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昨日が東証の登録企業の一番多い株主総会が行なわれた。その中で少し嬉しい事がありました。

若い時からお付き合いをしていたH君は会社内で事業部の子会社化に伴う作業をしていました。当然本体から子会社へ転籍をするための作業で、本体にいる時の給与も待遇も福利厚生も下がります。誰も喜んで賛成してくれません。同じ働く仲間の将来設計にも関わる大変革です。

何とかその仕事も無事終わり、彼は本体に帰らずその子会社に所属してしまいました。自分だけ人の嫌がることをして「はい、さようなら」は出来なかったんでしょう。人事担当で工場毎閉鎖でリストラする作業でも別の友人は将来を期待されていましたが作業終了時に退職をしています。嫌な役で自分も被る辛い仕事です。

H君は子会社で役員をやっていましたが、同期も本体で役員になっています。そんな中、今回の株主総会で彼が本体の役員になる事が出来ました。とても明るい、気持ちの良い人で面倒見も良く若い人の相談相手にもなっています。

総会の召集通知に議題として出ていましたので前から知ってはいましたが昨日晴れて本体に役員として戻れる。やはり見ている人がいるんですね。嬉しい知らせの日でした。
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d07404b0.jpegbbabe0f7.jpegfbdcf202.jpeg京浜急行のルーツであります大師線を今日は歩きました。京急大師線は京急川崎から小島新田駅までの4.5K、7駅の短い支線ですが、明治32年川崎大師参拝の為に開通した路線です。京急はこの路線から始まりました。関東で最初の私鉄です。現存する最古の私鉄は南海電鉄です。
 
de08bee7.jpeg京急川崎駅1階の1.3番ホームから大師線は出ます。何度も乗っていますがこの路線は京浜工業地帯の幹線、産業道路を横切る為、現在地下化工事をしています。のんびりしていると線路に沿って歩くことは同じ京急空港線のように地下化して歩くことが出来なくなりますので4時間もあれば歩けますので今日歩いてみました。
 
終点小島新田まで一応あっという間でしたが乗りました。やはり、ずっと線路に沿っては歩けないようです。
 
c11f7eda.jpegda6cdc70.jpeg小島新田は終着駅で駅から降りると何にもなく、寂れた駅前ですがタクシーは沢山止まっています。京急川崎駅を除くとこの駅が1日平均乗降客が2万人を超える1番多い駅です。
 
目の前の跨線橋を歩くと下はJR貨物塩浜ターミナルです。朝夕は、旧日本治金、日本ゼオンなど大きい会社が多く送迎バスによって電車は満員になるようです。昼間に来ればバスもなくタクシーになるんでしょうか。
 
f51d6890.jpegその人たちを相手何でしょうか駅横には狭い道に飲み屋さんが何軒も並んでいます。また川崎社会保険病院という大きい病院もありますが駅から降りた人は少なかった。終着駅の寂れた雰囲気をかもし出しています。

 
fb27ad10.jpeg07b6848b.jpegefd4f0bc.jpegちょっと歩くと産業道路駅です。産業道路は6車線でトラックがひっきりなしに走って、その上には首都高横羽線が走っています。駅の周りはその他に国道409号線も走り、京急の踏切はやはり渋滞の原因になっています。


 
de08bee7.jpeg近くには水神社があり前掛け、赤い頭巾、左手に赤ちゃん、右手に椿を持っている珍しい道祖神もあります。
 
現在地下化工事が進んでいますが平成26年に竣工予定だそうです。
 
次の東門前駅は川崎大師の門前駅でしょうが実際は次の川崎大師駅で下車する人が圧倒的です。この近くは大型商業施設、マンション群になっています。
 

4eb31f03.jpeg681eba83.jpeg53da2ee6.jpeg少し行くと大師公園があります。野球場、テニスコート、プール、大きい広場があり中に「瀋秀園」(しんしゅうえん)という昭和62年川崎市と中国瀋陽市との友好都市提携5周年記念として贈られた中国庭園です。奥には滝のような施設もあり中国を感じる庭園です。
 
ccfeffeb.jpeg首都高大師ジャンクション近くには川崎大師の自動車交通安全祈祷所というイスラムみたいな建物があります。
 
線路沿いには前は特殊車両のコマツがありましたが今はマンションや駐車場などになっています。
 

7d6288c5.jpega45a00a0.jpeg202d5313.jpeg10分も歩かず川崎大師へ到着、平日ですから参拝者は少なく、関東屈指の名刹とされていますが浅草に比べればちょっと寂しい。川崎大師と云えばくずもち、せき止め飴、ダルマですが久寿餅は池上本門寺から明治の初めに伝えられたものです。駅舎横には大師電気鉄道発祥の地の碑があります。
 
