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チーズケーキーパシフィックベーカリー
以前は品川駅前のホテル・パシフィックで作っていましたが、現在はお台場のグランパシフィックで作っています。
品川駅前のウイング高輪の地下に売店が出店しています。今回はママリンのお土産。このケーキは家族全員の大好物です。
スフレチーズケーキでしっとりした滑らかな濃厚な味のケーキで上にアプリコットジャムが塗ってあります。極端に言えばチーズケーキのホテル・パシフィックでした。味はさりげなく時代によって変わっていますが相変わらず美味しい。
代官山カレーパンーシェ・リュイ
小さな丸いカレーパン、パン生地はカラッと揚げられ、中はカレーのルーがジューシー。パン生地にもカレー粉を混ぜたのか黄色い、辛さもちょうど良い。贅沢を言えばもう少し具があれば。JR蒲田と東急蒲田駅の間の通路の売店で購入。
カステラー福砂屋
羊羹はとらや、カステラは福砂屋と私の定番。冬は下のザラメも溶けないので尚美味しい。中目黒の工場にて購入。
小さなバームツリープレーンーねんりん家
今回もママリンのお土産、周りは砂糖なのかカリッとしているが中は柔らかく甘い。1つだと何となく物寂しくなる。品川エキュートで購入。
肉まんー華正楼
横浜中華街の華正楼の肉まん、中華街へ行くとなぜか此処でお土産を買う。肉まんは冬になると品川の中国料理高輪の肉まんが我が家の好物でしたが残念ながら今はない。
お店を知っている分、安心して美味しく戴けたんですが。今は華正楼の中華まんを戴いています。30分蒸すまで待っていられないことがあります。今回は中華街でなく横浜高島屋で購入。
池上線は五反田・蒲田間10.9Kの短い路線です。駅数15、ワンマン運転で3両編成、全線普通電車。大正11年池上本門寺参拝輸送を目的にした池上電気鉄道を昭和9年に買収した路線。品川区から大田区の住宅地を走る路線。
池上線、目蒲線(現多摩川線)は長く東急線の中では車両も古く、駅舎も改良がなく、今でも懐かしい木造スレート屋根の駅舎があります。その分懐かしくのどかな路線でもあります。
石川台駅 昭和2年8月開業
石川台駅は開業時は「石川」と言いましたが、現在このあたりを流れている呑川が昔、石川と呼ばれていたことからきています。この池上線を走っている車両に鋼板製の屋根が特徴のクハ385形があります。この車両は昭和27・28年に東急横浜製作所などで造られたもので、昭和48~50年に行われた車体更新で前面のライトが左右二つづつになりました。
石川台駅は改札側は平面がですがホーム後ろ側は築堤上にあります。近くには雪ヶ谷八幡神社があり石段を登ると広い境内に本殿、舞殿、斎霊殿などがあり斎霊殿の裏には7体の駒型庚申塔群、40貫の力石などがあります。
商店街も幾つかあり希望ヶ丘商店街は面白そうなお店もあり元気がありそうです。
雪が谷大塚駅 昭和8年6月開業
雪が谷大塚駅は「雪が谷」と「調布大塚」の両駅を合併して「雪ヶ谷大塚」として生まれ、昭和41年1月に現在の駅名になりました。駅名の雪ヶ谷は雪ヶ谷大田新六郎という人に「大塚」は鵜の木村の小名(狭い領地の大名)・大塚にちなんでいるようです。この駅は電車の安全運行に気を遣い緊張の連続の運転士さんと車掌さんのために途中駅での乗務員交代が見られる駅です。
駅の近くには検車区があり、電車、工事車両などが止まっています。電車の制服を着た人達が研修をしています。この線路を使い電車の折り返しなどをするようです。
今回は行きませんでしたが近くに高さ6m直径27mの円墳もあります。
御獄山駅 大正12年5月開業
御獄山駅は江戸時代に木曽の御獄神社から別れて建てられた関東地方の第一分社である御獄神社(御獄山)からつけられています。社殿のひさし部分には「浦島太郎」や「養老の滝」などの物語や古い言い伝えにつながる彫刻(区文化財指定)が見事な姿で表されています。この御獄神社の祭日はたくさんのお参りをする人たちで賑わっています。
