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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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広重「東海道五十三次」は有名な保永堂版が有名ですが、広重だけで多くの東海道五十三次ものが出版されています。その出世作、保永堂版が大ヒットしたからです。

 

背景には東海道の各宿場が整備され十返舎一九の東海道中膝栗毛の大ヒットなど、講などで旅に出た人の旅先での話、土産などで諸国の景色、名所などお伊勢参りなどの憧れなどが高まっていきますが実際は中々皆が旅には出られず、その観光案内的に浮世絵を見て空想の旅を楽しんだのでしょうか。

 

保永堂版東海道五十三次は宿場53に出発地日本橋に到着時の京都三条大橋を加えた55枚です。東海道の風景を近景、遠景の極端な描き方や俯瞰、鳥瞰などを駆使した図で1枚でも成り立ちますが全55枚揃える楽しみもある揃い物です。

 

約500K2週間位かけて歩く旅です。今でしたら新幹線で2時間で京都に着いてしまいます。その間に天候により渡しが通れず何日も待たなくてはなりません。

 

広重の絵でも雨、強風、雪、晴れの天候、各地の風光明媚な景色、名産、名物、庶民が泊まる木賃宿の中、宿場(駅)の様子、旅の装束など見る者が飽きないような構成になっています。

 

余り売れたので版下が壊れ元の図と違ったり、後摺りで省略したりした変わり図、後摺が混ざったりしています。東京国立博物館、江戸東京博物館の東海道五十三次でも全部が初摺ではありません。

 

現在はうれしいことに浮世絵がブームになっていて毎年のように何処かで揃い物の展覧会が行われています。浮世絵の色落ちを防ぐため照明を落とし約1ヶ月の展覧ですとその後数年は保管場所から出展はなくなります。

 

当時は浮世絵一枚そば一杯分と言われていましたが現在は保存状態にもよりますが良いものは大変な金額になっています。そんな東海道五十三次保永堂の変わり図、後摺を知ったかぶりで並べてみようと思います。(続く)

 

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パティシエのりんごステックーラグノオ

青森弘前のラグノオのりんごパイ、しっとりした甘めのりんごのシロップ漬けがサクサクのパイ生地にあっています。

 

昨年北秋田へ友人を訪ねた時にお土産で購入しました。今回はその友人が相撲の会出席のためわざわざ鹿角花輪から出てきてのお土産。懐かしく美味しい。

 

ゆふいんぷりんどらー菊家

何度か載せていますが大分県由布市の菊家の創作菓子。冷蔵のため皮は冷たいが餡はプリンと薄く生クリームが挟まれています。

 

プリンの甘さとプリン上のキャラメルのにがさと生クリームの甘さが交互に感じられる風変わりなどら焼き。この商品があるといつの間にか手に取っている。三越銀座店にて。

 

豆大福―足利和楽

栃木県足利の和菓子屋、どこでもありそうな豆大福ですが餅が甘く美味しい。中の餡は今風で個人的にはもっと甘いほうが好きなのですが、餅と餡と赤えんどう豆の塩味のバランスがとても好きです。

 

三つは軽く食べてしまう美味しさです。大福は何処の和菓子屋でも作っていて餅と小豆と赤えんどう豆のシンプルなものですが中々これはと言うものが少ない。

 

纏最中ー梶野園                                                            

王子から近い西ヶ原4丁目の梶野園、創業100年近い老舗で今回は江戸の纏をかたどった皮の最中を購入。中には色々な形の纏最中が入っています。

 

餡は昔の甘さ、矢張り餡子は甘くなくては。その点此処の餡は美味しい。難を言えば作りたてで皮がパリっとしているともっと良い。

 

柚餅子―松江福田屋

小さなサイコロ状の餅菓子で最初の甘いから最後は柚の味が口の中に広がる。お皿にフォ-クで戴きます。素朴な最後は口の中がスッキリするお菓子です。

 

萩の月―三全

もう何度も載せています宮城銘菓「萩の月」。ふあふあの皮にカスタードクリームが入ったお菓子。このお菓子に類似品が多く出てもいます。

 

カスタードですが渋茶に合います。娘のお土産。

                                                                                                        

 

今月も先月に続き小倉擬百人一首です。1から50までの先月は広重と国芳でしたが今月は51から100までの50枚。絵師は広重、国芳に三代目豊国(国貞)の3人で描いています。

 

 歌川派黄金期の代表絵師3人が描いている豪華版ですが残念ながら百人一首自体が解っていなく、その下の絵は百人一首と関係ない題材ですから余計わからない。

 