川崎大師の近くには若宮八幡宮があり「かなまら祭り」で変わった事で有名な金山神社があります。下半身の病気の守護神のようです。
 
22d21c2c.jpeg1c41d308.jpeg43e93767.jpeg次の鈴木町は駅自体が味の素の敷地で前は味の素前駅と云っていました。味の素の創業者鈴木三郎助に由来して地名も鈴木町です。この路線では無いですがJR川崎駅西口からちょっと行った所も東芝町と云ったりします。
 
前は同じグループのメルシャンの工場などもありましたが今は無くなっています。しかしこの一帯は未だ味の素の工場群です。今の人は知らないでしょうが昔は味の素は割烹着を着たお母さんがトレードマークでした。
 
78498322.jpeg土手のほうに行くと川崎河港水門があります。国の登録有形文化財に指定されています。第一次大戦に伴い工場用地の拡大を図る目的で運河、港湾計画の一環で出来ましたが残念ながら今は砂利の陸揚げ程度の利用になっているようです。
 
次の港町駅は、前は土手側には日本コロンビアの工場があり「コロンビア駅」と云っていた時期もありました。わが国で最初のレコードが制作された地でもあります。
 
21c897ac.jpeg今は反対側に川崎競馬場がありナイター開催中は多くの人が降りるようです。今日は大井競馬の場外発売でナイターですので開場待ちで多くの人が新聞を広げて待っています。
 
この競馬場は明治39年に京浜競馬倶楽部として誕生、社長は板垣退助だったようですが、開場すぐ馬券発売禁止令が出て廃止、富士紡績の東洋一の工場になります。その後跡地を東芝が買収するも戦災に遭い、跡地が再び競馬場になると言う歴史をもっています。
 
ちょっと歩けば京急川崎駅です。川崎は京浜工業地帯の中核をなす工業都市です。鉄道が開通し宿場町としては寂れ、川崎大師しかない土手沿いに土地を安く提供し、地元を挙げて工場誘致をしてきました。
 
おかげで明治製糖(明治製菓)、東京電気(東芝)日本蓄音機商会(日本コロンビア)、富士紡績、味の素、日本石油、日本ゼオン、コマツいすず、日本鋼管、トキコなど日本を代表する企業の工場がありました。
 
af0e73aa.jpeg0e7cbb21.jpeg23705147.jpeg川崎はその影響でしょうか有名なお風呂屋さん街、飲食街なども発達しています。セメント通りには焼肉屋通りです。
 
旧東海道にあります宗三寺の本堂横の墓地奥には遊女の供養塔があります。これは大正時代に川崎貸座敷組合による供養碑だそうです。
その近くには毎月行く川崎・砂子の里資料館、一本奥の道は有名なお風呂屋さん街で昼間から営業をしています。
 
107534b5.jpeg68492c78.jpeg第一京浜国道沿いには稲毛神社がこの町の鎮守としてあります。その先に子供の頃良く行った川崎球場があり懐かしくどうなっているか見学に行きました。今は人工芝を敷いてラグビー、サッカー、野球と何でもござれの運動場になっていました。大洋ホエールズの試合に良く行ったものでした。
 
3e934d8b.jpeg2f1ef947.jpegその横は相変わらず川崎競輪場です。今日は非開催のようです。その前は川崎体育館で砂子で生まれた佐藤惣之助の石碑があります。
わたしは 草と花で一つの川をかいた
わたしは 星と花火で海と港をかいた と「華やかな散歩」よりの詩を武者小路実篤が揮毫しています。その花壇の近くには立ち小便するなと張り紙がかなりあり川崎らしいと思ったりしました。
 
朝夕は大きな工場の人達、昼間は競馬や競輪のファンでドル箱路線も今は一世を風靡した工場群も少なくなりマンションが沢山出現したり建設中だったりこの沿線もこれからかなり変わって行くんでしょう。そしてなりより殆どが地下になってしまいます。踏切が無くなり東西を分断したり幹線の渋滞が無くなります。今回も線路沿いは高い工事用の壁で覆われ走っている電車は余り見られませんでした。

