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 大田区には二つの全く違った田園都市構想がありました。一つは大正3年黒沢貞次郎が作った吾等が村、そして大正11年から職場と住居を分離した田園都市生活の為の土地分譲をした渋沢栄一の田園都市株式会社です。
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黒沢貞次郎は、日本にタイプライターを最初に銀座で販売した人です。この人の物語に関しては簡単に書きますと16歳でアメリカに行き独学で勉強した英語を使い苦労しながら当時最新のエリオット・ハッチ・ブックタイプライター社に務め縦書き文章タイプライター、ひらがな、カタカナの和文タイプライターの試作に成功。
 
明治18年5月に現在の銀座並木通りに2坪の店を開く。後に日露戦争で外務省に買い上げられ、徐々に社会に浸透をしていき、現在もある銀座6丁目角の黒澤ビルへ移る。このビルは自身で設計、工事の監督もしたビルで設計、建設学上貴重なビルだったそうです。(現在のビルは建替えられています)

 大正3年蒲田駅にほど近い(現在の富士通、区民プラザあたり)2万坪を購入、貞次郎の究極の田園都市の実現に名付けて「吾等が村」を建設。考え方は「都市生活の幸せは自然と文明の調和によってもたらされるべきであり生活の地は近郊の蒲田にありこの地で田園都市の恩恵を亨有するところに「吾等が村」の理想がある。現実をはなれざるユートピア、これぞ「吾等が村」の使命なりと言っています。
 
滞米中に見聞きした田園都市を参考にしたようで文明の進歩による近代化、工業化を否定はしないが近代化の中で人間が人間らしく生活をするのはといった一つの答えのようです。
 
自らの手で一緒に働く仲間の豊かな生活を守るための村を築く。工場と並んで食堂、社宅、子供用プール、共同浴場、給水塔、菜園、幼稚園、小学校、公園を完成。
 
物資不足も個人の菜園や会社の菜園での供給、大家族主義の自宅即会社で社宅113戸人口800名、工場で働く従業員200名、電信用和文タイプライター、国産和文印刷電信機(和文テレグラフ)の開発製造、事務用品の製造でした。後に富士通との仕事、NTTの仕事とタイプライターから変わっていきます。
 
商売上の哲学はEverything best in office appliance  Slow but sure などお客様第一主義で、もうひとつは報国の思いを納税と言う形で商売上得た利益は出来る限り国に還元するということで「私の眼の黒いうちは店の法人化はしません」が口癖で個人長者番付1位になった。これは彼が望んだ事でなく1銭、1円でも多く税金を払うという考えの結果だったそうです。
 
しかし、亡くなった後の相続は大変だったようです。黒澤村が出来てから近くには大倉孫兵衛、和親の「大倉陶園」大倉から呼ばれた各務クリスタル、甲斐庄楠香(かいのしょう ただか)の「高砂香料」「松竹キネマ蒲田撮影所」など当時の西洋の香りがする高い理想ををもった会社が集まってきました。
 
そこで誰云うことなく「流行は蒲田から」「蒲田モダン」と云う言葉が発生していったようです。
 
 

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