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昨日も今朝も寒い。寒い。と言ってもその内、梅の開花の話がでるだろうし梅を見に行こうという話がでます。
梅の方が何となく桜より大人を感じる。桜の下で馬鹿騒ぎでなく俳句や短歌でも。ないしスケッチでも。
昨年は茨城水戸偕楽園へかみさんと行きました。近隣の池上梅園、平和の森公園、蒲田梅屋敷公園などは何度も確認から見ています。
今年はぜひ行きたいのが吉野梅郷です。JR青梅線日向和田から一面ウメ、ウメだそうです。関東最大級の25000本です。
湯島天神 300本 2月8日~3月8日梅まつり
隅田公園 150本 2月19日~
新宿御苑 350本
池上梅園 370本
蒲田梅屋敷 30本
濱離宮 140本
小石川後楽園 120本 2月5日~3月6日
向島百花園 60本 2月5日~3月6日
羽根木公園 650本 2月5日~27日
亀戸天神 200本 1月30日~3月6日
有名どころを書きましたが本数を見ていただければお解りですが吉野梅郷が圧倒的に本数が多いことが解ると思います。ちょっと遠くには、水戸偕楽園、小田原曽我梅林、修善寺、熱海、湯河原なども有名です。
梅は観梅などどちらかと云うと見て歩き、匂いを楽しみます。梅の木の下で宴会をやっている人をあまり見ません。野点などは似合いますがちょっと寒い時は手がかじかんでしまいます。若い頃は昼休みにお弁当を買って近くの公園で梅を見ながら男同士で食べていました。
早咲きはもう咲き終わっていますが、折角大きくなった蕾もこの雪でさてどうなりますか、それでも、もう少しで梅の開花時期になります。さぁ今年は大人の観梅。
梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 嵐雪
この国技館での第九を歌う会は27回もやっているようです。そして小さい子から高齢の方までの5,000人が第九を歌うそうです。なぜ、この時期に第九なんでしょうか。第九と言うと暮れに行うのが一般的なものと思っていました。
墨田区では1985年に蔵前に行ってしまった国技館がまた両国に戻ると言う事で「おかえりなさい国技館」というサブタイトルで地域活性化とお相撲が戻ってくるという喜び、歓喜をということで石丸寛氏を中心として墨田区文化観光協会により始まったようです。
5000人の合唱、5000人の観衆、土俵はオーケストラ、思っただけで凄い迫力、熱い声量が聞こえてきそうです。まず、これだけ多くの人を集める事、練習場所、練習方法など大変な作業だと思います。27回ですから相撲が帰って来た。という歓喜はもうないかもしれませんが素晴らしいイベントです。
今相撲界は大変な問題を抱え苦悩しています。マスコミの放送内容や記事、評論家のしたり顔の発言、元力士の発言など聞いていると虫唾が走ります。
しかし、国技館が戻ってきたという喜びの気持ちからこれだけ多くの人が参加し長く続いています。国技大相撲の関係者もこういう人達が日本に、世界にいっぱいいるということを。何も発言しないけどテレビ観戦を楽しみにしている多くの人がいることを。
品川宿を散歩すると御殿山、八ツ山といった地名が必ず出ます。しかし現在御殿山はない。地名としてだけ残っています。
江戸初期から元禄にかけて将軍家の鷹狩りの地となり休憩場として品川御殿が作られた。そこから御殿山とまた太田道灌が館を作ったからと色々あるようです。
この地は享保期には庶民に開放され桜の名所としてにぎわう。
幕末期は台場建設に伴い土砂採取で切り崩される。
明治期は鉄道建設工事によって南北に貫く切通しとなり桜の名所としての面影がなくなる。
歴史的に有名になったのは英国公使館焼き打ち事件。文久元年(1861)に外国公使館建設が決まり翌年、完成間際の英国公使館は高杉晋作、井上馨、伊藤博文らの尊王攘夷派によって焼き打ちされた。工事は中断しその後が建設されていない。