本来は都電荒川線の残り半分を行きたかったんですが夕方から雨の予報で諦め、京急大師線になりました。4時間2万歩弱の散歩でした。

大変長くなりました。ついでにおまけです。はじめて見たお酒とタバコの自販機、ビールは全メーカー、発泡酒、日本酒、チューハイ、そしてタバコです。川崎らしいなぁ。そして紫陽花の葉ではないですが紫陽花のような、マスクメロンのような花です。e4453a0e.jpegab42b664.jpeg31feed9c.jpeg


大師線詳細は鉄道ドットコムから京急へhttp://www.tetsudo.com/

小さい写真はクリックしていただければ大きくなります。 
d07404b0.jpegbbabe0f7.jpegfbdcf202.jpeg京浜急行のルーツであります大師線を今日は歩きました。京急大師線は京急川崎から小島新田駅までの4.5K、7駅の短い支線ですが、明治32年川崎大師参拝の為に開通した路線です。京急はこの路線から始まりました。関東で最初の私鉄です。現存する最古の私鉄は南海電鉄です。
 
de08bee7.jpeg京急川崎駅1階の1.3番ホームから大師線は出ます。何度も乗っていますがこの路線は京浜工業地帯の幹線、産業道路を横切る為、現在地下化工事をしています。のんびりしていると線路に沿って歩くことは同じ京急空港線のように地下化して歩くことが出来なくなりますので4時間もあれば歩けますので今日歩いてみました。
 
終点小島新田まで一応あっという間でしたが乗りました。やはり、ずっと線路に沿っては歩けないようです。
 
c11f7eda.jpegda6cdc70.jpeg小島新田は終着駅で駅から降りると何にもなく、寂れた駅前ですがタクシーは沢山止まっています。京急川崎駅を除くとこの駅が1日平均乗降客が2万人を超える駅です。
 
目の前の跨線橋を歩くと下はJR貨物塩浜ターミナルです。朝夕は、旧日本治金、日本ゼオンなど大きい会社が多く送迎バスによって電車は満員になるようです。
 
f51d6890.jpegその人たちを相手何でしょうか駅横には狭い道に飲み屋さんが何軒も並んでいます。また川崎社会保険病院という大きい病院もありますが駅から降りた人は少なかった。終着駅の寂れた雰囲気をかもし出しています。

 
fb27ad10.jpeg07b6848b.jpegefd4f0bc.jpegちょっと歩くと産業道路駅です。産業道路は6車線で多くはトラックがひっきりなしに走って、その上には首都高横羽線が走っています。駅の周りはその他に国道409号線も走り、京急の踏切はやはり渋滞の原因になっています。


 
de08bee7.jpeg近くには水神社があり前掛け、赤い頭巾、左手に赤ちゃん、右手に椿を持っている珍しい道祖神もあります。
 
現在地下化工事が進んでいますが平成26年に竣工予定だそうです。
 
次の東門前駅は川崎大師の門前駅でしょうが実際は次の川崎大師駅で下車する人が圧倒的です。この近くは大型商業施設、マンション群になっています。
 

4eb31f03.jpeg681eba83.jpeg53da2ee6.jpeg少し行くと大師公園があります。野球場、テニスコート、プール、大きい広場があり中に「瀋秀園」(しんしゅうえん)という昭和62年川崎市と中国瀋陽市との友好都市提携5周年記念として贈られた中国庭園です。奥には滝のような施設もあり中国を感じる庭園です。
 
ccfeffeb.jpeg首都高大師ジャンクション近くには川崎大師の自動車交通安全祈祷所というイスラムみたいな建物があります。
 
線路沿いには前は特殊車両のコマツがありましたが今はマンションや駐車場などになっています。
 

a45a00a0.jpeg202d5313.jpeg10分も歩かず川崎大師へ到着、平日ですから参拝者は少なく、関東屈指の名刹とされていますが浅草に比べればちょっと寂しい。川崎大師と云えばくずもち、せき止め飴、ダルマですが久寿餅は池上本門寺から明治の初めに伝えられたものです。
 
川崎大師の近くには若宮八幡宮があり「かなまら祭り」で変わった事で有名な金山神社があります。下半身の病気の守護神のようです。
 
22d21c2c.jpeg1c41d308.jpeg43e93767.jpeg次の鈴木町は駅自体が味の素の敷地で前は味の素前駅と云っていました。味の素の創業者鈴木三郎助に由来して地名も鈴木町です。この路線では無いですがJR川崎駅西口からちょっと行った所も東芝町と云ったりします。
 
