忍者ブログ
美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

天守閣
大洲城は大変きれいな美しいお城です。2004年に木造4層4階の完全復元されました。

大洲の駅からお城までは随分離れています。駅の近くでレンタサイクルして肱川橋を越えてお城に向かいました。ところが川沿いなんですが中々お城に近づくことができません。土手の間に入ることが出来ないのです。川には鵜飼の舟が沢山係留されています。此処は鵜飼が有名なようです。

何とかお城の入り口に来て自転車をこの坂では無理なので置いて長々と歩いて行きました。小高い川沿いに真新しいお城です。

別名 大津城、地蔵ヶ嶽城
城郭 平山城
構造 複合連結式層塔型
歴代 宇都宮豊房、藤堂高虎、坂脇安治、加藤貞泰

明治に天守が取り壊されたが4棟の櫓は解体を免れました。平成16年に木造での復元されました。遠目から見て複合連結式のお城は大変きれいです。ただ、ここも藤堂高虎が改修していますので守りは厳重で天守の階段は非常に急な造りになっています。

大洲という町はこのお城を中心とした城下町ですからJRの駅からかなり離れています。この町には大分前にNHKの朝の連続ドラマ「おはなはん」の舞台の町で周りには明治の町並みが残り、ポコペン横丁と言う昭和の懐かしい生活のの再現やコレクションなどを沢山展示しています。
PR
昨日は東北新幹線がついに東京、新青森まで開通しました。(全線713.7㌔)これにより青森から九州まで新幹線の主要路線がつながりました。

今回は東京、新青森間の最短で3時間20分と今までの在来線乗り継ぎでは40分短縮されます。九州も来年3月に鹿児島ルートが開業予定、そして北海道にもまず2015年には新青森、新函館が開通予定です。2014年には北陸新幹線も予定されています。

しかし華々しい影には新幹線開通に伴い在来線の廃止、三セク切り替えなどそこに住んでいる人にとっては逆に不便に、値上げになってしまうのが実情のようです。青い森鉄道、IGR岩手銀河鉄道などの利用になります。

現在寝台車は細々と運行されています。夜行寝台は東京。上野から札幌、青森へ運行されています。それ以外はサンライズ瀬戸・出雲だけになりました。九州には一本もなくなりました。

現在の寝台車は
北斗星  上野ー札幌 あけぼの 上野ー青森
カシオペア上野ー札幌
トワイライトエクスプレス 大阪ー札幌
日本海 大阪ー青森 急行きたぐに 大阪ー新潟
サンライズ瀬戸・出雲 東京ー岡山で切り離し 

今回は新幹線が開通しましたが「あけぼの」は何とか存続になりました。毎年春のダイヤ改正で廃止されています。寝台は特別な事が無い限り夜行バスに比べ高いなど利用が少なくなっています。北斗星やカシオペアといった豪華列車には乗っていません。この列車は高額な特別列車です。乗る人の目的も違います。この列車で過ごす事を目的にしています。普通は移動手段の交通機関として利用します。

夜行バスに比べ高く、設備も悪い。B寝台ソロは料金はビジネスホテル並みですが設備はカプセル並みのスペース、A寝台は料金は一般ホテル並みで設備は当然それ以下。

寝台車利用の促進からリネンサービスをなくし寝台料金を取らず特急料金と指定席料金で乗れる車両も接続している列車も出てきた。前回四国へ行った時のサンライズ瀬戸がそうでした。1車両全部が一階と2階が人が寝られるスペースが確保(指定席)され床暖房で毛布が付いています。私が乗った車両は満席でした。これは「ゴロンとシート」と言います。他にあけぼのの「のびのびカーペット」などもあります。

ただ時間の問題で豪華寝台以外は無くなっていくんでしょうか。鉄道好きな私でもちょっと高いと思ってしまいます。尤も新幹線より今は飛行機の方が安く、早い時代です。長距離列車は贅沢な乗り物でもあります。
松山城
松山城写真
現存12天守のお城の1つ
別名 金亀城、勝山城
形態 山城
構造 3層29基の櫓と石垣
城主 加藤嘉明、蒲生忠知、松平定行

標高132Mの山頂に天守、南西の斜面に二の丸、平地に三の丸、御殿で山頂部と裾の曲輪を登り石垣でつないでいるお城で他には無いそうです。市内の何処からも見られる連立式城郭で圧巻なお城の景色です。