個人的な感想では広重の役者絵などよりやはり三代目豊国が上手なような気がします。そして国芳も上手な絵です。折角の有名絵師3人の揃いものですが勉強不足の私には難しすぎました。

 

来月は広重の「堅絵東海道五十三次名所図会」のようですから楽しみにしています。

 

手塚治虫原作 ブッダ、久しぶりのアニメ映画でしたが、修行を通じだんだん悟りを開いて行く姿、仏教の難しい哲学的なものは解りませんが見終わって何となく生についてちょっと考えました。

 

中々清々しい気持ちにもなりました。声優も吉永小百合、松山ケンイチ、真木よう子、観世清和、吉岡秀隆、大和田伸也、主題歌浜崎あゆみと豪華です。

 

良い映画でしたが久々の川崎チネチッタ残念ながら観客は少なかった。個人的にはもう一度見たいアニメ映画です。

 

 

小説

鉄道を主題にした小説は多くあります。私が読むのは鉄道をトリックにした推理小説が多い。トリックが成立するのは日本の鉄道が時間通り運行している前提があるからです。

 

走っている列車はある意味密室という設定が組めますし時刻表に出ていない停車駅もあります。普通車が特急を追い抜く路線もあったりします。

 

昔は推理小説ばかり読んでいたので西村京太郎、辻真先、山村美紗、夏樹静子、内田康夫、太田蘭三、岡島二人、佐野洋、有栖川有栖、松本清張、横溝正史、高木彬光など懐かしい。

 

そして本当の殺人事件として難しい事件も起こっています。下山・三鷹・松川事件など。

 

最近は読みませんが新しい列車が出ればすぐ事件が起こる西村京太郎が好きだった。初めて乗る列車内ではその小説を読んで。車窓からの風景が小説と同じ時はこの人は本当に乗ったんだと思ったり、次の車窓風景、駅舎などが楽しみになります。

映画

鉄道を主題にした映画も多くあります。思いつくままに書くと「鉄道員」「駅STATION」「RAILWAYS49歳で電車の運転手になった男の物語」・「RAILWAYS愛を伝えられない大人たちへ」「父ちゃんのポーが聞こえる」「旅の贈り物0:00発」「僕達急行A列車で行こう」「阪急電車片道15分の奇跡」「点と線」など。

 

鉄道に従事しながらの物語だったり、鉄道の駅、車両などを中心とした人々の生活や心の葛藤を描いたもの、移動の手段として鉄道を描いたものなど沢山あります。

 

鉄道好きとしてはだいたい見ますがアニメ、洋画はあまり見ない。「銀河鉄道999」「戦場にかける橋」「オリエント急行殺人事件」「逢びき」「ロシアより愛をこめて」位しか見ていない。

 

鉄道を主題にした映画は内容はともかく見た後はその鉄道に乗りに行きたくなったりする。そして物語があるせいか結構すぐ思い出す。ただ私のような乗っているだけだとその時は良いのですがすぐ忘れてしまいます。

 

この他にロケ地もあります。全く考えないで行くと此処は寅さんのロケ地ですよ。ジブリの参考になった施設ですよとか言われることもあります。旅人寅さんは40何本も撮っていますから至るところにあります。

 

東京国立博物館本館では約400年前に伊達政宗の命によりヨーロッパに渡った支倉常長(はせくら)の慶長遣欧使節の企画展が開催中です。3月23日まで。

慶長遣欧使節の30年前には天正少年遣欧使節団が同じようにローマ教皇に謁見していますが、支倉使節団は実質メキシコとの通商を求める外交使節団。

 

支倉は日本からヨーロッパに渡った最初の外交使節で武士でした。秀吉の文禄の役の渡航、異国滞在など経験、足軽組頭という経験で失敗した時の影響を考え上級でない下級の家臣から選ばれたようです。

 

当時メキシコはスペイン領でその許可を求めるためスペイン国王へ謁見するもいい返事がなく、イタリアローマ法王の仲立ちを求めローマへ、それも虚しくうまく行かなかった。

 

行き帰り7年間という長きに渡り交渉をするも当時の日本はキリシタン弾圧もあり交渉はうまくいきませんでした。帰国後は数年で亡くなりましたが長きに渡り持ち帰った資料、渡欧の事は明治になって岩倉使節団が行くまで忘れ去られていました。

 

今回の展示は等身大のイタリア人が描いた支倉常長の肖像画(イタリア個人蔵)、南蛮人渡来図屏風(重文・個人蔵),世界図屏風世界及び日本図屏風のうち6曲1雙(重文・個人蔵)が展示されています。作品が個人蔵の為写真は撮れず。
左雙

