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信長が理想とした城なのか、結局は燃えて資料もなく幻の城と言われています。城フアンが此処を訪ねると霊気を感じるとか夜、魘されるとか天下統一目前だった信長の悔しさが出てくるのでしょうか。
浅井、朝倉両氏を滅ぼし武田勝頼を破った織田信長が築城し安土桃山時代という言葉の代表になるお城、安土城。朝、安土駅に到着しました。信長像が出迎えてくれます。レンタサイクルでいざ安土城跡へ。事前では伝徳川家康屋敷跡、伝前田家屋敷跡、伝豊臣秀吉屋敷跡や天守の大きな基礎石などと思っていました。
また大手門は城の石段としては異例の真っすぐな道になっています。お城は防御の要と考えられていた、途中曲がりくねり枡形を作り敵を迎え撃つ構えが一般的だがここではそれがない。この道は、天皇を迎える道だったのだろうか、天皇のための本丸御殿だったのだろうか、しかし信長は天主(天守)で生活をしていたと言われる。天皇を見下す様なことができるのだろうか。これもミステリーです。
安土城はこの安土山に建造されました。城域全部を石垣で築いた初めての山城です。構造は宣教師の報告では望楼型6階建てだと言われています。4階は八角形で最上階は金色だったようです。安土城は本能寺の変後突然焼け落ちた。なぜ焼けたのか。
その後三法師丸(信長長男信忠の遺児)の居城として再建されたが豊臣秀次は城を近江八幡に移し城下町も移した。
この敷地は総見寺が管理しています。緫見寺と書くようです。百々橋口付近にありここを通らないと城に行けなく此処には七堂加羅を備えている立派なお寺です。三重の塔、仁王門などは当時の建築だそうです。信長はそんなに宗教心があったのだろうか。
麓の石垣や南山裾帯郭の虎口、西側石塁の桝形虎口と平入り虎口、西側上段郭とかまど跡、井戸など現在も調査研究中のようです。信長の館など安土城5,6階を復元した豪華絢爛な仏教絵、黄金の間などとても豪華です。
安土は今回私だけか何処へいってもサービス、あいそうが悪く、料金が高いここは城址以外何もないのにと思ってしまう。これもミステリーか。
馬でも登れる大手道、戦国の守りの要の天守への道には考えられない。
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