳の加藤清正虎狩。
風景画歌川広重近江八景の石山秋月、堅田落雁
広重の木曽街道和田
同じく広重の諏訪湖御神渡り
同じく有名な洗馬
国芳の山海愛度図合と国貞の江戸名所百人美女・染井。国芳は弟弟子
国貞の美人画には及ばない。やはり国芳は武者絵が得意。
勝川春潮の海案寺の紅葉狩り、品川海あん寺は昔は紅葉の名所。パッと見、鳥居清長と思ったがまだまだです。
恵比寿講、これも鳥文斎栄之の作品かと思ったが鳥高斎栄昌の作品だそうです。
会津鉄道のトロッコ列車には中位の大きさの郵便ポストがある。飾りでなく本物のポストで投函が出来る。
投函されたはがきは会津鉄道と吾輩というキャラクターの絵入り消印が押され配達をしてくれる。利用者はどのくらいあるのか解らないが旅の思い出になる。こう言う企画は私は好きです。https://www.tetsudo.com/
稲庭饂飩 10・26
今日も暑い、ましてトレーニングをやった後でざるで七代佐藤養助の稲庭饂飩を戴く。何故か酢の物が食べたくなり鳥取の砂丘らっきょを。松山の居酒屋で友人と飲んでいた時に鳥取のおふくろのらっきょですと戴きそれ以来らっきょうは鳥取の物にしている。
へぎ蕎麦 小出駅前 10・22
小出駅前のお店で以前も友人と来て戴いた。その時は此処からバスで栃尾又温泉に行く途中だった。未だに長時間の入浴はここの温泉。
そんな思い出のあるお店。ビールも止めて戴いたが無理してお腹に入れたがやはり美味しい。個人的にはつゆはもう少し濃い方が良い。
駅弁 海苔弁 郡山駅 10・21
ほっかほっか弁当ののり弁でなくご飯に海苔がかかりご飯の間に昆布の佃煮、おかか、ご飯の上梅干し。おかずは大きな玉子焼き、大きな鮭の切り身、かまぼこ、ごぼうのきんぴら,里芋・人参などの煮物。
味もくどくなく冷たくても美味しい味付け。私の郡山駅の定番。
チャーハン・餃子定食 春香園 10・18
十月中旬でも半袖日和、蒲田東口の羽根つき餃子の春香園のランチでチャーハン、コーンスープ、大きな羽根つき餃子3つ、麻婆豆腐、杏仁豆腐の700円の定食。この周辺の中華のお店は500円からある。
昼間ですが暑いので生ビールを戴きました。このお店の餃子はボリュームがあり美味しい。
うな丼 10・16
弟から送ってもらったうなぎ此処の所トースターで焼きたれをかけるだけで簡単なため戴く機会が多い。他に食べ方があればやるのだが私の技術の中でなまじやると旨いものがまずくなる可能性がありオーソドクスなものになる。
テイクアウト茶巾寿司と穴子の箱寿司の詰め合わせ 醍醐 10・15
田園調布のお寿司屋の茶巾と穴子寿司、大田区のお土産百選2016の最優秀賞に選ばれた寿司。おおた商い観光展のブースで販売していたので購入。茶巾は普通、穴子も私にとってはイマイチ。
サンドウイッチ 10・12
ランチョンミートを焼いてキャベツ千切りにマヨネーズを絡めバター、マスタードを塗ったパン。コーヒー、ゆで卵。
只見線が今回の旅のメインであり会津若松駅に前泊して乗った。大分昔に乗ったのだが完全に忘れている。只見線は会津若松、小出135K 、駅数36全線単線非電化、山間を福島から新潟を走る路線だそうだが両方共キハ40だった。
平成23年7月集中豪雨により橋梁が流され会津川口から只見までは不通で代行バスが走っている。車窓は東北電力の電源開発された幾つかのダムが見えたり只見川が右左に見え絶景な路線です。紅葉はいまいちで来週辺りがよかった。
左が会津若松駅下り時刻表 右は只見駅の下り時刻表
朝6時の車両を乗り過ごすとその日に東京にはかなり遅くなるので今回3日共早起きとなった。眠いが絶景に目をこらせていた。
会津川口から只見駅まで代行バス。
只見駅から小出駅行きのキハ40
線路では住民が手を振ってくれていた。居ない場合でと人形も。
