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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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品川宿は東海道の第一の宿場です。位置的には品川湊の近くに設置され北宿、南宿に分かれていましたが大変繁盛して歩行新宿(かちしんしゅく)もできました。現在の地域で言えば京急電車の北品川駅から青物横丁駅周辺のようです。目黒川を境に北、南品川とされていました。目黒川は氾濫したりする暴れ川で現在は荏原神社の南になって真っ直ぐな川ですが昔は神社の北側にありました。

近世の宿場は徳川家康が天下を取ってからの東海道、中仙道と進められていきました。宿場には、公用人馬継立ての為人馬を常備。公武の宿泊休憩の為本陣、脇本陣などを整備。その他に一般旅行者用の旅籠、木賃宿、茶屋、商店などが揃って行きます。参勤交代よりも庶民の遊興などによって栄えたようです。

しかしその宿場も明治になると鉄道の交通機関が開通し徐々に衰退して行きました。鉄道は大隈重信、伊藤博文、初代鉄道頭の井上勝の三人に寄る所が大きいと言われている。

明治2年鉄道事業が決定。その3年後には開業するという当時の技術や機械などを考えるとものすごいスピードだ。鉄道敷設に対しては賛成ばかりでなく反対も多かったようです。漁民は海に近い線路を作られると船が自由に出入りできない。農民は陸蒸気の振動で稲の朝露が落ち収穫に影響する。品川宿の馬車、カゴなどの業者も利用者が減る。尊皇攘夷で倒幕したのに毛頭に学ぶとは何事かと暗殺の話も出たりしたそうです。

決断はやい明治の人は八ッ山と御殿山を切り崩し八ツ山橋をくぐって反対者の少ない山側を通ることになったようです。鉄道と道路が立体交差した日本初のものです。当然品川駅は現在の八ツ山下の海に沿ったところのようです。明治22年には神戸まで開通。
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