前は同じグループのメルシャンの工場などもありましたが今は無くなっています。しかしこの一帯は未だ味の素の工場群です。今の人は知らないでしょうが昔は味の素は割烹着を着たお母さんがトレードマークでした。
 
78498322.jpeg土手のほうに行くと川崎河港水門があります。国の登録有形文化財に指定されています。第一次大戦に伴い工場用地の拡大を図る目的で運河、港湾計画の一環で出来ましたが残念ながら今は砂利の陸揚げ程度の利用になっているようです。
 
次の港町駅は、前は土手側には日本コロンビアの工場があり「コロンビア駅」と云っていた時期もありました。わが国で最初のレコードが制作された地でもあります。
 
21c897ac.jpeg今は反対側に川崎競馬場がありナイター開催中は多くの人が降りるようです。今日は大井競馬の場外発売でナイターですので開場待ちで多くの人が新聞を広げて待っています。
 
この競馬場は明治39年に京浜競馬倶楽部として誕生、社長は板垣退助だったようですが、開場すぐ馬券発売禁止令が出て廃止、富士紡績の東洋一の工場になります。その後跡地を東芝が買収するも戦災に遭い、跡地が再び競馬場になると言う歴史をもっています。
 
ちょっと歩けば川崎駅です。川崎は京浜工業地帯の中核をなす工業都市です。鉄道が開通し宿場町としては寂れ、川崎大師しかない土手沿いに土地を安く提供し、地元を挙げて工場誘致をしてきました。
 
おかげで明治製糖(明治製菓)、東京電気(東芝)日本蓄音機商会(日本コロンビア)、富士紡績、味の素、日本石油、日本ゼオン、コマツいすず、日本鋼管、トキコなど日本を代表する企業の工場がありました。
 
af0e73aa.jpeg0e7cbb21.jpeg23705147.jpeg川崎はその反動でお風呂屋さん、飲食街なども発達しています。セメント通りには焼肉屋通りです。
 
旧東海道にあります宗三寺の本堂横の墓地奥には遊女の供養塔があります。これは大正時代に川崎貸座敷組合による供養碑だそうです。
その近くには毎月行く川崎・砂子の里資料館、一本奥の道は有名なお風呂屋さんが今でも営業をしています。
 
107534b5.jpeg68492c78.jpeg3e934d8b.jpeg第一京浜国道沿いには稲毛神社がこの町の鎮守としてあります。その先に子供の頃良く行った川崎球場があり懐かしくどうなっているか見学に行きました。今は人工芝を敷いてラグビー、サッカー、野球何でもござれの運動場になっていました。大洋ホエールズの試合に良く行ったものでした。
 
3e934d8b.jpeg2f1ef947.jpegその横は相変わらず川崎競輪場です。今日は非開催のようです。その前は川崎体育館で砂子で生まれた佐藤惣之助の石碑があります。
わたしは 草と花で一つの川をかいた
わたしは 星と花火で海と港をかいた と「華やかな散歩」よりの詩を武者小路実篤が揮毫しています。その花壇の近くには立ち小便するなと張り紙がかなりあり川崎らしいと思ったりしました。
 
朝夕は大きな工場の人達、昼間は競馬や競輪のファンでドル箱路線も今は一世を風靡した工場群も少なくなりマンションが沢山出現したり建設中だったりこの沿線もこれからかなり変わって行くんでしょう。そしてなりより殆どが地下になってしまいます。踏切が無くなり東西を分断したり幹線の渋滞が無くなります。今回も線路沿いは高い工事用の壁で覆われ走っている電車は余り見られませんでした。

本来は都電荒川線の残り半分を行きたかったんですが夕方から雨の予報で諦め、京急大師線になりました。4時間2万歩弱の散歩でした。

大変長くなりました。ついでにおまけです。はじめて見たお酒とタバコの自販機、ビールは全メーカー、発泡酒、日本酒、チューハイ、そしてタバコです。川崎らしいなぁ。そして紫陽花の葉ではないですが紫陽花のような、マスクメロンのような花です。e4453a0e.jpegab42b664.jpeg31feed9c.jpeg


大師線詳細は鉄道ドットコムから京急へhttp://www.tetsudo.com/
毎日のようにSLを走らせている大井川鉄道です。大正7年駿府鉄道としてスタートした、現在名鉄グループの鉄道会社です。路線はJR東海道線金谷駅から千頭駅までの本線と千頭から井川までの井川線があります。
 
