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上越新幹線とき7時に乗って新潟、白新線で新発田へそして上越本線で新津、磐越西線で喜多方泊まり。翌日は喜多方から郡山、東北本線で二本松、郡山に戻り東北本線上りで白河下車、白河から黒磯、宇都宮、品川経由して帰宅の1泊の旅でした。
写真は見たり乗ったりした車両達。新幹線はあまり好きでなく今回みたいに時間短縮での利用位しか乗らない。その中では2階建てのマックスが好きでした。時間的に乗れなかったが本来ならこれに乗りたかった。
車窓からはススキ、稲穂の田んぼの途中からは蕎麦の花が咲いていた。磐越西線の途中にはラッセル車が。もうすぐ東北は秋から一気に冬へ向かうんだろう。福島方面には除染した土などを積んだ黒い土嚢の山は異様に感じた。
城の攻め入りは新発田城、二本松城、白河城と1泊で3つも廻った。そろそろ年齢的に山はきつくなってきた。山城と言われるところは大体攻め込んでいて此れからは平城位しか行けないし1日1城が限度になるんだろう。
郵便局貯金スタンプは新潟、新発田2局、郡山、二本松の5局、列車待ち合わせの時間つぶしの散策や目的地の途中に合った郵便局千円貯金も私の旅には欠かせない。白河は城の後すぐ列車時間になりパス。日付は思い出すきっかけになる。
喜多方は夕方ついて早朝出発で郵便局スタンプはない。元祖のラーメン屋は休業日、ホテル近くの銭湯は廃業とちょっと残念だったが昨年お邪魔して常連さんと盛り上がった居酒屋和美(なごみ)は今回も健在だった。お店は会津若松にも新規出店しているとの事。
早朝の駅まで暖かいおにぎりを届けてくれたお店のママさんには本当に感謝。会津の人は人情があると言うが本当だ。喜多方へ行く機会があれば是非また訪れたい。
別名 白河城、小峰城
構造 梯郭式平山城
天守 御三階櫓 (1991年木造復元)
城主 丹羽、榊原、本多、奥平、結城、久松、阿部家
遺構 石垣、土塁、堀
再建 御三階櫓、太鼓櫓、門
1340年 結城親朝が築城
1590年 会津領となり蒲生、上杉、蒲生氏
1627年 丹羽長重10万石で入城
その後7家21代の城主
1868年 戊辰戦争により落城
JR白河駅ホームから御三階櫓が正面に見える。
一昨年訪れた際は東日本大震災で三階櫓手前まで石垣が崩れ、いたる所が崩落していて入場できず。挙句に集古苑(資料館)も休館日でした。今回も工事中ですが御三階櫓には入城が出来ました。
集古苑は8代将軍吉宗の孫で藩主で江戸では老中として寛政の改革をした松平定信展が開催中。白隠の達磨絵かと思う定信の絵、書、茶道具、笛など政治家でなく文化人としての面が見られる展覧会です。
別名 霞ヶ城、白旗城
構造 梯郭式平山城
城主 二本松、伊達、蒲生、上杉、加藤、丹羽氏
遺構 天守台、石垣、堀
再建 箕輪門、付櫓
1586年伊達政宗により二本松氏滅亡
1591年政宗転封により会津若松城の支城
1598年蒲生秀行転封により上杉景勝が会津へ入城
1600年上杉転封により会津に蒲生秀行復帰
1627年加藤義明が会津へ入城
1643年加藤氏改易、白河小峰城から丹羽光重入城
二本松城と言うと戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加、政府軍により落城。13歳からの少年が城を守るために戦ったのに名門丹羽家の殿様一族が米沢に逃亡、こんなバカ殿に命を懸けて戦った少年隊、家来も自刃していると言うのにこういう殿様を持ったら不運だ。そして丹羽家の家紋はバツ印の違い棒とは上手く出来ている。
白旗峰に天守があったが今は石垣だけが当時をしのぶ。ただ平成7年に完成した石垣の全面修築、復元工事により石垣自体は工法は当時を倣っているが石が新しく何となく違和感がある。ただ石垣はこの新しいのと昔からの物と工法も色々あり石垣好きには楽しい。
行は頑張って登って行ったが大した高さでもないが(標高345m)当日の暑さ、駅から城まで一山登って下ってきたのでこの所の体力のなさを感じる。
下りは楽なので日陰の井戸(印西の月影、鎌倉の星影と3井と言われているようです。)少年隊の顕彰碑、天守に合った家来の自刃の碑には手を合わせた。智恵子抄、土井晩翠などの詩碑、洗心の滝などいくつかの滝、1本からの笠松、蓮が綺麗に咲いている霞池、洗心亭などを見乍ら三の丸下に降りる。