御獄神社は彫刻が沢山彫られた引き戸が神社裏側に4面飾られています。また御獄神社講の沢山の碑が置かれています。昔は木曽へ行けない信者などで大変賑わったようです。
久が原駅 大正12年5月開業
久が原駅は開業時「末広」といい「東調布」「久が原」となり、現在の駅名になりました。久が原は燃料採集地を意味する久木からきているという説があります。スタンプになっているのはかって池上線で走っていた電車デハ3650形です。久が原が現在の駅名になった当時もこの電車が活躍していました。昭和28年に電動車となり3両編成で池上線を元気に走っていました。
駅前のライラック商店街があります。その他に昭和の暮らし博物館という昔のちゃぶ台冷蔵庫などを普通の一軒家で有料で見学させています。久が原はホームの長いベンチ位。
千鳥町駅 大正15年8月開業
すたんぷポンの解説では
千鳥町駅は開業時「慶大グランド前」といいました。千鳥というのは、昭和7年に東調布町から分かれて初めて生まれた地名です。池上線の一時代を築いた名車に3500形と言う電車がありました。デハ3450形より窓が大きく薄くなってスマートなスター的存在でした。車体は鮮やかな緑色で「海坊主」と呼ばれみんなから親しまれていました。
初めて降りた駅ですが千鳥町も特徴がない駅前です。池上線では平面駅舎は狭いホームですが車椅子用のスロープが付いています。
駅前に変わった名前の居酒屋がありました。「酔っぱらい蟹」なら知っていますが「浮かれ海老」何で付けたのか聞きたいものです。
池上駅 大正11年10月開業
池上駅の名前は池上本門寺からきています。池上は鎌倉時代の領主・池上右衛門という人の姓から生じた説や、この地が洗足池の上にあるため地名になったという説があります。池上本門寺は、日蓮上人ゆかりのお寺で、関東でも最も古い五重塔などが有名です。毎年10月12日には万燈行列のお会式が行われ、参拝者や見学者で大いに賑わっています。
駅前は縦横に商店街が幾つもあります。本門寺までの商店街はお店は参拝者を相手にしているお店が多く、石屋、仏壇屋、花屋、お土産用の煎餅、くずもち屋など他の商店街とは違います。
久しぶりに本門寺近くの蓮月で大もりを戴きました。おじちゃん・おばちゃんは元気だった。
蓮沼駅 大正11年10月開業
蓮沼駅という駅名は、蓮沼村から来ていますが、このあたりに蓮が多く生えた沼があったことによります。蓮沼駅や他の池上線の駅で電車を待っていて、全面にお化粧をしたような電車を見かけたことはありませんか?それは池上線で活躍している7600・7700系車両です。このようにお化粧をしているのは、電車の接近がよくわかるようにするためです。
池上線のホームは昔ながらのままのところも多く鉄骨などはレールの再利用などが見られます。
蒲田駅 大正11年10月開業
駅名の蒲田についてはいろいろな説がありますが一般にカマタは泥深い田のことと言われています。蒲田駅は東急全駅の中でもめずらしく目蒲線と池上線という別の路線が隣り合ったホームに並んでいます。東急2路線とJR線とが集まるターミナル駅ということもあり、通勤通学客に加え、駅ビルや駅周辺のお店を訪れる沢山の買い物客で賑わっています。
蒲田は大田区で一番大きい街です。JR東急池上線、多摩川線、少し行けば京急蒲田駅もあり商店街も沢山ありますし、JRの駅ビルが東館、西館、東急の駅ビルもあります。東京都中で大田区が商店街数が多くその中でも蒲田地区が多いようです。
この路線は五反田から蒲田まで歩いて回ったこともあり、今回は各駅停車して駅周りを巡りました。電車に乗らなければ1日もかからないのに今回は数日かけて巡りました。
目黒線、田園都市線、東急東横線の散策も終わり今回は池上線を散策しようと思っています。
