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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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行楽シーズンで連休ともなれば道路も混む。到着が予定より遅れることは必至だ。フロントも仲居も厨房も首を長くして待っている。

まだ来ない、まだ来ないとフロントに問い合わせがくる。お客を心配しているのか、早く帰りたいのか解からなくなる。1番お客が焦っているのに、料理を戻そうか、てんぷらは、もう揚げていいかの心配、一番最後の布団敷きの番頭も地に足が着かない。電話はあったか、今はどこかの問い合わせばかり。

時間どおりにいかないのがこの商売。何年やっているんだと密かに思う。
電話一本で数万円の話になるこの商売、相手様を信用して料理を作りお待ちしている。先日、待てど暮らせどそのお客は来ない、前日確認はOKなのに。

当然、相手とは連絡がつかない。結局、来なかった。食事の無駄、翌日の電話では忘れたとの事、もっとひどいのは、違う旅館のつもりで予約して違う旅館へお客は行き、その旅館が受けてしまう。小さな温泉場、少ない客の取り合いなのである。
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新米社長になって約1ヶ月まだ何にも仕事が出来ていない、できない。長岡のことを知ろう。

朝一番のフロントワークから覚えよう。料理ノートの通し方等、いやこれからの運営の基本構想を考えよう、と思いながらつい目先の売上に一喜一憂してしまう。

そして机に座ってもなにもできない。あせりだけがでてしまう。今月は、前年に対してなぜこんなに悪いのかと。こんな事をしているといつこの旅館がクローズさせられてしまうかも知れない。

少ないけど従業員もいるし、大先輩はこうゆう時どうするか考えてし
本社の社長が来ることになった。総務から普段どおりの料理を必ず出すようにとの指示があった。この総務部長は親会社から来た若い人で一言「今までみたいに豪華料理を出されると社長が経営判断を間違えられるので」嫌味の言葉が最後にあった。

当日、レギュラーの料理を厨房に通してあったので、同行の総務部長が普段の料理ですよねと念を押す。勿論と憮然としながら答えたが食事になると。

なんと「全然違う豪華料理が出てきた。」アァー時すでに遅し。何も知らない社長が「普段こんな刺身が出るの」冷や汗たらたらで「いえ、まだ指示の徹底が出来ていなくて申し訳ございません。」の連発で女中もポカンとしているは、総務部長は憮然とするはで「まぁこんなおいしい肉が旅館で食べられて良かったと思えば良いじゃないか」と取り成していただき事なきを得た。

厨房が気を利かしてくれたのだろうが今はありがた迷惑の一幕であった。今までがこうだったんだろうときつい社長からの一言があったが。
当旅館は、洋室があるが2階になる、もちろんエレベーターなんてない。洋室があるかの問い合わせにあります、では和室から洋室へ変更。

ところが、お見えになれば、足がご不自由でそんな日に限って満室、部屋の移動ができない。たった一言こちらからその旨を確認すれば済んだことが上がって部屋へ下がって風呂へ、食事へと御不自由をお掛けしてしまう。

予約をとることの難しさを感じる。これからは、高齢化で若い人以外でもベットのほうが良いのかも知れないし畳よりテーブルの食事の方が多くなるのだろう。
旅館は、とにかく今までの仕事に無い事が多い、女中から窓がよく閉まらない、お客からトイレの換気扇がうるさい、テレビのリモコンが動かない、部屋のシャワーが何時までも暖かくならない、経費削減で庭木の剪定をしていないため、下草や葉があっちこっちに伸びている、これは、いつかやろうと思っているといつまでたってもやれない。

思いついたが吉日、ひとり、枝打ちをはじめると雨が降ってきた、汗だくだくだからちょうどいい。

リヤカーに切り取った草、枝を5回くらい往復するともうお客が到着する時間だ。そして直したことも無いリモコンと格闘がはじまる。こんな1日だから時間の経つのが速い。今日も何とか1日が終わった。
おふくろが、東邦医大へ緊急治療で点滴を打っているとの妻からのメールが入る。近くのゴルフ場の支配人の送別会の最中で慌てて電話するが妻、子供の携帯が出ない、自宅の電話も出ない、焦ってこれから東京へ帰ろうと長岡の駅まで走る。