層塔型の天守は黒船来航の翌年に落成した江戸時代最後の完全な城郭建築、現存12天守の中で唯一築城主として瓦に葵の御紋が付されています。高い山の上ですからロープウェーやリフトに乗って行きます。しかし、降りてからも天守までは結構ハードな道のりです。その分天守からの眺めは抜群です。今日はちょっと風がありました。紅葉がとてもきれいです。

天守は戦闘時のみ天守で篭城しますので普段は平地の三の丸や御殿にいて執務しています。あの急な山を毎日登ったら大変なんでしょうか。しかし天守は普通天井板は張らず、床は板張りです。ここは各層の天井にはいたが張られ床には畳が敷けるようにまた襖もはめるように出来ています。

松山はこのお城と最古の温泉の道後温泉そして夏目漱石、正岡子規とちんちん電車、坊ちゃん電車だと思っていました。今は、NHKの坂の上の雲の舞台になっていて秋山兄弟関係や坂の上の雲ミュージアムなど観光には事欠かない町になっています。
JR松山駅駅前にあります赤提灯が沢山ぶら下がったお店です。名前も愛媛大衆酒場とうちが愛媛で一番の大衆だと言っているようなお店です。

松山は松山城、道後温泉とちんちん電車、郵便局スタンプと一応終わりました。日本最古の温泉、道後温泉に入り当然いっぱいとなります。本日の泊まりのお宿近くのお店でいっぱい。名前、構えちょっと昭和レトロですが、駅前なのにお客が居ません。地元民がいない店は今までの経験ではあたりでないことが多い。

相棒は躊躇していたが早く冷たいビールを飲みたい私は此処にと強引に入ってしまった。メニューは沢山あります。焼き物がメインのようです。お魚、お肉、野菜でも自分で焼いて食べるようです。コンパクトな七輪(炭入り)が置かれます。

自分で焼くんですから焼きすぎても今一でも文句は言えません。手間も掛かりません。一石二鳥の関西方式なんだろうか。ちょっと焼き物を頼んで、胃がまいって来ているのかさっぱりしたものを。トマト、豆腐、らっきょ、きゅうりなどを。

らっきょは凄く小さいこれがらっきょ?という物でしたが非常に美味しい、あっという間に一皿二人で食べてお代わり。帰りにお土産でと思うくらいです。ここの社長のお母さんの手造りだそうです。

胃が参っている、さっぱりしたものと言いながら今日も焼酎1本簡単に開けてしまった。確かに料金も大衆でした。最も大して食べていないが。

松山市大手町2-9-18石田ビル
松山駅前 愛媛大衆酒場エビス 089-947-8270
今年最初の忘年会ちょっと遅くなって帰宅。今日、来週、再来週の金曜日は日本中忘年会。少しは良くなるのだろうか。

参加費はこの所毎年下がっている。今年は4000円になった。当然、食事は期待できないが久しぶりの、懐かしい人たちとの挨拶で話が弾む。でも、ちょっと寂しい話はあの人が亡くなった、あの人の奥さんが亡くなったと言った話。

城廻をしていると言ったらびっくりされた。知っている人は早くやった方が良いよ。もう我々は駄目だ。城にバリアフリーはあってはならない。無いから良いんだと熱く語る先輩に乾杯。その先輩は日本100名城も達成しているそうです。

今日はBS朝日で日本の名城が10時からある日ですので頑張って帰って来た。タイトル「安土城と現存天守12城」ちょっと題名に期待過ぎた。
今治城
今治城跡
別名 吹上城
形態 海城
構造   5重6階望楼型
築城 藤堂高虎 1602年
城主 藤堂2代、松平10代
遺構 石垣、壕
再建 模擬天守、鉄御門、多聞塔5棟、石垣

今治の駅から徒歩で20分は掛かるでしょうか、何とかたどり着きました。このお城は城造りの名人藤堂高虎の作です。また、瀬戸内の海水を取り入れ壕を高くしてあり遠目からも大変きれいなお城です。最も平成19年に鉄御門などが再建しているので全体的に新しいお城です。広場には馬上の藤堂高虎像が建立されています。

藤堂高虎のお城の特徴が沢山あります。守りを重視は当然ですが石垣には直線的でそりがない。虎口には枡形を重ねて厳重にしている。陸より海からの防御を重視して海側に長い多聞櫓、大量の土砂で盛り上げた内堀、厚い鉄の門の鉄御門(くろがね)など。