右雙

現在スペインでは帰国をしなかった当時の人の末裔がハポンという苗字で多くいるようです。支倉常長の銅像も立っているようです。当時としては幕府の許可を取った使節団ではあったようですが雄大な構想で支倉常長は下された命を頑張ったんだろうと思いを馳せた時間でした。

 

今月の国宝展示室では雪舟等揚の秋冬山水図です。室町時代の禅僧。下から段々上がっていくように見える奥行の広がる水墨画で精密に描かれて此れが室町時代に描かれたとは。

 


 

浮世絵は江戸初期、絵師の手書きによる肉質画でしたが、後に大量生産が可能な版画が生み出され、黒一色から朱を後から塗ったり、赤が入る紅摺り絵になり彫り、摺りの技術革新により多色摺りの錦絵と呼ばれるきれいな版画へと移っていきます。

 

今回は浮世絵の判の形と今の時期の雪、梅などの季節感に富んだ美人画、風景画によって色々なタイプが展示されています。浮世絵は細判、中判、大判、長大判、柱絵、団扇絵など。

 

古山師政「踊りの稽古図」三味線と踊り手、まだ寒いのでしょうか火鉢が真ん中にそして開け放れた障子には庭に梅の木がほころんでいます。これは肉筆画です。師政というのですから菱川師宣の弟子でしょうか。

 

奥村政信「二代目あづま藤蔵と初代佐野川市松」これは細判、紅摺絵、まだ錦絵になっていない時代、奥村政信は版元で自身も絵師で柱絵も多く手がけています。今で言うプロデューサーでもありました。

 

礒田湖龍斎「雪中相合傘」これは柱絵、錦絵です。柱絵は柱や壁に貼ったり軸装して掛けたり、屏風や襖に張交させたりしました。相合傘の構図は高祖頭巾の二人で何となく鈴木春信の同じ題名の雪中相合傘に似ています。晴信の絵は傘の上の雪や着物が浮き上がる立体的なる摺りが施されています。

 

喜多川歌麿の「雪中芸者と箱屋」大判、錦絵。箱屋とは芸妓の三味線を箱に入れて座敷に向かう芸妓の付き人をさし、この図は足元を提灯で照らし、芸妓の持つ傘にはしんしんと雪が積もっていく。提灯の角木瓜の紋が常盤津節の芸者と解るようです。

 

横大判は歌川広重の風景画などに。

名所江戸百景「びくにはし雪中」京橋の下流の橋、比丘尼橋の冬景色。真ん中には蕎麦屋、寿司屋なのか物売りが雪の中歩いています。山くじらは猪の肉、〇やき十三里は焼き芋屋、さりげなく江戸には沢山いた寒さに強い犬も描いている。

 

団扇絵は同じ広重の亀戸小室井梅園、遠くに富士山を望み、下では観梅の客がお茶屋で休んでいます。団扇絵ですが広重らしく細かく描いています。

歌川豊国の肉質画「炬燵美人図」豊国は歌川派の祖豊春の弟子でその弟子には国貞、国芳など多くの弟子がいます。師匠だけでなく美人画は鳥居春信、歌麿、役者絵は勝川派から取り入れている。

 

伝菱川師宣の「四季風俗図巻」長い巻物に四季の行事などを描いている肉質画。正月の角付けの縁起物の漫才を見ている人。旅なのか行楽なのか出かける人、その装束、花見、船での水遊び、入浴など当時の風俗、流行が描かれています。(小さい写真はクリックして頂ければ大きくなります。)

  鈴木春信「見立て鉢の木」中判、錦絵2枚続き。

日本では有数の館蔵がある東京国立博物館ですから毎月入れ替えの展示は楽しみです。

                    

 

東京から西に出ると富士山が見えるかどうかが旅の盛り上がりに欠かせない。特に団体で行く場合は富士山が見えると手を叩かれたり車窓に顔を付けてみなさんじっくり見ている。

 

私もJR東海道線を国府津からわざわざJR御殿場線に乗り換え大きな富士山を見て沼津まで行ったりします。生活路線ですから近隣の人、学生などは音楽を聴いていたり、話をしていて富士山には全く興味を示さない。

 

同じように三島からの伊豆箱根鉄道でも車窓後ろに大きな富士山が見えますが後ろを見ているのは観光客だけ。もう地元の人には富士山は生活の中に有りいつでも見られわざわざ見るものでもないようです。

 