鉄道好きの人にはたまらない鉄道会社で本線にはSLが走り、その他に電車は元近鉄、元京阪、元南海など色々な鉄道会社の懐かしい車両を見る事が出来ます。また井川線は日本で唯一のアプト式鉄道です。本線39.5K、井川線25.5Kです。井川線は中部電力のダム建設資材を運ぶ専用鉄道で大井川鉄道が運営受託しています。
 
旅番組では秋になると必ず何処かで取材される景色が良く、近くには有名な寸又峡温泉などもあります。特に井川線は私鉄では日本一の急こう配を登る為のアプト式ラック式鉄道で小さい車両で急カーブ、トンネル、橋梁の多さと川底からの100Mを超える橋、奥大井湖上駅など変わった駅や素晴らしい景色が堪能できます。途中駅ではアプト式機関車の連結や隣の駅の解除なども見学できます。
 
SLが走り、特にC10系は唯一の現存動態車、C11は昭和51年日本で復活蒸気機関車1号、C56はタイからの里帰り蒸気機関車、色々な各社の車両もあり、日本唯一の急勾配用のアプト式と素晴らしい景色なんですが運賃がちょっと高いのが欠点。往復するとSLを片道乗って7000円位になります。3月から12月のフリー切符は6600円、これにSL急行券が別にかかります。
 
下の大きな写真は昭和46年2月1日自動信号システム完成記念乗車券150円 右側からB6、元省電モハ1、モハ310形1a4bc002.jpeg
b91c08eb.jpeg上の写真は昭和48年10月7日浜松―千頭直通運転記念乗車券 90円、B6、と浜松からの国鉄快速すまた。






写真は昭和56年3月21日SL重連運転で先頭がC56、後補がC11の運転記念乗車券100円。a941a910.jpeg
c85234cd.jpeg







eafc07d1.jpeg写真はかわね路急行券200円、重連でSLの写真の裏に同じ大きさがあり長いきっぷになっています。










479ddef8.jpeg0038a9d2.jpeg写真は昭和56年5月1日発売C56形の親子対面記念乗車券で6枚セット400円。
実物のC56と八分の一の模型で実際に石炭を焚いて蒸気で走るものです。

大井川鉄道は、本来は昔の鉄を使います。お金が失うと言う事で旧の漢字のようです。

何度も書いていますが鉄道フアンの必ず訪れる鉄道会社です。乗って楽しい、写真の絵になるポイントが沢山あり、鉄道だけでなく四季の風景も素晴らしい路線です。
詳細はhttp://www.tetsudo.com/
 
 

 
91758da5.jpegテレビ東京系列で放送されていました「まさお君が行く」の映画版を娘に誘われ赤い京急新1000形電車で川崎の映画館へ。

現在は「だいすけ君」から「まさはる君が行く ポチたまペットの旅になっています。(BSジャパン水曜日20時放送)川崎DICEの中のTOHOシネマズですがチケット売り場が無くなり自販機に変更されていました。犬2枚と言えなくなり残念。

私より上の人たちは結構時間を掛けてチケットゲットしていました。娘にパパも出来ないでしょと言われ、悔しいから「ハイ」とは言わず新幹線のチケット購入と同じだよと言い返しました。(笑)おばさんたちは次はチネチッタにしようと言っていました。川崎にはシネコンが3館あります。
 
033f217e.jpeg映画はダメ犬と売れない芸人松本君との珍道中、笑いあり涙ありのラブコメディ。個人的には何で広末涼子なんだろうと思うのですが。折角松本君が人気が出たんだから映画でも香取君でなく松本君を使ってあげればと。
 
この手の番組を余り見ないので話が良く解らないのですが映画ですから1話完結で梅雨空の晴れたり曇ったりの1日楽しく過ごせました。

 

34ae8c0e.jpeg7月8日から始める名古屋場所の番付発表が6月25日ありました。

高砂部屋では唯一の幕内力士朝赤龍が十両筆頭に落ちました。高砂部屋から幕の内力士が消えるのは平成13年3月場所以来。その時は闘牙が運転してはいけない自動車事故を起こし謹慎により明治11年から続いていた幕内力士が途絶えました。
 