池上線は五反田・蒲田間10.9Kの短い路線です。駅数15、ワンマン運転で3両編成、全線普通電車。大正11年池上本門寺参拝輸送を目的にした池上電気鉄道を昭和9年に買収した路線。品川区から大田区の住宅地を走る路線。
池上線、目蒲線(現多摩川線)は長く東急線の中では車両も古く、駅舎も改良がなく、今でも懐かしい木造スレート屋根の駅舎があります。その分懐かしくのどかな路線でもあります。東急線ではこの2つの路線名が入った歌謡曲もヒットしている。(池上線、目蒲線物語・目蒲線の女)車両は最近新型7000系を投入。
五反田駅 昭和3年6月開業
駅名の五反田は、昔このあたりの田や畑の面積が5反であったことからきています。この駅はJR山手線のさらに上にある高い駅で、開業時から地上4階にある珍しい駅です。現在は駅ビル(東急ストアー)の4階と繋がっています。さらにJR、都営浅草線と連絡している便利な駅でもあります。
現在は駅ビルはレミィ五反田という駅ビルの4階から出ています。五反田というと個人的にはTOC、ソニーなどが思い浮かびます。少し離れたところに池田山公園があります。江戸時代に岡山城主池田氏の下屋敷があり付近一帯の高台を池田山というようです。
駅から程近い東五反田は宅地化され高級住宅地として分譲され、山の手有数の高級住宅地になっています。その中に正田家の邸宅もありましたが遺産の物納で国有になり現在は「ねむの木の庭」という小さな区立公園になっています。
美智子さまの歌碑、木々、プリンセスミチコのバラなどが植えられています。
大崎広小路駅 昭和2年10月開業
大火を防ぐための道路を「広小路」と呼びますが、駅前がこの広小路になっているため、「大崎広小路」という駅名になりました。また、この駅と五反田駅とを結ぶ区間は、東急線で一番駅間距離が短く300mしかありません。なおこの区間にはカーブがあるため、残念ながら大崎広小路駅のホームから五反田駅のホームから見ることはできません。
大崎広小路駅の隣には昔の郵便貯金会館、現在の「ゆうぽうと」があります。ホテルやホールでは歌謡ショーが開催されています。入ったことはないですが「タキゲン」というビルを見ると大崎広小路という感覚がありこの先が五反田にという思いです。
戸越銀座駅 昭和2年8月開業
戸越銀座駅の名前は、日本で最初の「銀座」を名乗ったと言われ、いつも買いも客で賑わっている「戸越銀座商店街」によります。開業は、今は姿を消してしまった「桐ヶ谷」という駅がありました。この駅は大崎広小路~戸越銀座間にあった駅で昭和28年8月に廃止になりました。
戸越銀座は、1.6kを超える長い商店街で各店舗が元気です。マスコミにも多く取り上げられていますが庶民的な商店街です。先月も高校時代の親友と昼酒を楽しみました。
荏原中延駅 昭和2年8月開業
荏原中延駅の「荏原中延」は昔、このあたりを含めた一帯が荏原郡(現在の世田谷、大田、目黒、品川の4区)と呼ばれていて、その中延という土地に作られたためこの駅名になりました。池上線の駅は昔懐かしい木造の駅舎が多いのですが、その中で進められた改良工事により地下ホームへ生まれ変わり、沿線でも一際目立つ駅となりました。
駅を降りるとサンモールえばら、なかのぶスキップロード、昭和通りという商店街があります。その中でもスキップロード商店街は長く、屋根付きで生鮮3品が何軒もある元気な商店街です。歩いていても楽しくなる商店街です。前の戸越銀座商店街が有名ですが個人的には此方の商店街も捨てがたい。
池上線の駅舎は未だ木造スレート葺のレトロな駅舎が多く、逆に温かみや懐かしさを感じます。
旗の台駅 昭和2年7月開業 大井町線で散策済