この所、暇に任せて今まで縁の無いコンサートや合唱を聞きに行っています。藤原社長の息子さんはバリトーンを担当しているようです。経歴を見ると変わっています。群馬大学教育学部卒、東京芸大音楽学部声楽科卒、現在東京芸大大学院の学生。
このコンサートはチャリティを兼ねているようです。そして東京芸大大学院オペラ研究科と卒業生が共演しています。
序幕に地元の東京高校吹奏楽部が2曲、その後ユニフィルが歌劇ルスランとリュドミラ序曲を聴きました。いやぁこのパターンで聞くのかと思ったら私達も知っている歌を芸大の人達が代わる代わる歌う。
これなら寝ないで済みそう。ソプラノは凄い迫力。近くで聞いたら耳が壊れてしまうのでは。藤原さんのバリトーンの「ウィーンわが夢の街」はとてもよかった。
そして休憩後オペレッタ「こうもり」ハイライトを楽しく聞きました。オペレッタとオペラの区別は解りませんがハイライトですから途中途中日本語の説明があり歌手の表情や仕草で何となく解った様な解らないような、結構楽しめました。お金を取るものはやっぱり上手に楽しませてくれるようです。
来年のコンサートは1月4日だそうです。確かに立春も過ぎた今日が初夢コンサートとしてはちょっとずれています。休憩ではチャリティ募金の贈呈などもあり雪の降っている日でしたが多くの人の暖かい気持ちが伝わる時間でした。
http://www.uniphil.gr.jp/index.html
お店のご挨拶から「創業50余年を迎える富士かりんとうは、一柳製菓創業者一柳昌平が日本で初めて干しぶどうと落花生をつけて売り出した白いかりんとうです。戦後の昭和、食べ物のない時代から贅沢にも上白糖をふんだんに使い、名前も姿も日本一の富士山にあやかって、かりんとう日本一を目指してまいりました。」
初代のレーズンピーナッツ風味、二代目のシナモン風味、三代目のゴマ風味。一つ一つ丁寧に仕上げられた手作りの味は、一度食べたら後を引く事請け合いです。
この他に生姜風味、珈琲風味、カプチーノなどがあります、また季節限定もあるようです。今日はオーソドックスのレーズンでした。これから隅田公園へ梅、桜と見に行く機会が多くなります。その時桜餅や言問い団子も良いですが日持ちするかりんとうも。場所もすみだ郷土資料館前です。
http://www.tctv.ne.jp/fujikrnt/
タバコを止めたせいなのか4K体重が増えています。酒の回数は変わらないのですが今までは極端に言うとつまみがタバコなんていう状態が今はしっかりつまみを食べています。
慌ててこの所トレーニングを週2回はやるようにしています。しかし、トレーニングの消費カロリーは知れています。筋肉が付く程度で今更胸に付けワイシャツや背広を買い代えるのもとチェストプレスなどの胸の筋肉を鍛える機械はたまにしか使わないようにしています。
代わりに足、持久力を中心にしています。四国へ5泊6日の旅でツクヅク足を鍛えないとと感じました。駅からお城まで歩き、山、階段を登り、お城では天守閣まで角度のある階段を上り下りをそんな城めぐりを1日2城。そして和式トイレ、こんなに足が弱っていたのかとツクヅク感じました。
寒いと朝の散歩は今日は止めよう。夜も寒く、暗いから轢かれたら危ないと止めてしまう。結局昼の散歩?しかやっていない。足が弱れば何処へもいけない。さぁ今日も辛いけどちょっとトレーニング。
トレーニングと言ってもストレッチしてトレッドミルやエアロバイク等を30分、脈拍130位でウオーミングアップし腹筋、背筋を12回程度1セット(これを2セットはやりたいができない)レッグカール20K、レッグプレス80Kを10回1セットでさっさと帰り支度。たったの1時間です。
その後のお酒の吸い込みの良い事。何のためにやっているんだろうと翌日は反省する日々です。さて減量は?