5層の天守閣は日本で最初の層塔型天守だったが伊勢への転封により自ら解体し丹波亀山城の天守に転用。昭和55年に復元された天守閣は無かった飾りの破風を追加しその後本丸、二の丸櫓、壕が徐々に復元、お城として整ってきた。中には地域の生活の博物館や美術館的なものも展示されています。

藤堂高虎のお城はそんなに見ていませんが当然と言えばそうですが他に比べても防御に中心があり城に行くまでが大変そして天守閣は急階段で物凄く体力が要ります。同行の相棒は私より若いがこの後の松山城以降大洲城、宇和島城、高知城とパスしてしまいました。

兎も角、瀬戸内に浮かぶ海城としてきれいなお城です。
イタリアンロール(箱入り)
伊豆長岡温泉に行くと時間があれば買って帰るロールケーキです。此方ではイタリアンロールと言っているようです。今日は伊豆長岡の帰りのお土産に戴きました。

シュー生地?焼きクレープ生地?の上側にしっとりしたスポンジに生クリームと栗が入っています。食べると口の中でバターの風味も広がります。

このお店は伊豆長岡温泉のイチゴ狩りで有名な江間という地域にあります。極端に言うとポツンとこのお店だけがあるようなところです。初めての人はナビがないと無理かも。購入には事前に予約を入れておけば安心です。当日行ってもない場合があります。

そして東京では売っていません。通販もしていません。賞味期限を1日にしています。持ち帰り時間も煩く聞かれます。前に事故でも起こしたんでしょうか。ここは兄弟でやっているようで沼津にもお店があるようです。

中々口に入ることが難しいですがこのためにわざわざ行くといったものではないと私は思っています。年に1回か2回食べておー冨久屋のロールかと言う程度です。個人的には堂島ロールよりは好きです。

丸亀には半世紀前から骨付鳥という料理があります。発祥は丸亀で昭和27年駅近くの居酒屋の店主がアメリカ映画の中で骨付鳥をかぶりつくシーンに端を発し、あんなご馳走を多くの人にと骨付鳥を提供したのが始まりのようです。

スパイスをたっぷり効かせ皮はパリッと中はジューシーに焼き上げたその味はすぐ丸亀の評判になり今は香川県全体でもとB級グルメにあやかろうとか多くのお店のメニューになっているようです。

鳥の骨付きモモ肉を焼き上げたものです。鶏肉は親鳥、若鶏と二種類あります。親鳥はちょっと硬めで噛めば噛むほど旨さが出てきます。若鶏は当然お肉は柔らかくお店では初心者は此処からと言われました。

入ったお店はホテル近くの「丸亀鳥」と言うお店ですが最初は「うさぎ」というお店を探しましたが開いてなかったようです。注文は1つづつ出しました。味はガーリックに塩味でキャベツが一緒に出てきました。お店の人が調理バサミで細かく切ってくれました。骨のところは身をつけてありかぶりついてということでした。

個人的には最初は親鳥が良かったですが段々口が疲れ若鶏専門になりました。タレにキャベツが合います。此処は地元の人ばかりでワカ、オヤと注文をしています。ビールを飲んで焼酎一本飲んだので銭湯を聞いてこの店を後にしました。

銭湯は丸亀で1つだそうで駅の裏側にありました。「栄楽」という銭湯でした。飲み疲れ、歩き疲れを癒すには最高の銭湯です。

銭湯から出ると骨付鳥の13店舗の中のお店が2店もあり「三太郎」と言うお店でまた骨付鳥を戴きました。今回は若鶏にしました。味付けは同じような気がしました。出し方調理の仕方がちょっと違う程度です。此処は刺身から寿司まで何でもありの美味しそうなお店です。

風呂上りですから吸い込みは良いのですが昨夜も焼酎1本、今晩も1本飲んでいますので旅は始まったばかりですからここで調子に乗ってはと自戒し雰囲気を味わって帰宅。

モモ肉は何となく昔から家庭料理のような気がしますがお店で出てくるのは少ないのかも知れません。丸亀、香川のB級グルメになれば良いですね。丸亀のキャッチフレーズは昼はうどん夜は骨付鳥
地方へ旅に出るとその都市の中心地に聳えるお城が見えます。白壁に天守閣、高い石垣にお壕にはなみなみと水をたたえています。城下町と言われ政治、経済、文化の中心になっている事が多いようです。