長原駅の長原は開業当時の馬込村(現北千束~南馬込のあたり)の小さな区域の名前です。池上線の開業時に沿線を走っていた電車にデハ100形がありますが、昭和9年にこの車両はモハ120形となりました。モハ120形は目黒蒲田電鉄の車両として活躍、会社名が東京急行となった時にデハ3250形と姿を変え、最後まで池上線沿線を走り続けました。
長原駅を初めて下車、小さな商店街が有り基本的には住宅地で近くには環七が走っています。それを超えると北馬込商店街が続いています。
洗足池駅 昭和2年8月開業
洗足池駅の洗足池とは「日蓮」という偉いお坊さんが旅の途中、この美しい景色に馬を止め、側にあった松の木に袈裟をかけ足を洗ったという伝説から、その名がついたと言われています。「江戸名所百景」に描かれた絶景ポイントです。池の周りにはボート乗り場、釣り堀、西郷隆盛の記念碑、勝海舟夫妻の墓などがあります。また桜の名所としても有名です。
春の桜の時期には大勢の人で賑わう池の湖畔。今は湖畔の公園に子供連れの賑やかな声が聞こえてきます。勝海舟はこの地が気に入り屋敷を設け移り住み夫妻の墓もあります。江戸城無血開城での西郷隆盛が鹿児島で亡くなった報にその追慕の為、西郷隆盛の漢詩を建碑しています。
どうもこの所、体調はいいのですが物忘れが激しい。買い物を頼まれても4つの内1つは忘れてしまう。買ってきても豚バラを頼まれ豚こまを買ってきてしまう。昨日は午前中は六本木の国立新美術館、午後は1年に一度の胃カメラの検査結果で病院となっていました。
六本木に着いて東京ミッドタウンのクリスマスの装飾は昨年に比べ何か物足りないなぁと思いながら美術館に向かう。途中であれぇと気がつく。そうだ今日は火曜日だ。国立新美術館は火曜休みと気がつく。美術館は大体が月曜休みが多いですが此処は火曜休み。
しょうがなくミッドタウンのサントリー美術館でもと戻るが平等院のお宝の展示、お寺のお宝はこの秋は食傷気味でやめる。
お昼には早いですが六本木から麻布十番へ散歩がてら坂を下る。今年まだ戴いていない新そばをと更科堀井へ向かう。途中たばこの自販機脇に小さな灰皿を発見。暖かい日差しで一服。タバコを吸う事は忘れないようだ。
十割そばを美味しくいただき豆源で買い物をして午後の病院へと向かう。検査結果は異常なし。しかしこのところの物忘れが激しいため脳ドックでもと同級生の医師に言うと無駄だと笑われた。
旅に出るといろいろ楽しい事ばかりでなく思わぬトラブルに巻き込まれることもあります。
友人と北陸の温泉場に泊まり、夕食後ちょっと飲みなおそうと浴衣に丹前で出かけ、スナックに入りまして飲んで帰ろうと「お愛想」をしてもらうと二人の所持金では払えきれず、私は人質に残り、友人が宿へお金を店の人と取りに。初めての付け馬でした。
これも友人が一緒でしたが瀬戸内への旅で宿からやはり浴衣で出て一杯飲みなおそうと小料理屋へ。
2階に案内してくれたが気がつけば階段を外されていた。何だか怖くなり料金はぼられなかったが飲んだんだか何んだったか解らなかった。
小さな温泉宿に着き、名前を告げたが予約が入っていない。運悪くこの日は満室で泊まれない。電話で言った言わないのは今更言ってもしょうがなく、宿で駅まで送ってもらい大きい駅まで電車に乗って宿にありついた。
旅の途中財布を落としたのか、いざ払う時に財布がない。郵便通帳の中にカードがあり、何とかカードで精算が出来ました。
色々な苦い思い出もある。
電車から降り知らない商店街をそぞろ歩くのが好きです。
私の基本である生鮮三品の八百屋・肉屋・魚屋が揃っている商店街は元気で地元の人に無くてはならない、愛されている商店街だと思っています。
残念ながら駅前の商店街が歯が抜けたような、シャッターが降りていたりするとこれから向かう目的地の期待も薄れます。
商店街がなくても工場、オフィース、マンションを中心の人が多い駅前もありますが折角の屋根付きの商店街が廃墟みたいな様相も珍しくなくなりました。
揚げたてのコロッケやハムカツなどあつあつを戴きながら歩く時間が好きなんだなぁ。頑張れ商店街!!
