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目黒線、田園都市線、東急東横線の散策も終わり今回は池上線を散策しようと思っています。
池上線は五反田・蒲田間10.9Kの短い路線です。駅数15、ワンマン運転で3両編成、全線普通電車。大正11年池上本門寺参拝輸送を目的にした池上電気鉄道を昭和9年に買収した路線。品川区から大田区の住宅地を走る路線。
池上線、目蒲線(現多摩川線)は長く東急線の中では車両も古く、駅舎も改良がなく、今でも懐かしい木造スレート屋根の駅舎があります。その分懐かしくのどかな路線でもあります。東急線ではこの2つの路線名が入った歌謡曲もヒットしている。(池上線、目蒲線物語・目蒲線の女)車両は最近新型7000系を投入。
五反田駅 昭和3年6月開業
駅名の五反田は、昔このあたりの田や畑の面積が5反であったことからきています。この駅はJR山手線のさらに上にある高い駅で、開業時から地上4階にある珍しい駅です。現在は駅ビル(東急ストアー)の4階と繋がっています。さらにJR、都営浅草線と連絡している便利な駅でもあります。
現在は駅ビルはレミィ五反田という駅ビルの4階から出ています。五反田というと個人的にはTOC、ソニーなどが思い浮かびます。少し離れたところに池田山公園があります。江戸時代に岡山城主池田氏の下屋敷があり付近一帯の高台を池田山というようです。
駅から程近い東五反田は宅地化され高級住宅地として分譲され、山の手有数の高級住宅地になっています。その中に正田家の邸宅もありましたが遺産の物納で国有になり現在は「ねむの木の庭」という小さな区立公園になっています。
美智子さまの歌碑、木々、プリンセスミチコのバラなどが植えられています。
大崎広小路駅 昭和2年10月開業
大火を防ぐための道路を「広小路」と呼びますが、駅前がこの広小路になっているため、「大崎広小路」という駅名になりました。また、この駅と五反田駅とを結ぶ区間は、東急線で一番駅間距離が短く300mしかありません。なおこの区間にはカーブがあるため、残念ながら大崎広小路駅のホームから五反田駅のホームから見ることはできません。
大崎広小路駅の隣には昔の郵便貯金会館、現在の「ゆうぽうと」があります。ホテルやホールでは歌謡ショーが開催されています。入ったことはないですが「タキゲン」というビルを見ると大崎広小路という感覚がありこの先が五反田にという思いです。
戸越銀座駅 昭和2年8月開業
戸越銀座駅の名前は、日本で最初の「銀座」を名乗ったと言われ、いつも買いも客で賑わっている「戸越銀座商店街」によります。開業は、今は姿を消してしまった「桐ヶ谷」という駅がありました。この駅は大崎広小路~戸越銀座間にあった駅で昭和28年8月に廃止になりました。
戸越銀座は、1.6kを超える長い商店街で各店舗が元気です。マスコミにも多く取り上げられていますが庶民的な商店街です。先月も高校時代の親友と昼酒を楽しみました。
荏原中延駅 昭和2年8月開業
荏原中延駅の「荏原中延」は昔、このあたりを含めた一帯が荏原郡(現在の世田谷、大田、目黒、品川の4区)と呼ばれていて、その中延という土地に作られたためこの駅名になりました。池上線の駅は昔懐かしい木造の駅舎が多いのですが、その中で進められた改良工事により地下ホームへ生まれ変わり、沿線でも一際目立つ駅となりました。
駅を降りるとサンモールえばら、なかのぶスキップロード、昭和通りという商店街があります。その中でもスキップロード商店街は長く、屋根付きで生鮮3品が何軒もある元気な商店街です。歩いていても楽しくなる商店街です。前の戸越銀座商店街が有名ですが個人的には此方の商店街も捨てがたい。
池上線の駅舎は未だ木造スレート葺のレトロな駅舎が多く、逆に温かみや懐かしさを感じます。
旗の台駅 昭和2年7月開業 大井町線で散策済
長原駅の長原は開業当時の馬込村(現北千束~南馬込のあたり)の小さな区域の名前です。池上線の開業時に沿線を走っていた電車にデハ100形がありますが、昭和9年にこの車両はモハ120形となりました。モハ120形は目黒蒲田電鉄の車両として活躍、会社名が東京急行となった時にデハ3250形と姿を変え、最後まで池上線沿線を走り続けました。
長原駅を初めて下車、小さな商店街が有り基本的には住宅地で近くには環七が走っています。それを超えると北馬込商店街が続いています。
洗足池駅 昭和2年8月開業
洗足池駅の洗足池とは「日蓮」という偉いお坊さんが旅の途中、この美しい景色に馬を止め、側にあった松の木に袈裟をかけ足を洗ったという伝説から、その名がついたと言われています。「江戸名所百景」に描かれた絶景ポイントです。池の周りにはボート乗り場、釣り堀、西郷隆盛の記念碑、勝海舟夫妻の墓などがあります。また桜の名所としても有名です。
春の桜の時期には大勢の人で賑わう池の湖畔。今は湖畔の公園に子供連れの賑やかな声が聞こえてきます。勝海舟はこの地が気に入り屋敷を設け移り住み夫妻の墓もあります。江戸城無血開城での西郷隆盛が鹿児島で亡くなった報にその追慕の為、西郷隆盛の漢詩を建碑しています。
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