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彦根城
通称 金亀城
構造 平山城
天守 複合式望楼型 3重3階地下1階
現存木造天守の12城で最古の城、国宝認定
井伊14代の居城、多くの大老を輩出した譜代大名。変わったところで馬屋は重要文化財に認定。
北側に玄宮園・楽々園の大名庭園の保存作業が行われてる。
彦根城は色々な城から転用した部材で出来ています。天守は、秀吉時代の大津城からの移築、天秤櫓は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城の天守だった。太鼓門、多門櫓は佐和山城遺構とも言われている。
近江の国湖東地方を中心として琵琶湖周辺には織田信長やその配下の武将の居城がたくさんあります。安土城、秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城、丹羽長秀を入れて安土築城までの核としたのが佐和山城でした。
東から京へ向かう時の最初の戦略的拠点が佐和山城でした。この城は結局石田三成が入城します。徳川家康は関が原の合戦の最初の目標がこの佐和山城でした。
家康はこの重要地に四天王と言われた井伊直政を入れた。その後、城を彦根に移す。家康は、佐和山城、大津城などを廃城とし新しい近江を支配する体制を築く象徴のような城です。
古材の再利用は経済的な面と旧領主の天守を取り込み格下に扱って威信を示すという面もあるようです。彦根は人によっては日本一の城下町とも言われています。
お城のエンディングソングなんでしょうか三橋美智也の古城が流れていました。
翌日は安土を予定しているのですが安土より彦根のほうがビジネスホテルも多いと思い彦根の駅前に宿泊しました。ビジネスは浴槽がユニットで入った気がしないため銭湯へ行った。此処でも銭湯は(山の湯)一軒しかないそうです。結構銭湯フアンとしては薬湯の上には大きな水槽で鯉が泳いでいたり脱衣所と洗い場の間には下に鯉が泳いでいたりと面白い銭湯でした。
だいぶ駅から離れた所が繁華街になっています。途中に武家屋敷らしい家が結構あります。面白いのは銀行の社員寮も黒板塀で立派な庭のお屋敷でした。社員寮と書かれてなければ武家屋敷で通るくらい大きい建物です。
友人からはお土産を教えていただいたが残念ながら此処は6時にはどこも閉店しています。もう、ひこにゃんブームも去っているのでしょう。今はブームは隣の長浜に移っています。映画の桜田門外の変じぁお客は来ない。スナックはあるんですがまだ開いてなく食事とお酒が出来る店が見つかりません。結局何でも屋へもぐりこみました。それが美味しく安く正解でしたが。
JRと並行して走る近江鉄道には乗ってみたかった。ちょっと残念でした。
東日本大震災という大変なことが起こっている中、暢気に城へ行きましたと言っているのも何か変だと思いながら書いています。大被害の宮城、岩手の場所は個人的にも好きなところで何度も行っているところです。どうぞ早い復興を、二次災害のない事をお祈りしています。
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