突然母がなくなり遺言として施設にいた教え子に四十九日には大宴会をして欲しいと残す。残された家族が生活ができるように料理や家事などを困らないように絵付きレシピを残していた。
奇想天外な設定ですが見ていて何となくほのぼのとした時間を過ごすことができた。悩んだ時は川に行く。あまり良くわからないがエンディングはハワイアンソングでアロハオエ。
帰りには妻が亡くなったらどうしたら良いのか考えるも、そうだ私が先に逝くのだから考えなくても良いんだと思ったりコロッケパンや熱々の肉まんが食べたくなった。
買い物の法則レシピだけが頭に残っています。毎日の食材選びに困った時は、「パトカーと信号」だそうです。白と黒、赤、緑、黄色の食材で大体の必要な栄養は取れるそうです。
笑いあり涙あり、永作博美の好演、二階堂ふみという人の明るさが残る。
奥さんに感謝しなければ!面と向かって言えないありがとう。
11月場所も本日千秋楽。日馬冨士の6回目の優勝で幕を閉じました。
高砂部屋は一人の勝ち越しで残り10人負け越し。幕下2人何とか3-4で1つの負け越しで終了。来年初場所には上を目指して欲しいものです。
先週から庭の山茶花も咲き始めました。花言葉は「困難に打ち勝つひたむきさ」だそうです。来場所は山茶花の花言葉のようにひたむきな稽古で全員上を目指してもらいたいものです。
お疲れ様でした。
妙蓮寺駅 大正15年2月開業
駅のすぐそばに妙蓮寺があり、寺の名をそのまま駅名にしました。改札口を出て踏切を渡ると、すぐ赤い山門が有り、まるでお寺の境内に駅があるようです。大正15年東横線(神奈川線)開通の際、当時の住職が境内を提供したことで、境内にある駅として妙蓮寺駅は誕生したのです。
妙蓮寺は高校時代の親友(故人)がこの地で暮らしていたので何回か来ました。それでも何十年前で全く初めての駅と同じです。すたんぷポンの解説と同じで境内を横切るように電車が走っています。
同じ日蓮宗の池上本門寺の日蓮上人入滅の地にもこの時期に咲く桜がありますがこのお寺も桜が咲いていました。
白楽駅 大正15年2月開業
白楽という駅名は地名をそのまま駅名となったものですが、昔、この付近に馬の良い悪いを見分ける「伯楽」(ばくろうともいう)達が住んでいたことからきています。白楽駅から徒歩17,8分のところにある白幡の八幡神社のあたりは、昔話の浦島太郎が竜宮城から帰ってきてから住んだとと言われ、父と子(太郎)の墓と伝えられる墓もあります。
白楽駅は商店街に囲まれた中にあるような駅です。特に六角橋商店街は、メインの商店街に沿って横に昭和レトロの細い商店街が縦横に広がっています。何だか三軒茶屋の三角地帯みたいです。
この商店街春から秋の毎月第三土曜日は「ドッキリヤミ市場」地元の神奈川大学の学生の協力で「フリーマーケット」「ライブ」大日本プロレスの興行などを行っているようです。空いた店舗は借り受け営業したい人に貸出したりしてシャッター通りにならないように頑張っているようです。
第二京浜沿いにも商店街が連なり提灯のデザインの大きな定食屋「味かな食堂」で食べても食べてもご飯が出てこないステーキ丼を戴きました。もうお腹はいっぱいです。本当は軽く何軒かあったうなぎ屋さんでもと思っていましたがあの迫力にチャレンジしようとなりました。
東白楽駅 昭和2年3月開業
東白楽駅は昔、この駅の近くには白楽山という丘があった所から駅名になっています。この駅が開業して何年か後に活躍していた電車がモハ510形です。車体は濃い緑色で屋根が茶色の木造車として人気を集めていました。また、モハ510形が走っていた当時は線路の周りに建物が少なく日差しが強かったため、日除けとして運転席全面にひさしが付けらえれていました。その独特なスタイルで注目される名車でした。
あまり駅前に此れといったものもなく、駅の看板にあった新興宗教なんでしょうかお寺でもと思いました。駅の裏は坂道の高台になっています。ご飯を食べたばかりでヒーヒー言いながら付近を散策。
駅前の国道の前は神奈川工業という高校で人事担当の時は何度か学校訪問をした懐かしい高校です。
反町(たんまち)駅 大正15年2月開業
駅名は「そりまち」でなく「たんまち」と読みます。「反」とは、はずす,よけるの意味です。駅近くの三宝寺から眺める景色は素晴らしく、東横線のエース9000系の姿を見ることができます。昭和61年に導入されたVVVFインバーター制御の新型車両。東急発の交流モーターを採用し、消費電力も少なく、保守が簡単な事、車内の一部に対面式シートがあることが特徴です。