当然十両以上の関取は未だ明治11年から続いています。朝赤龍は勝ち越せば幕内復帰ですが高砂部屋には次の幕の内候補が少ない。朝天舞、朝弁慶が先場所勝ち越し幕下に復帰したばかりです。今場所、来場所大勝ちしないと、1つ、2つの勝ち越しでは時間が掛かります。
 
af5e2bd2.jpegこの場所は二人に期待する場所になります。本来なら朝乃土佐がとっくになっても良いのですが。

 
東京近郊ではSLを保存運転しているのが栃木の真岡鉄道、埼玉の秩父鉄道、静岡の大井川鉄道が有名です。現在も走っていますからきっぷは沢山出ています。

e61b0d40.jpeg真岡鉄道はC11,とC12の二両が活躍しています。
C11は昭和21年日本車両熱田工場製造で相模線、南武線、横須賀線で活躍、昭和42年山形の左沢線(あてらざわ)運行後、昭和48年から新潟の水原町で静態保存されていました。平成8年真岡駅へ。平成10年から真岡鉄道で列車運転開始。
 
55d5e715.jpegC12は昭和8年日立製作所笠戸工場で製造、鹿児島の指宿線、昭和13年石巻線、山田線、昭和14年から青森黒石線、昭和19年から長野の小海線で活躍後、昭和47年から福島県で静態保存。平成3年から真岡駅へ、調整後平成6年から列車運転開始。
 
真岡鉄道は緑に縞模様のモオカ14形が主力の列車で茨城と栃木の下館~茂木間を結ぶ第三セクターです。営業距離は約42K、17駅で土日にはSLが元気に走っています。またこのSLはJRなどに貸し出しもされています。真岡駅は建物自体がSLの形をしています。
 
61bc2225.jpeg123b261b.jpeg秩父鉄道は明治32年上武鉄道株式会社から現在の秩父鉄道に改名、埼玉県の羽生から三峰口までの約72K、35駅、秩父セメントの石灰石輸送の貨物線があり現在の太平洋セメントが筆頭株主。
 
SLはC58で「パレオエクスプレス」と云う名前で土日を中心に熊谷―三峰口を走る。一般車両は旧国鉄、元都営地下鉄、元西武鉄道、元東急電鉄の車両が走り鉄道フアンとしては懐かしい電車が見られる人気の鉄道会社です。
 
三峰口には秩父鉄道車両公園があり以前の車両が保存展示されています。記念切符を多く発売し、SL柄みも多く、通販でも購入できます。
 
d4df72e4.jpegC58は旧国鉄で昭和13年から22年にかけて427車両が製造。全国で活躍しました。このSLは東北地方で活躍後、昭和47年に県内の吹上町の小学校に静態保存されていた。昭和62年に車籍復活、昭和63年にSLパレオエクスプレスとして運行開始。
 
パレオとは大昔、秩父地方は海底にあり、数々の化石も発見されています。パレオパラドキシアという海獣が生息していたそうでその名前にちなんで付けられたそうです。上長瀞駅近くには埼玉県立自然博物館があり骨格展示されています。
 
きっぷは秩父路SL乗車券鉄橋編4枚セット500円、平成2年7月21日発売、同じ四季編「夏」3枚セット500円。

真岡鉄道、秩父鉄道の詳細は下記鉄道コムで
http://www.tetsudo.com/

 
1f2b2a73.jpeg東北新幹線30周年の記念切符を購入する為、早朝よりJR大宮駅へ行きました。折角大宮駅へ行ったんですから時間もあるし何をするか検討をしました。
 
1つはJRの鉄道博物館見学、2つ目は会社の先輩の墓参り。大変お世話になった方で毎年11月には7回忌まで大宮からバスに乗って墓参りに行きました。その後は13回忌に1度お参りしただけです。3つ、何度か乗り換えますが流山線を歩く。
 

552084c1.jpeg2c8fccd9.jpeg11397a84.jpeg結論として今回は流鉄流山線を歩くことにしました。大宮から京浜東北線で南浦和で武蔵野線に乗り換え新松戸で常磐線に乗り換え1つ目の馬橋で流山線へというルートです。
 
9c87b3d4.jpegde3f8a1e.jpeg3375fc7c.jpeg流鉄流山線は、JR馬橋駅のホームから流山までの5.7K,単線、始発駅含め6つの駅、ワンマン運転の短い路線で私鉄です。それも町民が電車がほしいと言う事で1株株主を集め作った町民電車です。車両は元西武鉄道の車両を使っていて流星、流馬、菜の花、あかぎなどの愛称が付いています。
 