昔は合戦に備え砦から創玄な天守閣を持つお城になり戦国時代は本拠の居城だけでなく領内各地に支城、子城、出城を設け国境には境目の城を設けていたようです。

沢山のお城も江戸期の1国1城令により激減、それでも大名は300諸候といわれていますから明治までは300のお城があったようです。そして新政府からの明治6年の廃城令で壊され、残ったお城も戦災や雷、火事などにより焼失しています。

当時のまま残っている木造天守閣を持つお城が12あります。

1、 彦根城  1606年 複合式 高さ15.5M
2、 姫路城  1610年 連立式 高さ45M
3、 丸岡城  1613年 独立式 高さ12.5M
4、 松江城  1614年 複合式 高さ22M
5、 松本城  1615年 複合連結式 高さ25M
6、 犬山城  1618年 独立式 高さ24M
7、 丸亀城  1643年 独立式 高さ12M
8、 宇和島城 1665年 独立式 高さ16M
9、備中松山城1665年 複合式 高さ11M
10、高知城  1745年 複合式 高さ18.5M
11、弘前城  1810年 独立式 高さ14.5M
12、松山城  1824年 連立式 高さ20M

織田信長の時代には天主と表記されているがキリシタン禁止からは天守になりました。キリシタン=天主教が影響なのか?天守の屋根の上には鯱がありますが鯱は水を吹き火を消す空想上の魚、起源は朝鮮役に従軍した武将が朝鮮の建物の上にある人形を真似したといわれています。城としては安土城からとも言われている。

天守外観には最上階に高欄をめぐらせ展望できる造りを望楼型といい古い天守に多い、また層搭型といわれる欄干がないもので江戸時代のものに多い。その為千鳥破風、唐破風で各層に変化をもたせています。

昭和天皇即位御大典記念による大阪城天守閣復興などは鉄筋コンクリート造りで最上階は展望台、館内は博物館と言うパターンが受けるようになりました。そしてブームは富山城のように元々なかったのに天守を作ったり城自体がなかったのに熱海城のように出来てしまったり、忍城のように土塁だったものが石垣に変更されたりしています。

最近は本格的な木造による復元が多くなってきているようです。1993年の掛川城から大洲城、白川城などの天守閣、松山城の小天守、金沢城の菱櫓など。お城は歴史ドラマとともにブームのようです。見てもとてもきれいですしそこから時代を超えた歴史ロマンを感じます。現代でも町の経済政治観光の中心になっていますし市民の憩いの公園でもあります。

さて私はあと彦根城、丸岡城、犬山城、備中松山城の4つになりました。何とか12は制覇したいと思っています。しかし、早くしないといけません。お城めぐりは物凄く体力が必要です。お城の場内は急な階段です。登りは何とかなっても下りは足と手の筋力が必要になります。体力のあるうちに行きたいと思っています。
丸亀城
丸亀城
形態  平山城
現存する木造天守をもつ12の城の1つ
高松城の西讃岐の抑えの支城として。
別名  蓬莱城
城主  生駒親政、山崎家治、京極高和
形状  3重3層の層搭型天守閣、現存天守閣で一番小さい
     石垣は高さ日本一、大手門から見上げる天守閣は小さいが立派に   見えます。    
        石垣の構築技術の発展と歴史を伝える名城。

海抜60メートル以上の城山をそのままに使用して三の丸から本丸までらせん状に登ります。今回は入場ギリギリで駅に着きましたのでタクシーで行きましたがちょっと焦っていたのと雨だった事で結果的に道を間違え動物園の方に行ってしまいました。戻りも間違え時間が過ぎ翌日にと諦めました。

お壕も大変広く取られ周りの桜の葉ももきれいに色づいていました。春はボタン桜できれいだそうです。夜はライトアップされお城の全景もきれいでした。町全体もお城を中心にした城下町を形成しています。

このお城は当初は高松城の生駒氏の支城として作られました。その後、元和年間の一国一城令により破却されました。その後生駒家のお家騒動で東と西讃岐に分けられ東に松平頼重にそしてここ西は山崎家治になりました。山崎家治は丸亀城跡地に築城しました。そして現存する天守閣を持つ12の城になり高松城より歴史的価値も上になっています。
[283]  [284]  [285]  [286]  [287]  [288]  [289]  [290]  [291]  [292]  [293
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
カウンター
最新コメント
[09/23 大町阿礼]
[04/17 aibiki]
[04/16 aibiki]
[04/15 aibiki]
[04/14 aibiki]
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アクセス解析
パパリン日記 Produced by パパリン
黄昏 Designed by ブログテンプレート がりんぺいろ
忍者ブログ [PR]
free pictures