静岡の岳南鉄道は各駅のホームに富士山ビューポイントが足型で示しています。富士急は富士吉田駅を富士山駅に改名しています。

富士山は東京から小さく見えても写真を撮る私がいる。富士山はやはり黒いより雪をかぶった真白き富士がいい。
 
先週、そして今日と雪が降っています。雪かきは腰が痛くまいってしまう。交通機関は全て遅れたり運休になります。都市の交通は弱い。都市の人間も弱い。雪下ろしをしなくて済むのだからこの地はありがたい。

 

江戸東京博物館で行われている「大浮世絵展」は浮世絵の基本的なおさらいができる展覧会で50を超える国内外の美術館、個人蔵の作品が集まっています。

 

しっかり調べていないのでいい加減なところもあると思いますがそれを恐れず今回の展覧会のおさらい。

 

第一章浮世絵前夜

岩佐又兵衛

 

又兵衛を浮世絵の元祖という、師宣を元祖ということもあり昔の学会の解釈の違いのようで今は岩佐又兵衛を指すようです。信長に滅ぼされた荒木村重の子供で風俗画、長い絵巻物などがある。


第二章浮世絵のあけぼの

菱川師宣、杉村治兵衛、鳥居清信、鳥居清倍、宮川長春、西川佑信、奥村政信、石川豊信など。

 

菱川師宣は浮世絵を確立した。見返り美人で切手にもなっています。

肉筆画が中心だった。時代は絵入好色本の挿絵から鑑賞に耐えられる一枚絵が墨一色の大量印刷で庶民にも手に入る。紅絵、漆絵、紅摺絵となっていく。

 

鳥居清長は鳥居派の祖で歌舞伎の看板絵を描いていた。清倍の市川團十郎などの荒事のひょうたん足、みみず描きは迫力が。

 

第三章 錦絵の誕生

鈴木春信、一筆斎文調、勝川春草、勝川春好,礒田湖龍斎、北尾重政、北尾政演、北尾政美など。

 

武士の間で絵暦交換会が盛んになり金に糸目をつけない人と違う作品をという事で彫師、摺師も技術革新で多色刷りの「錦絵」が出現。その第一人者が鈴木春信。勝川春草は鳥居派と違い立役、敵役などの男性美、写実的にプロマイド的な役者似顔絵が人気に。北斎は弟子。この時期は欧米でも単色の印刷だったので欧米人が驚く。

 

第四章 浮世絵の黄金期

鳥居清長、喜多川歌麿、勝川春英、鳥文斎栄之、東洲斎写楽、歌川豊国、歌川国政、歌川豊広など。

 

鳥居清長は役者絵より8頭身の美人画で背景に江戸の風景を入れる美人風俗画、同じ美人画の歌麿は大首絵。寛政6年から10ヶ月間に突然145枚の役者絵を描く写楽が出現、その後は描いていなく謎の絵師と呼ばれる。別人説、1,2期と3,4期の別人説など未だ誰だかわかっていない。

 

第五章 浮世絵のさらなる展開

渓斎英泉、葛飾北斎、歌川広重、歌川国貞、歌川国芳など。

 

美人画の英泉、江戸の旅ブームに乗って北斎、広重が名所絵、風景画を浮世絵の世界に新しいジャンルを。美人画、役者絵の国貞、武者絵の国芳が台頭。国芳は天保の改革に皮肉を込めた絵、子供が書いたような絵、好きだった猫を使った絵、魚を使った絵文字などの判じ絵などを描く。この時代は歌川豊春を祖とする歌川派の全盛期。

 

第六章 新たなるステージへ

落合芳幾,月岡芳年、小林清親、楊洲周延、豊原国周、橋口五葉,伊東深水、山村耕花,川瀬巴水など。

 

明治に入ると浮世絵は廃れ始める。月岡芳年が最後の絵師と言われる。小林清親の光線画、ポンチ絵。自分で描いて自分で彫って自分で摺る創作版画が織田一磨など。江戸の浮世絵を復活させようと渡辺庄三郎が版元で新版画として川瀬巴水、伊東深水などを起用しブームになる。

 

浮絵は西洋の遠近法を用いて近景が浮き出て奥行が広がる絵で奥村政信西村重長歌川豊春葛飾北斎と継承されていく。

 

今でこそ浮世絵師は芸術家として認知されていますが当時は職人として浮世絵版画絵師は画家としては認知されていない。同じ浮世絵でも肉質画の方が当然認められている。武士出身の絵師は肉質画が多い。

 

今回は大浮世絵展ですが多くの絵師が描いている「春画」はなかった。私も複写の春画をもっともらしい木箱に入ったセットを持っていますが此処へはUPを控えています。

写真は複写絵、絵葉書など。展示されていない絵もあります。

 

 

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