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学校では卒業式が行われる時期です。男性は良く解らないが女性の袴姿などであぁ卒業式だったんだと思う。それと同時に此れから多くの人が社会人になり旅立って行き学生より厳しい世界へと。それでも新しい発見と楽しいこともあり頑張ってもらいたいと思ったりする。
山陽新幹線開業40年記念入場券を求めて9日に前泊をしました。凄い人気だろうと思い新大阪は諦め、先の西明石に宿泊予定。これ以外はすべて未定。
一人旅ですし記念切符発売は翌朝の朝ですから月曜日は朝早く出て京都から山陰本線で福知山城でも攻めて、帰りは福知山線で尼崎に出てお泊りと勝手に決め込んで行きましたが昼には雨が降ってきました。
昨年も姫路城を見に来ましたが大天守が真っ白でしたが残念ながら天守には入れずでしたので丁度いいと雨の中向かうも、結果完全オープンは27日からとの事、またも外観だけしか見られず。敵はしぶとい。またも攻め入られず。いやぁ私がいい加減だけだが。
帰りがけ遅い昼食を兼ねとんかつ屋にはいるも大当たりでつまみも取り一人昼酒、昨年も買った美味しい蒲鉾屋で夜のつまみを買って夜は早寝と決め込む。
やはり旅は雨だと全部が狂う。最も今回は一人なので行程をまともに作っていなかったのが敗因だったかも。雨あられの攻撃はしぶとかった。
3月10日山陽新幹線開業40周年記念入場券が発売されるという事で西明石駅で前泊して3時半から1等賞で並び購入しました。
この所、記念入場券、乗車券は何故か大変な人気になっていて今回は新大阪から博多まで19の駅で発売があるようで新大阪は発売枚数も多いでしょうが多くの人が並ぶだろうとあえて西明石駅で並びました。
9日の夕方西明石駅で何処に並ぶか駅員に確認し近くのビジネスに宿泊、3時には目が覚めて部屋のインスタントコーヒーを飲みおっとり刀で出掛けました。発売は8時から3時半には誰も並んでいなくあれっと拍子抜け。
4時半に一人の若者、彼も私と同じように前泊組、6時過ぎには大分並んできましたが大したことはなく係員も整理することもない。7時45分早めの発売という事で西明石発売の2001の番号をゲット。個人的には発売ロットナンバーは気にしないが1番は気持ちが良い。
山陽新幹線は昭和47年3月に新大阪、岡山間が先行開業、昭和50年3月10日に博多まで延伸して東京博多間約1100Kmが高速鉄道で結ばれました。全19駅入場券セット発売。
明治40年小松、遊泉寺銅山間で貨物、旅客輸送を開始。遊泉寺銅山鉄道、白山鉄道、小松鉄道から昭和12年戦時統合により北陸鉄道へ。銅山閉山、モータリゼーションの発達により利用客減により昭和61年に全線廃止。
営業距離5.9K、駅数8、全線単線電化。沖駅、若杉駅、終点の鵜川遊泉寺駅の切符なし。
今年も新作展があるという事でママリンと亀戸梅屋敷に行きました。亀戸梅屋敷と言えば広重の名所江戸百景にもありゴッホも習作をした有名な場所。亀戸には何度か天神様に来ているがそんなところがあったのか?