まず馬橋駅から終点流山駅まで乗りました。車窓は住宅地や未開発の地などを見ていますとあっという間に到着です。途中乗ったJR武蔵野線よりは住宅地になっています。
 
9aeace11.jpegc2650534.jpeg流山駅は千葉県ですがすぐ近くに江戸川が流れ対岸は埼玉県になります。建物も昔の建物が数多く残って明治の趣も感じます。駅からすぐ流山街道が南北に走っています。常与寺、此処はお寺自体は大した見るものは無いですが県内初の師範学校があった所のようです。場所は転々としますが現在の千葉大学の前身になります。
 
23c67f55.jpegedc33a20.jpeg横の浅間神社は江戸時代初期の創建で新撰組を包囲した新政府軍の仮本陣を敷いたところだそうです。特筆としては境内裏に富士塚があります。品川神社の富士塚より狭く、岩がゴロゴロして手すりもないちょっと足元が怖い立派な富士塚です。
 
927973d3.jpegf6d7cc88.jpeg043b4d84.jpeg流山街道を南に少し下ると明治の建物の寺田園茶舗「見世蔵」という万華鏡のギャラリーがあります。もうお茶は販売していなくその建物を風景画や万華鏡のギャラリーにしているようです。
 
f350c372.jpeg391309d2.jpegちょっと来た道を駅方面に戻ると右側に蔵が見え、そこには近藤勇陣屋跡の場所に出ます。長岡屋という酒造家を最後の陣営をしき再起を図ったが新政府軍に包囲され、これ以上の戦いは将軍の意に背くと単身出頭して捕まる。此処で土方歳三と別れの地となる。土方は此処から会津、函館へと向かう。長岡屋は現在も此処でお酒を作っています。
 
7d61651a.jpeg8b0f7c78.jpega0c8d81e.jpeg少し下るとこの地で多分一番大きいキッコーマンの味醂工場があります。昔は流山線の貨物線を引き入れていたようです。工場をぐるッと廻りましたが線路跡は見つかりませんでした。工場の後ろは江戸川ですから昔は船を使って輸送もしていたのでしょう。工場の脇に立派な庚申塚があります。今でも地域信仰が続いているようです。
 
此処から線路に戻り線路に沿って歩いていきます。線路沿いには住宅地や畑、川もあり中々素直に沿って歩けません。段々づれて行きますが初めての道ですからなるべく線路に沿うように無駄な歩きですが迷子にならないように歩きます。
 
ec20cead.jpeg5200aad9.jpegこの先は特別見るべきものがないようですが駅には寄って入場券を購入していきました。駅は有人駅です。この程度なら無人でもと思います。自動券売機がありますが駅員から購入すると硬券の入場券です。またスイカ、パスモは使えません。
 
鰭ヶ崎駅(ひれがさき)は単線の車両の待ち合わせ駅です。次の小金城跡駅は昔はお城があったようですが今は無く、住宅地に石碑があるだけのようです。この他に東福寺には左甚五郎作の目つぶし鴨といわれる彫刻があるようです。
 
d6a278bc.jpeg幸谷駅はホームをマンションの1階?を利用していると言う変わった駅といった程度です。もっと細かく研究していけば有るんでしょうがこのまま行ったり来たりをしながら線路にそって馬橋まで歩きました。
 
5d34029a.jpeg当初この地に明るい友人のちょんまげさんが駅間があると言っていましたが世田谷線と同じ距離で見る所も少なく時間的には3時間程度で完走しました。今日のお土産は流山線の入場券でした。

流鉄流山線のイベント、ニュースは下記のカテゴリー東日本、地方線でご覧ください。
http://www.tetsudo.com/


 
 
 
 

 
3f42155f.jpeg6月23日は東北新幹線開業30周年を迎えました。今は東京駅からですが昭和57年6月23日は大宮から盛岡の開業でした。やまびこ・あおばという200系新幹線。上野からはリレー特急が接続していました。
 
平成3年に東北・上越新幹線が東京から運転開始、平成4年には山形新幹線開業でつばさ運転。平成9年に秋田新幹線開業でこまち運転。その間オール2階建てのマックス運転、平成14年には盛岡から八戸開業で「はやて」運転、平成22年には新青森まで開通、現在ははやぶさE5系が運転されています。
 
6aeb3c85.jpeg朝1番電車で出かけ大宮駅で9時からの記念入場券発売の為5時半には並んでいました。発売は9時ですから3時間半も並んだ事になります。もう私より大分並んでいました。
 