只見駅からすぐ長いトンネルに入りトンネルの合間に湖が見えたり紅葉が見えたりするが携帯では中々シャツターチャンスを逃す。新潟魚沼市に入ると田園風景で紅葉はなくなる。
小出からの上越線
水上から高崎までの上越線
小出から上越線で水上、高崎と経由して上野東京ラインで一気に品川へ。高崎から小田原まで行けるので便利な路線になった。3日間だが寝不足と電車、列車の乗りっぱなしでお尻、腰が痛くなったが車窓を楽しむと共に昔を思い出す旅でした。
今回の旅ではきっぷは会津鉄道の湯野上駅入場券だけ郵便局千円貯金は2局だけでした。https://www.tetsudo.com/
新幹線が普通列車より早い時間に出る。
10月21日、早朝かみのやま駅から6:43発の福島行き、郡山駅経由して磐越西線で会津若松駅に11時には降り立った。今晩はこの会津若松に翌日の只見線全線走破の為に宿泊を予定している。
同行者がいれば会津若松城や喜多方の観光を入れるが来るたんびに同じコースでもと思い折角だから会津鉄道に乗ろうと大内宿、塔のへつりの見学をすれば夕方になるので暑い位の快晴ですが大内宿・塔のへつりのセット券を購入。
会津鉄道は国鉄・JR東日本から福島県・会津若松市などにより第三セクターになっている。野岩鉄道・東武鉄道と結ばれ浅草から会津若松まで来ることも出来る。
会津鉄道のトロッコ列車先頭車木のテーブル、座席、後ろがお座敷、最後部が展望車になっている。
会津鉄道は西若松から会津高原尾瀬口までの57.4K、駅数21、全線単線、西若松から非電化、会津田島からは電化。
時刻表の関係で大内宿、塔のへつりを見学して会津若松に戻るコースを考えた。
大内宿は南会津の山中にあり会津鉄道湯野上温泉下車駅前のバスで20分位で着く。下野街道の宿場で現在江戸時代の街内を再現して道の両脇には茅葺の民家が立ち並んでいる。距離はそんなにないが電柱もなく雰囲気は江戸です。本陣跡は見学もできその他の建物は民宿、飲食店、売店になっている。
塔のへつりは会津鉄道塔のへつり駅から徒歩ですぐ。河食地形の奇形を呈する国の天然記念物。へつりとは方言で川に沿った険しい断崖の事だそうです。
https://www.tetsudo.com/
上山温泉一人旅で駅前の観光案内所で今日の宿があるかお願いしたら取れたのでお城に向かった。途中下校時の小学生が合うたびに「こんにちは」と挨拶をしてくれる。中々良い。東京ではこれがあだになる事もある。難しいなぁ。
お城見学の後、下の和菓子屋でまんじゅうを食べお茶を飲んで休憩。この町には7つの共同浴場があり此処から近い下大湯共同浴場があり此処が一番大きく歴史もあるが熱いそうです。
150円という格安の温泉でただ頭を洗うのには100円追加だそうです。私以外は全部地元の方で私がかけ湯してそのまま入っていたら元気だねぇと声をかけてきた。私の入った場所が一番熱いそうですが東京の銭湯はもっと熱く水を出したら常連に怒られる。
江戸時代の銭湯で沢庵和尚も入ったという湯船を楽しんだ。そこから歩いて一番奥の旅館「有馬館」に向かう。
一人旅で普段はビジネス専門だが久しぶりの温泉旅館、10畳の和室で畳が新しい、そして料理は期待していなかったが凄い量で立派な料理だった。13000円税別ですのでこんなに出るのかと驚いた。
部屋出しで前菜は山形の郷土料理という9種類が少しづつ松花堂に入っている(菊のおしたしいくら添え・えごの酢味噌和え・無花果のワイン煮・あけびの肉詰め等)御造りは4種、鍋はしゃぶしゃぶで霜降り山形牛大きいのが3切れ、小鍋は芋煮、煮物は鯉のカルシューム煮、温物は山形牛ビーフシチュー、アワビのカルパッチョ、茶わん蒸し、凌ぎで麦切り、止め椀はあおさの減塩みそ仕立て、ご飯はつや姫、水菓子は見た目が綺麗なフルーツプリン。