此処からまた坂を上り下った所に二本松歴史資料館を見学、この資料館出展リストもあり、涼しく休憩がてらのんびりできた。その近くに大手門跡があり此処からは二本松駅が近い、城下町らしく和菓子屋が多い。
少し遅れましたが13日から27日まで両国国技館での9月場所の番付が先月31日に発表になりました。
今場所の特徴は栃ノ心、幕下55枚目まで怪我で落ち今回三役復帰した。普通三役まで行った力士は途中で諦めて引退するがよくぞ頑張った。そして頑張っている。
高砂部屋の唯一の関取朝赤龍は24年11月場所以来の17場所ぶりの幕内復帰。足の怪我がなければ大関もと言われていたがこの所十両に定着、十両相撲で諦めていたが本人は諦めていなかった。まずは勝ち越して幕内定着をしてからおめでとうを言いたい。
おめでとうと言えば早く言いたい朝弁慶、名古屋場所は元十両力士などに勝ち4連勝、優勝かと勝手に思っていたら3連敗となる。今場所の番付は幕下東筆頭で今場所も十両や元十両との対戦が組まれるだろうから厳しい相撲が続くだろうが27日千秋楽ではおめでとうと言いたい。
毎月第一金曜日14時30分から私的には恒例になったイベントです。7,8,9月と藤沢周平作品で今回は殿様の毒見役の主人公が食事の中
妻は病気平癒の祈願の為お寺さんへ。しかし盲目になってから一層音、匂いなどに敏感になり妻に男がいると感じ始める。主人公は藩から今まで通りに治療に専念し家禄も減らない沙汰を受けている。
妻は主人公の上司に盲目になったが今まで通りにと嘆願をしたが女癖の悪い上司に手籠めにあってなお何度も呼び出されている。主人公は友人に自分の沙汰の経緯を調べてもらったが上司の口添えは無く殿様の一存だった。
妻は夫の為に身を投げ出したが妻を離縁してその上司と盲目乍ら果し合いをした。・・・・・
武士の世界の中の夫婦の愛情の物語です。65分。今回も中村昇氏の名調子が冴えわたる。参加料500円
9月3日(木)
早朝より小雨が降っている喜多方駅始発に乗っていると昨夜の居酒屋のママが暖かいおにぎりを列車まで持ってきてくれた。喜多方駅前にはコンビニがなく市役所の方へ行かないとないらしいのは昨夜聴いていた。ビジネスは朝食を食べていると始発の6時10分に間に合わず郡山で朝食にしようと思っていた。会津の人は本当に心優しい。
6時10分発はそのまま会津若松で乗り換えないで郡山まで行けます。車内は高校生で一杯。この列車とその後の列車に乗らないと学校に間に合わないようです。車内で聞く方言もまた良いものです。
郡山では東北本線下りで二本松へ向かうが時間があり喫茶店で煙草休憩し二本松駅へ。もう朝の雨が嘘のような夏の日差し、二本松城は駅から坂道をひと山越えてそこから山城の二本松城を攻め入る。300m代の山の上は石垣だけのお城で麓の箕輪門を入った広場は菊人形で有名な所です。
石垣を組み直した場所や昔から石垣と楽しんで今度は当然下りながら遺跡や滝、戊辰戦争の時の悲しい少年隊の碑、落城の際の藩士自決の場所など地元ゆかりの智恵子抄の碑などを見乍ら山を下りる。
麓の箕輪門内では来月の菊人形の会場設営が行われている。駅に向かう為坂道を登り降りたところに歴史資料館があり見学、館内は涼しく気持ちが良い。
二本松駅に戻り東北線上りで郡山で乗り換え白河へ。一昨年に来た時は東日本大震災で石垣が崩れ中には入れなかったが工事はまだ行われているが天守代わりの御三階櫓には入れました。
隣の集古苑で「大定信展」が開催中で白河城藩主で寛政の改革で有名な松平定信の絵、書、茶道具、笛などを展示しています。政治家だけでなく文化人としても凄かったようです。
白河から帰途に着きますが身体はもう暑さと二本松城の攻め入りで足もバタバタで帰りは青春18きっぷの残りで帰りましたが途中早く帰って風呂に入ろうと新幹線にしようかと弱気になったりしましたが6時には我が家に到着。(了)
別名 あやめ城
構造 平城
天守 御三階櫓 平成6年木造復元
城主 溝口氏
遺構 櫓、門、石垣、土塁、堀
文化財 重文 表門、旧二の丸隅櫓
再建 御三階櫓 辰巳櫓
1581年新発田重家が上杉景勝により落城。
1597年上杉氏会津転封により溝口秀勝が6万石で入封。
低湿地が多く治水も困難であったが溝口氏は先進的な治水工事を導入して土地を豊かな水田に変えていった。
復元された御三階櫓は十字型の平面を持ち鯱が3つ乗る珍しい形です。但し自衛隊の基地にあるため内部は公開されていない。本丸表門、二の丸隅櫓が現存、再建辰巳櫓も中に入れる。忠実に復元しているため階段は現存天守のお城のように急で背中のバックは引っかかる。
