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JR大森駅山王口―①品川歴史館―②大森貝塚(品川、大田)―③尾崎士郎記念館―④徳富蘇峰旧邸(山王草堂記念館、公園)―⑤天祖神社(馬込文士村レリーフ)―⑥薬師堂―⑦大田区立山王会館(馬込文士村資料、新大田百景)―⑧熊野神社―⑨善慶寺―JR大森駅
⑤天祖神社 山王2-8-1
大森駅山王口下車、八景坂前の階段を登ると天祖神社入り口になります。急な狭い階段で息を切らせながら登りきるとJR大森駅東口の高層建物が見えます。昔は見晴らしが良く江戸湾が一望できたのでしょう。
狭い境内で周りの木々がうっそうとして昼間でもうす暗く、殆ど人が居ないので何となく霊気を感じます。天照大神を祭神として伊勢講をするために勧請したようです。
この神社の階段横に生活道路の狭く急な階段があります。そこの壁際には馬込文士村の多くの人たちのレリーフが飾ってあります。文士達もこの階段を歩いて大森駅へ向かった事でしょう。
有名どころだけでもかなりな数になります。(順不同)
小島政二郎、尾崎士郎、宇野千代、日夏秋之介、北原白秋、徳富蘇峰、室生犀星、吉田甲子太郎、藤浦洸、今井達夫、三好達治、山本周五郎、佐藤惣之助、萩原朔太郎、小林古径、三島由紀夫、国木田虎雄、川端康成、川端龍子,石坂洋次郎、子母沢寛、山本有三、池部均、熊谷恒子、高見順、古屋信子、佐田稲子、川瀬巴水、など。
もっと多くの方がいます。私が知っている名前ですからビッグネームの人達だけです。親分で面倒見の良かったと言う尾崎士郎、住宅難で都会に比べれば景観が良くのんびりしていた馬込に魅せられたんでしょうか。この人達の足跡を訪ね歩く散歩も結構楽しいです。区の郷土博物館でモデルコースが設定されています。ただ旧宅が残っているのはわずかで石碑がある程度ですがフアンの方が多く1日かけて歩く方が多いようです。
⑥新井宿薬師堂 山王3-29-8
新井宿村を所領していたのは旗本木原氏です。古寺を再興しこの初代の吉次の号をもって桃雲寺と名付けましたが明治初年に廃寺になっています。現在は5代義永が古寺を再興したという記念碑を建てたものが残っているだけです。
記念碑の横には新井宿富士講が建てた富士講の祖とされる食行身禄の没後100年を記念した富士講碑があります。現在の薬師堂は町会会館として利用されているようです。
木原氏は旗本ですが、遠州木原村から家康が江戸城を建てるために連れてきた今で言う棟梁で薬師堂から善慶寺へまでの山を木原山と呼ばれ陣屋や屋敷が置かれていました。
今はありませんが棟梁ですから他の旗本の屋敷に比べ立派なもので八代将軍吉宗も小動物狩り、鷹狩に訪れてこの屋敷で休んでいるようです。現実には江戸で暮らしここは別邸になっていた。
⑤天祖神社 山王2-8-1
大森駅山王口下車、八景坂前の階段を登ると天祖神社入り口になります。急な狭い階段で息を切らせながら登りきるとJR大森駅東口の高層建物が見えます。昔は見晴らしが良く江戸湾が一望できたのでしょう。
狭い境内で周りの木々がうっそうとして昼間でもうす暗く、殆ど人が居ないので何となく霊気を感じます。天照大神を祭神として伊勢講をするために勧請したようです。
この神社の階段横に生活道路の狭く急な階段があります。そこの壁際には馬込文士村の多くの人たちのレリーフが飾ってあります。文士達もこの階段を歩いて大森駅へ向かった事でしょう。
有名どころだけでもかなりな数になります。(順不同)
小島政二郎、尾崎士郎、宇野千代、日夏秋之介、北原白秋、徳富蘇峰、室生犀星、吉田甲子太郎、藤浦洸、今井達夫、三好達治、山本周五郎、佐藤惣之助、萩原朔太郎、小林古径、三島由紀夫、国木田虎雄、川端康成、川端龍子,石坂洋次郎、子母沢寛、山本有三、池部均、熊谷恒子、高見順、古屋信子、佐田稲子、川瀬巴水、など。
もっと多くの方がいます。私が知っている名前ですからビッグネームの人達だけです。親分で面倒見の良かったと言う尾崎士郎、住宅難で都会に比べれば景観が良くのんびりしていた馬込に魅せられたんでしょうか。この人達の足跡を訪ね歩く散歩も結構楽しいです。区の郷土博物館でモデルコースが設定されています。ただ旧宅が残っているのはわずかで石碑がある程度ですがフアンの方が多く1日かけて歩く方が多いようです。
⑥新井宿薬師堂 山王3-29-8
新井宿村を所領していたのは旗本木原氏です。古寺を再興しこの初代の吉次の号をもって桃雲寺と名付けましたが明治初年に廃寺になっています。現在は5代義永が古寺を再興したという記念碑を建てたものが残っているだけです。
記念碑の横には新井宿富士講が建てた富士講の祖とされる食行身禄の没後100年を記念した富士講碑があります。現在の薬師堂は町会会館として利用されているようです。
木原氏は旗本ですが、遠州木原村から家康が江戸城を建てるために連れてきた今で言う棟梁で薬師堂から善慶寺へまでの山を木原山と呼ばれ陣屋や屋敷が置かれていました。
今はありませんが棟梁ですから他の旗本の屋敷に比べ立派なもので八代将軍吉宗も小動物狩り、鷹狩に訪れてこの屋敷で休んでいるようです。現実には江戸で暮らしここは別邸になっていた。
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