東北新幹線の30周年で多くの駅で発売すると言う事で一番近い大宮駅で並びましたが一人5部まで購入可能で、13駅で8000部発売、大宮は2000部と思っていました。
 
極端に言うと400人並んで皆が5部購入すれば売り切れです。実際は大宮で4000部だそうでこんなに早く行かなくても購入は出来たようです。実際は買えなかったらという恐怖感と早く行けばと云う安全を選んでしまいます。
 
3c86d447.jpeg並んでいる何人かは記念臨時新幹線の乗車券を持っているようでそれが9時9分発と云う事で早く売れと駅員さんに食ってかかっていました。JRの問題で駅員さんはどうしようもなくちょっと可哀そうです。しかし、私の周りの人も乗りたかった人が多く、結局切符を優先したようです。企画した人が間違いだった。
 
今は並び屋もいるのか解りませんが並んでいる人は慣れたもので自分の位置を確認確保してコンビニでおにぎりを購入したり、新聞を買ったり自分なりの時間調整をしています。テツですから出たばかりの時刻表を読んでいる人も多く、ゲームをしたり音楽を聴いたりしています。多くは簡易な椅子を持参しています。
 
ecc3a98b.jpeg9時ちょっと過ぎに記念入場券をゲット。今週は他に南海電鉄の加太線開通100周年の記念入場券もゲット。また来週も山形新幹線開業20周年が発売されます。何となく200系の記念新幹線も見られずつまらない開業記念の大宮でした。http://www.tetsudo.com/

 
b80e0d15.jpeg東京芸大美術館では高橋由一展と同時に「春の名品選」と称して芸大コレクション展が開催されています。芸大は卒業生や教師の作品だけでなく「修復作業・依頼事業」もあるようで絵画等の修復や銅像などの依頼制作、音楽の文部省選定唱歌、軍歌、社歌、校歌などの制作も行っているようです。
 
古画、日本画では国宝「絵因果経」という天平時代の巻物、丸山応挙、椿椿山、河合玉堂、菱田春草、西村五雲など、西洋画では重文の浅井忠の「収穫」藤島武二、岡田三郎助、青木繁、安井曾太郎、レオナール藤田、恩地孝四郎など。高村光雲の彫刻作品など
 
e3985c91.jpeg今回3年がかりで修復した重文「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵」4点、20世紀ごろの模写した作品、銅像などの作品依頼は写真パネルで展示されています。フェノロサ、岡倉天心、西郷隆盛、日蓮聖人像、楠木正成像など。
 
音楽は東京音楽学校時代からの小学唱歌初編の版木、当時の国産第一号オルガン、各学校校歌、社歌など依頼を受けた事業作品は聞く事も出来ます。
 
是だけの作品で一般の特別展になりますが高橋由一展の入場券で無料で見られます。この展覧会だけの見学は300円です。
 
c7f94ff3.jpeg59845e48.jpeg近くに明治の建物で重要文化財の旧東京音楽学校奏楽堂では2時から東京芸大の学生のコンサートがありあまり趣味ではないですが建物見学を兼ね久しぶりにクラシックを聴きました。
 
モーツアルト交響曲第25番の第一楽章から第四楽章アレグロまで、ドビッシーの小組曲、小舟にて、行列、メネエット、バレエ、休憩の後ベートーベン交響曲2番より第一楽章、第四楽章アレグロ モルトです。書いていても何が何か分からず。
 
音楽は全く解らないですが最初の音楽を聴いているとディズニーアニメを思い描いて聞いていました。ドビッシーはヨーロッパ映画の場面を思い描きながらです。
 
コンダクターは3人とも芸大2年生でとてもイケメンで何だか、のだめカンタービレを余り見てはいないのですが思い出しました。最後の人は佐渡裕さんを思い描くような指揮の仕方でした。奏楽堂は満員で此処は美術館の帰りの人、芸大の学生など若い人が多かった。入場料500円、パイプ椅子を出すくらいの満員でした。
 
やっぱり東京芸大は凄い。今、ボランティアのお手伝いの先生も東京芸大出で伊豆の旅館担当しているときは2枚日本画を戴きました。そして最高齢の友人ガレさんのお兄さんが東京芸大の教授で人間国宝でした。東京芸大なんてと縁がないと思っていますが何となく繋がりがでています。
 
芸大に浸った満足の一日でした。
 
 

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