ホームで妻から電話が入る。今、ダンスの稽古が終わったとの事、馬鹿野郎と怒鳴る、おふくろが、点滴を打っているのに。

おふくろが病院から帰ってきた。おまえのために3組の旅行を組んだそのために風邪をひいたとの事。親は、いつでも子供のことを思ってくれている。感謝
 
この旅館だけなのか良く解からないが、旅館業がそうなのか、分業がはっきりしているのか、これは、自分の仕事でないと判断すれば絶対にしない。

支配人、事務長はなんでもするが、他の人はしない、なんとかしてチームワークを作らなくては。提案制度なんて大げさなものではないが箱をタイムカードの隣に置いた、1件ありすぐその内容について検討しやることにした。

大して費用もかからないのでお客に対して良いと思うことはやるようにする。これが私の約束なので実行したが、新しい物にたいしてはすぐ、拒否反応がでる。逆の事を言ってきたりと、アー言えばこうゆうツワモノどもでやりがいがある。
1日の戦後最大級の台風の爪あとは大きかった。

旅館組合は床上浸水で全旅館より使役を刈りだされ机、ソファー等のかたずけ、駐車場は、泥だらけで溜まった泥掃きやらで大騒ぎ、当日当旅館の前の道も川のようになり通行止め、帰れない客が拾えるかとのびりしていたがとんでもないことになっていた。

ここだけの話、あの辺の旅館が全部床上浸水で営業ができなければこっちに回るのになぁと、他所へいくバスをみながら思う今日この頃である。
今月初めての休み。ゆっくり寝ようと思っていれば、妻からメールが何回も、億劫だと思いながらも心配してくれているんだからと結局布団からでる。

休みは、長岡の町を探索しよう、ホテルの雑草刈りをしよう、部屋の掃除をしようと会社での仕事と同じで山ほど同時に出てくる、とにかく、ひとつづつやっていこう。

まず、掃除、きたない部屋からクリーンな発想は出ないと独り言を言いながら掃除機を動かす。会社に行って雑草取りは、雨の為止め、付近の探索をやった。

11時30分から家路は17時と歩きに歩いた。願成就院、守山八幡宮(この階段が大変だった、もう登らない)、政子産湯の井戸(一般の家の前の井戸、昔は、ここの水を子供につかったそうだ)北条家ゆかりの寺成福寺、韮山地代劇場(騙された、単なる公共の大ホール)頼朝が20年間配流された蛭ヶ小島へここが島?昔は、中州になっていたらしい。

ここから江川邸へこれが大変だった。山超え池超え時間も2時を過ぎお腹はぺこぺこ、やっと30分位歩き着く、えぇ裏門?また表門まで歩く、見るからに不味そうなうどんやがあり何でもいいやと一番その店で高いうどんを注文、ぺこぺこからか美味しかった。

江川太郎左衛門がパンまで作っていたとは驚いた。ここからが、またバスもないので歩いて韮山駅へ途中郵便局がありこちらへ来て4ヶ所目の局印(実際は新規は2ヶ所)

やっとこ長岡に着き、めおとの湯を捜しゆっくり疲れを癒す。3時間500円だが1時間ともたず、家路へと向かう。
  
今年は、私にとって大変な年になった。1月は、準備部課長、1月21日先輩を飛び越え部長にそして9月温泉旅館のの社長に。

社内では、部長になった時より噂になったようだ。あいつは本社の言う事をきかないから体よく飛ばされた、長岡は最後の砦だから活性化のため派遣した大抜擢だと。人のことだから面白おかしく噂が飛んでいるらしい。

そんな事は、どうでもいい、今までのスタンスどおり仕事は愉しく、興味をもってやっていこう。

でも、本当に自分でいいのか?誰もいない、とにかく、身体を動かしてなんでもやってやろう
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