この駅前も特別なく裏側を歩いていたらいつの間にかJR、京急の線路にぶつかり、そのまま線路に沿って横浜駅を目指す。
途中に幸ヶ谷公園があり階段を上ると見晴らしの良い丘に出ました。戦国時代は権現山の合戦の舞台になったようです。幕末以降は台場、鉄道用地の埋め立てで険しい山は削られてしまったようです。落ち葉が綺麗で歩いていても気持ちが良かった。
この丘から下り旧東海道の広重の五十三次にも出てくる、田中家を探すもわからず、結局京急の神奈川駅に出てしまった。(上の浮世絵が初摺り、下が変わり図、小さい画面の真ん中が田中家)
横浜駅 昭和3年10月開業
横浜駅は渋谷~桜木町間を結ぶ東急東横線をはじめJR・相鉄・京急・市営地下鉄線の5社の路線が集まり、色々な形の電車を見ることができる便利なターミナル駅になっています。また東口、西口にはたくさんのデパートや専門店が並び、買い物客で賑わいを見せています。横浜という名は江戸時代既に知られていました。
横浜はすたんぷポンの解説のとおりJR(東海道線、京浜東北線、横浜線、横須賀線)、相模鉄道、、京浜急行、みなとみらい線、東急、市営地下鉄などのターミナル駅ですので平日でも多くの人が行き来しています。もうクリスマスバージョンに装飾されています。
解説にデパートの話があるので高島屋で福砂屋のカステラ、華正楼の肉まんをお土産に購入。地下のお店も大変な人出です。
2004年1月30日をもってみなとみらい線と直通運転を実施するために高島町駅、桜木町駅は廃止された。高島町の代替駅はみなとみらい線新高島駅。
だいぶ時間が経ちましたが何とか此れで東急東横線各駅停車の散策は終わりました。東急線はまだ、池上線・多摩川線・世田谷線が残っています。両線共全駅歩いていますが今月中に池上線だけでも各駅停車の旅をしたいと思っています。
赤坂のとらやビル2階では歴史秘話20「和菓子の贈りもの」展が開催されています。和菓子の贈答にまつわる歴史上の逸話と再現したお菓子を展示しています。
和菓子を贈答する場面は歴史上にたびたび登場します。贈答が盛んになる江戸時代を中心に20のエピソードを交え資料とともに再現菓子を展示。入場無料ですがその逸話を本にした小冊子もいただける。
江戸時代は社会の安定と砂糖の流通量も多くなり国内でも製造が出来るようになり菓子の種類も多くなった。大名や公家の贈答の意匠や銘菓に趣向を凝らしたもの、地方の銘菓を将軍への献上品として、下級武士・庶民にとっても菓子は身近なものになっていきます。
贈答の機会も増え彼岸の牡丹餅、誕生祝いの饅頭、年中行事や人生儀礼に伴う贈答や手土産、見舞い品にも用いられるようになっていきます。
平安時代には藤原行成が梅の花の枝を乗せた白い包み紙に唐菓子の餅だん(へいだん)を容貌が良くないので昼間は持参できないという手紙とともに使いに清少納言に贈った。
清少納言は自分で持ってこないのはひどく冷淡に思うがと、紅梅をつけて返事する。これを読んだ行成はすぐさまやってきて「餅だん」を「冷淡」にかけた機知ある返事を褒めたという。
初代米国総領事ハリスに13代将軍家定が贈った4段重のお菓子。砂糖や米粉、果物、胡桃などで作られた日本の菓子が四段に、どの段もきれいに美しく並べられ形、色、飾りなど非常にきれいだ。これを合衆国に送ることが出来ない事を非常に残念に思うと記している。
家茂と和宮の絆を深めたお菓子、奥女中瀧山の餞別煎餅、羊羹と正月の関係、引き出物の定番三つ盛菓子、シャムの皇太子も絶賛した匠の工芸菓子、便利な菓子切手、江戸城の嘉定(江戸博でも展示)、松平春嶽の贈答、山吹色の菓子など。中々興味深い話が多い。
また餅だんもハリス献上のお菓子も昔は結構な大きさだったようです。そう言えば小さい頃葬式で配られる饅頭も大きく、甘いものが少なかった時代だったのか訳も分からず喜んでいた記憶がある。
一度行きたいと思っていた展覧会です。またこのビルの下の売店は店員さんが仰々しく応対してくれるので私には堅苦しいので赤坂へ来ても此処では買わず銀座などのデパートで購入します。
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