本来の天神様の裏ではなくJR亀戸駅から北へ向かい蔵前通りとぶつかる角に新しく出来たようで観光案内所を兼ねているようです。
私の学校の後輩で国の伝統工芸士でもある鍋谷聡氏もいて会場を案内してもらいました。今回は残念ながら都知事賞は取れなかったようですが昨年彼の作品は安倍首相からオバマ大統領へのお土産になっています。
此処まで来たので近くの亀戸天神へ参拝、梅はそんなにないが枝垂れ梅はきれいで社内は梅の匂いが漂っています。
帰りがけJR有楽町で下車しいつものギャラリーでタバコを吸おうとしましたが今日は満員で諦めました。有楽町駅前のビアホールニュート-キヨー数寄屋橋本店はビルの再開発での営業は明日までと言うカウントダウンの表示が、77年間この地で営業していたそうです。現在は近くの有楽町電気ビルに移転しているようです。今日は肌寒くビールの陽気でなく帰宅。
博物館の裏は庭園になっています。目や腰が疲れた時はこの庭園を見ながら一服、まだ桜には早いですが開花すれば一服の絵になります。
国宝室は毎月1点国宝作品が展示されます。今月は狩野永徳の「檜図屏風」安土桃山時代、信長、秀吉と時の権力者からの依頼により多くの作品を手掛けていますが戦火と共に多くは焼失しています。
今回の展示作品は東京国立博物館での平成の修理により絵の汚れ、傷みを元々の絵を損なわない形で1年半の期間をかけて修復したものだそうです。
元々は屏風ではなく襖絵だったそうです。
本館8室は書画の展開というタイトルの部屋、安土桃山から江戸までの展示で絵画は永徳、探幽といった狩野派を中心に宗達、光琳、抱一などの琳派、池大雅、与謝蕪村などの南画、応挙を祖とする円山派。
書は寛永の三筆(信尹、光悦、昭乗)などを中心に展示されています。書は全く読めず殆どパス、絵画も歩き見でビッグネームをたまに見る程度。残念ながら此方も良く解らない。(写真は谷文晁の作品)
外人が注目するコーナーは刀剣、武具、仏像、着物、浮世絵などで日本の近代の絵画などは彼らからすると日本画は兎も角洋画はパスで漆器、磁器、蒔絵などの工芸品、屏風絵・襖絵と言った日本らしさのコーナーが当然人気のようです。今日も欧米人が多い。
私は浮世絵コーナーをメインに申し訳ないのですが各コーナーは歩き見で大体通過します。立ち止まるのは近代の美術コーナーで明治から昭和戦前までの日本画、洋画、工芸品が展示されているコーナーで黒田清輝の作品は黒田記念館が新たにリニュアルしているので隣の記念館に作品は展示されています。
今月は日本画では安田靫彦、狩野芳崖、下村観山、速水御舟、前田青邨。
洋画では幕末の洋画家川村清雄、梅原龍三郎、藤島武二など工芸品では木彫の佐藤朝山、陶芸では板谷波山など。
浮世絵コーナーには浮世絵以外に当時の着物、衣装やかんざしなどの飾り物も展示されています。
今月と言うより15日までは歌川国芳の浮世絵を展示しています。歌川派は歌川豊春を祖として高名な豊国、豊広と言った弟子に引き継がれていきます。豊国の弟子には今回の国芳、兄弟子の国貞などが、豊広の弟子には広重がいます。
兄弟子の国貞は美人画、役者絵などで人気が出て同い年の広重も風景画で人気が出ていましたが国芳は中々人気が出ず、「通俗水滸伝」で人気が出て武者絵の国芳と言われるようになります。
武者絵以外にも美人画、風景画、戯画など沢山の作品を残して多くの弟子を育てています。一番は天保の改革で浮世絵も役者絵・美人画は禁止されこれに対しての精一杯の皮肉を込めた「源頼光公館土蜘蛛妖怪図」が庶民の喝采をあびたり、役者絵がダメならと子供が描いたような釘絵的なものに役者の特徴を入れた作品(むだ絵)など粋な江戸っ子国芳の真骨頂の作品も。
猫が好きだったようで猫の作品、金魚など擬人化された作品も多く斬新なアイデア、デザイン力があった。
また武者絵が大変流行った影響か刺青をする人が増えたとかと言った社会現象もあったようです。
大正14年開業の能登鉄道が昭和18年北陸鉄道に吸収合併され北陸鉄道能登線になるも昭和47年全線廃止に。
石川県羽咋駅から三明駅まで25.5Kを単線非電化駅数13の短い鉄道路線だった。全駅入場券持っているつもりだったが10駅分しか見つからず。バラでストックしていたので何処かに紛れ込んでいるかも。甘田、大笹、直海駅の3枚不足。
4度の戦地と帰国を繰り返し精神的ダメージも大きく、映画ではその点も大きく強調しています。結果無残な戦争結果でしたが派遣される兵士は傷つき、死亡したり、精神を病むなど一生戦争体験を引きづっていく。
迫力ある戦闘シーンもあるが何方かと言うと家族愛などがメインとなる。主人公が最後に元兵士に銃の練習で家を出る所で終了するがその元兵士に射殺されてしまう現実がある。
エンディングのエンディングロールは音響がなく静かに流れていくBGMがないエンディングは何となく恐ろしさや悲しさが感じられる。音の魅力を感じる。
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