駅近くの清水園は国指定の名勝庭園で旧新発田藩下屋敷で前には足軽長屋、武家屋敷などがある。清水園は当日誰もいなく開け離れた部屋は風が通り汗ばんだ身体に気持ち良く昼食時に呑んだ日本酒もあり畳の部屋でごろんと池を見乍ら午睡をしてしまった。
新発田駅から城までは直線で2Kと言う事でしたが途中郵便局スタンプをしたり初めての所で30分位は掛かった。
9月2日(水)
東京7時発とき303号で新潟に向かう。東京駅新幹線ホームには北陸新幹線、東北新幹線、秋田新幹線など久しぶりに沢山の新幹線を見た。新幹線はあまり好きでない私でも特に2階建てマックスはもう一度乗ってみたいと思った。
JR東日本の新幹線は全車両禁煙で喫煙コーナーもなく、車窓はトンネルが多く全くつまらない電車ですが1泊で新潟、福島を廻ってくるにはしょうがない。
時間通り8時59分に新潟到着、新発田へは白新線9時45分発の為約50分あり、まず郵便局へ貯金スタンプしとりあえずタバコタイム。
新発田へは新発田城を攻め入る。魚屋が経営しているお店で昼食、刺身定食は美味しそうな刺身で思わず越乃寒梅を戴く。花嫁の絵で有名な蕗谷虹児記念館,駅近くの新発田藩の下屋敷清水園などを見学。
お城は戦争中軍の基地になっていてその後も現在まで自衛隊の基地になっているという変わった城址で天守代わりの忠実の復興された御三階櫓は自衛隊基地内で残念ながら中に入れない。
蕗谷紅児は新発田の生まれで花嫁の絵有名で女性雑誌に挿絵を描いて人気の画家。世に出るきっかけは蕗谷の絵を見て竹久夢二の紹介だったようです。藤田嗣治との友好、絵を気に入った三島由紀夫の挿絵なども手掛けたそうです。
その他にゆかりの人は堀部安兵衛や明治大正の実業家大倉喜八郎がいます。喜八郎は新発田に自分の工場を操業したり街に多大な寄付をしたそうです。
渋沢栄一と共に鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを創設、ホテルオークラ内にある大倉集古館は日本初の私立美術館。私の趣味でいうと九州鉄道、山形鉄道、北陸鉄道などへ出資参加、現在は名前が変わったりしているが大成建設、千代田火災、日清オイリオ、東海パルプ、サッポロビール、日本無線、富士銀行など多くの企業に参画。
新発田から上越本線で新津、そこから磐越西線で喜多方の泊り。喜多方では昨年食べそこなった喜多方ラーメン発祥の元祖のお店で戴き夜飲む予定のお店近くの銭湯に入浴と予定していた。
残念ながら元祖のお店は2日続けて休み、銭湯は廃業。湿度が高くべたべただったがビジネスのシャワーで我慢。昨年お世話になった居酒屋で地元のお酒で常連さんと再び盛り上がる。
本来は8月に行くつもりだったのだが夏風邪で延期になりました。早朝の新幹線で新潟へ、そこから白新線で新発田城、羽後本線で新津経由で磐越西線で喜多方泊まり。
翌日は会津若松から大内宿か郡山から情けない殿様がいた二本松城へ攻め入って帰途時間があれば白河城へも。今回も一人旅で行程はラフ。
本来は秋田、山形から日本海側を南下して新潟から帰宅と言うコースになるのだが。まだ体調は万全でないので長袖、蒸し暑いか半袖?小雨もありそうなので家の鉢の水やりの心配がないのが良い。
ブログはお休みします。
今月の絵は渡邊絵美里氏の水彩展という銀座ギャラリー枝香庵での今年春の個展で購入した新しい絵です。彼女の絵は1点持っていますが此れで2点目。
作品の下に作家本人のコメントが
「一人足りなくなり六福神。誰かが招き猫を足して七人に?なりました。お目出度いもの同士ですから良いかなと思います。これは古いもので、いつからあるのか解りません。」
淡い茶系統一色に招き猫の白、赤、黒があるだけのシンプルですが古いものだからぼやっと描いたのか個人的には落ち着いた感じで好きです。また七福神も正月には必ず散策がてらに廻る恒例行事。ただ淡いためどれが無くなり招き猫になったか解らない。
この作品はその前の別の方の個展の作品を引き取りに行った日が丁度個展の初日だったようでざっと拝見させていただきこの作品を購入となりました。
購入してから大分経つが今回初めて梱包をほどいた。どうも私は購入するとそのまま積み上げてしまう。
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S | M | T | W | T | F | S |
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