生ビール、日本酒2本でもう飲めず、その後の風呂も入れずマッサージは時間をずらせてもらった。写真を撮ればよかったが私の担当していた旅館では2万以上は貰わなくては合わない。
突然お願いした旅館だが山形へ行ったらかみのやま温泉にぜひ行きたいと思った。人間満腹になると幸せにもなる。若くして亡くなった親友の事は此処では忘れていた。https://www.tetsudo.com/
上山城
別名 月岡城
構造 平山城
天守 1982年望楼型3層5階の模擬天守
エレベーターがある。
築城主 武衛義忠
主城主 上山、土岐 藤井松平氏など
遺構 石垣・土塁・堀
1階、2階が展示物があり本来は城主関連の展示物だろうが目についたのが出羽ヶ嶽と言うお相撲さんの立像と写真。上山出身で2m4㎝で唯一日本人での2m越えの力士。
入幕後負けなしで関脇まで行くが脊髄カリエスでその後は成績は振るわず1939年引退、年寄田子の浦を襲名。死後巨人症の研究で遺体は東京大学付属病院で標本となっている。(合掌)
特別展で紫衣事件で上山に流された沢庵和尚が当時の藩主土岐氏によって手厚く迎えられて3年間「春雨庵」に。当日行った上山の共同浴場「下大湯共同浴場」は沢庵和尚も入ったようです。
下大湯の温泉の横に観音寺と言うお寺は最上三十三観音の第十番目の札所だそうで旅の安全を祈願。https://www.tetsudo.com/
只見線全線走破と秋田から山形、福島と色々考えたが結局山形かみのやま温泉に泊まって翌日朝一番の列車に乗って紅葉や清流の渓谷などを楽しもうと思いこれなら新幹線を利用しないで普通列車で乗車の旅で充分時間的にも2泊3日なら余裕とノコノコ出かけた。
10月20日新橋7時44分宇都宮行きに乗車。大宮辺りから車内はガラガラ予定から遅れて宇都宮に到着。車両最後尾だったため遅れた電車に待つてくれたようだが残念黒磯行には乗り損ねてしまう。
50分後の黒磯行きに乗り予定では福島行きがあったがこの時間では郡山行、その後福島行きに乗ろうとしたら2時間くらい待たないと列車が来ないのでショトーカットで福島から新幹線を利用、紙の山駅に到着。
かみのやまは温泉と斎藤茂吉、お城位しか思い出さない。30年前に高校時代の親友と誘われ泊まった記憶がある。友人は付き合っていた彼女がこちらに帰り彼女と別れたようでその仲直りに私を誘った。
結局彼、彼女は数か月後結婚をして私が司会もした。
彼は約20年後に若くして亡くなった。丁度この時期に亡くなったのを時刻表を見ながら思い出した。どうもこの歳になると未来に向かう話より後ろ向きの話が多くなる。只見線も5年前に集中豪雨で一部不通に今でもなっている。思い出さないが一度全線走破しているがこの調子なら廃線になる可能性もあり今回乗ってみたかった。
当時の旅館は覚えていないが上山温泉に泊まり翌日朝一番の福島・郡山、磐越西線で会津若松へ。時間も大分ありホテルを決めて会津線で塔のへつり、大内宿を見学して時間つぶしをした。
喜多方に行けば知っている居酒屋のおばちゃんの店があるが只見線も朝一番で乗らないと全線走破出来ないので会津若松の飲み屋はビジネスホテルで紹介してもらう。値段はそこそこだが大変混んでいて美味しかった。
10月22日6時発土曜日でガラガラの只見線に乗り車窓は一部紅葉が見られ渓谷、幾つかのダムを見ながら会津川口から只見駅までは線路に沿って代行バス、只見駅から小出駅までのとりあえず全線走破。
小出駅で前にも戴いた板蕎麦を食べるが今日はアップアップの完食だった。上越線で水上、高崎を経由して便利になった上野・東京ラインで品川まで帰った。https://www.tetsudo.com/
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