来福寺(海賞山地蔵院来福寺)真言宗智山派
品川区東大井3-13-1
創建は平安時代の中期正歴元年(990)といわれている。
・馬込地域に精力のあった小田原北条家幕下の梶原一門が特信
・境内には梶原稲荷神社(玉川八十八か所の74番札所)
・山門を入った左手に貞亨2年(1685)造立の庚申塔。
・本堂の左右に梶原松、延命桜を景季により手植えされたとされる。現在も立派な松、桜はあるが名前は継がれていない。
・本堂脇の林浄因の碑(まんじゅうの祖)現在も残る「塩瀬」
・阿波藍商人集団墓標群
・雪中庵蓼太句碑(世の中は三日見ぬ間に桜かな)
・江戸時代には海の見える丘陵一帯を占める広大な境内があり品種の違う様々な桜があることで知られていた。桜の名所。(江戸名所図会)春日の局の植えた桜もあった。
・山門、聖天堂は戦災を免れ建立より150年以上経つ。
・川崎大師平間寺の末寺、弘法大師像
前回も書いたかもしれませんがこのお寺さんは品川宿に沢山あるお寺さんの中でお寺さんらしいところと思っています。個人的ですが参道から山門、境内までアプローチが好きです。
このお寺はとても親切です。?本殿脇にはご参拝ありがとうございます。本殿でお休みください。とのご案内があります。また、お子様用のお守りを無料でいただけます。物を貰えるからという訳ではありませんがご住職の心が伝わってきます。
ちょっと小高いところですから昔は品川湊が見え、春は桜でとても良い所だったようです。
http://www.tesshow.jp/shinagawa/temple_eoi_raifuku.html
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煎餅は手焼きと言いますが実は私は煎餅好きですがこれが手焼き、機械焼きと区別が出来ません。元祖品川巻のお店として有名です。ちょっと太目のおばさんが愛想良く迎えてくれます。
今日は品川巻ですが普段はここではオーソドックスに醤油、ざらめが好きです。八宝菓という今流行のあられを小分けにしたものもあります。
あさおかHP
http://www.kitahon.jp/shop/akioka/
近世の宿場は徳川家康が天下を取ってからの東海道、中仙道と進められていきました。宿場には、公用人馬継立ての為人馬を常備。公武の宿泊休憩の為本陣、脇本陣などを整備。その他に一般旅行者用の旅籠、木賃宿、茶屋、商店などが揃って行きます。参勤交代よりも庶民の遊興などによって栄えたようです。
しかしその宿場も明治になると鉄道の交通機関が開通し徐々に衰退して行きました。鉄道は大隈重信、伊藤博文、初代鉄道頭の井上勝の三人に寄る所が大きいと言われている。
明治2年鉄道事業が決定。その3年後には開業するという当時の技術や機械などを考えるとものすごいスピードだ。鉄道敷設に対しては賛成ばかりでなく反対も多かったようです。漁民は海に近い線路を作られると船が自由に出入りできない。農民は陸蒸気の振動で稲の朝露が落ち収穫に影響する。品川宿の馬車、カゴなどの業者も利用者が減る。尊皇攘夷で倒幕したのに毛頭に学ぶとは何事かと暗殺の話も出たりしたそうです。
決断はやい明治の人は八ッ山と御殿山を切り崩し八ツ山橋をくぐって反対者の少ない山側を通ることになったようです。鉄道と道路が立体交差した日本初のものです。当然品川駅は現在の八ツ山下の海に沿ったところのようです。明治22年には神戸まで開通。
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山口県の江戸金という会社が作っている亀の甲せんべいです。
文久2年、増田多左衛門(幼名金次郎)は江戸で生まれ長崎で菓子を習い覚え下関でせんべいを焼き始め屋号も江戸の金さんから江戸金と称したそうです。
亀の甲羅の形をしたカステラの堅いお菓子です。パリッとして歯ごたえがあり香ばしいお菓子です。ただ、中途半端に大きいので先に手で割って食べないと大きいそのままを食べるとパリッと割れて落としてしまう事があります。味的には瓦煎餅の薄い物と言ったほうが良いのかも知れません。個人的には一缶すぐ一人で食べてしまう事もあります。
このお店は他に下関ですからフグをかたどった「ふくの宿」というサブレや「ふくチョコ」「ふく笛もなか」といった可愛いお菓子もあります。
そう言えば今年の冬はまだ1度しかふぐを食べに行っていなかった。亀の甲せんべいは名前は沖縄の玉木製菓と同じようですが中身は全く違います。亀は万年ですから縁起も良くそして美味しいのですぐ食べてしまいます。
http://www14.plala.or.jp/salute/shop001.htm
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