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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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 ここのところ、土、日曜日の休みになって、出来ないが、郵便局のスタンプ集めを長くやっている。旅行に出るとテレホンカードを自分のお土産としていたが、ある時期、会社の上司にテレカでなく郵便局のスタンプの方が日付も入り、その地方地方によりスタンプのデザインも違うしなんといってもお金がたまる。

趣味と実益を兼ねられると言われやりはじめた。仕事も外に出ることが多かったこともあり、仕事途中の息抜きに1000円づつ貯金を始めた。
 日本には、2万6000局の郵便局があり全部押せば2千6百万円になる、勿論無理だがこつこつ貯めていこうと思っている。

そして、仕事でも来月あたりから平日休みになれそうなので、スタンプは多くなるだろう。仕事がうまくいかないとき気分転換で始めたスタンプ集めがいつの間にか趣味になってきた。これからは、仕事でうまくいかない気分転換でなく楽しくスタンプ集めをしたいものだ。
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このところ、梅雨前で毎日暑い日が続いている。夕立程度では、草花の鉢物は、一日水をまかないとしおれる。特に、アジサイは、すぐ、助けてと叫ぶ。ごめん、ごめんと謝りながら水を蒔くとすぐ元に戻る。たまに、液体肥料や置肥をやると結構素人ながらきれいな花を咲かすし元気になる。人間も毎日の体に対しての栄養以外に心と頭の栄養も取らないと葉っぱだけできれいな花が咲かない体になってしまうのだろうか。
 全日本プロレスの高橋さんからTELがあった。用件が終わり荒井さんの話になりとても責任を感じているようだった。本当のことは、解らないが、興行の世界は、ドロドロしているようだ。陽のあたる場合は良いが、なかなかそうはいかない。まして、若い人が相手で、業界自体が分裂混迷して、スターが少ない、ライフサイクルが短くなる。選手もリングは、派手だが生活は、結構慎ましやかにやっているそうだ。サラリーマンのほうが、派手な生活ですよ、と高橋さんがさびしそうに呟いた。
 
 先日FMWプロレスの荒井社長が自殺した。東京テレシアター開業の際、杮落としが大仁田厚選手率いるFMWだった。人気も若い人にあり大入りになった。人気絶好調の時で東京では売り興行はしないということだったが、若松親方の紹介ということで一発OKだった。営業本部長の高橋常務が仕切っていた。荒井さんは、リングアナウンサーでとても社長をやる感じではなく、大仁田さんが辞めた後、当然、高橋さんがなるものと思っていた。それが、高橋さんは、独立しその後馬場さんの全日本に行き、荒井さんがやらざるを得なかったようだ。なんだか、運命なのか、もう年賀状のやりとりができなくなった荒井さんの死をとてもかわいそうに思う。
 旧若松部屋での朝稽古、あんなに厳しい稽古を見たのは初めての頃、気絶して汗と鼻水と涙が砂まみれの子が、稽古終了後、シャワーを浴びて親方と関取、我々お客が最初に食事がとれるのだが、その子が後ろに立ってビールをついでくれたり無くなりそうなチャンコのお変わりをしてくれたりかいがいしく立ち働く、今まで気絶したのが嘘だったのかよと思うぐらい元気に動く、早くやめて帰らないとこの子たちが食べられない、昼寝もできないとせっかくのチャンコだったが申し訳なくなって1杯で止めてしまったのが最初のチャンコだった。
 相撲場の稽古風景は、若松部屋しか知らないが、朝早くから若い衆が汗みどろになり明日の関取を目指している。入門したての15歳の少年がぶつかり稽古をしている場面は鳥肌がたつ。疲れて足取りもフラフラ、まだまだと胸をだす先輩に向かっていく、倒れる、また立つ、そのうち、気絶する、水をかける、またぶつかる、泣き声をだしフラフラでぶつかる、延々と続く、もうやめればと誰も言わない、ここからが、本当の稽古だという、まだ、本来なら学校へ行っている時期だし遊びほけてる年齢だ。私も、何かで悩んでたり、仕事で行きづまったりした時、こんな15歳くらいの子がこんなに頑張っているのにと、自分を励ますことがある。テレビだけの瞬間の相撲にはこんな苦労があるんだと思う此の頃である。
陶芸にはまって5,6年が経つ。土と炎の格闘技と称されている。作品は、世界で1つであり同じものはないし焼き上げたものは何万年も残る。安い粘土を捏ねて、上の部分を成型が終わっても下はまだ柔らかいので茶碗なら高台は後日になり、下を成型し1週間乾燥させ700度で1日素焼きさせ、その後釉薬をつけ1200度位で24時間本焼きをして出来上がる。勿論、釜は電気かガスで登り窯で松でなんて出来るわけがない。1つの作品でも最低3週間はかかる。時間も金もかかる。出来た作品は100円ショップの陶器のほうがカッコも良いし軽い。どうだ良いだろうと妻に見せても関心を示さない、なまじ、関心を示せば我が家の食器棚に入れさせられることを心配している。重い、重ならない、大きい
我が家では、料理を作る人、洗う人は妻であり、私は、ただ食べる人だから。そして、我が、世界で1つの作品は格納庫入りとなる。
三遊亭小金馬師匠は、テレビに出ない(本人が断っている訳でない)ので大看板の小金馬というと大半の人がお笑い三人組の現金馬師匠を思うらしい、私も最初はそうだった。
古典落語一筋で最近は、落語を知らない私でも面白くなってきたが、最初は、真面目過ぎてあまり面白くなかった。師匠は、色紙に必ず馬の絵を書き酒の俳句を一句添えてくれる。本人は、そんなにお酒は強くないけど好きなんだそうです。独演会(今年も6月鈴本)の打ち上げのとき今度、小さん師匠の色紙がほしいといったら、やんわりと断られた。小さん師匠は、人間国宝で、また達筆で大変な人気でなかなか書いてもらえない、以前頼んだら、「お前、こづかい銭が欲しくなったか」といわれたそうです。その位高いそうだ。先日、テレビで訃報が流れたときふっとそんな会話が思い出された。
 
若松親方の話、若松親方と知り合って15,6年経つまだ、現役の大関朝潮だった。気さくな人、腰の低い人、よくしゃべる人といった印象だったと思う。親方の故郷は高知県室戸で海と山があり環境の素晴らしい(悪く言えば大変な田舎)学校から久振りに帰る時、一山超えるそうで、熊と間違がえられないように「俺は、熊じゃない、俺は熊じゃない」と言って帰ったそうです。ステーキじゃないけど親方が初めて高級中国料理を食べたとき店員に俺はよく中国料理を食べているんだという顔をして「ドナルドダック」をと注文しこのドナルドはうまいんだ。はじめてのデートの時相手の人に言ったそうです。女性は、解らなかったそうですが、店の人は、「ハイ、ドナルドです」と運んできたそうです。以来その店では、親方に対しては、北京ダックでなくドナルドになっているそうです。今は、もう勘弁してもらったそうですが。がんばれ親方
初めてステーキをちゃんとしたコースで食べたのは、今から34,5年前の那覇の国際通りのレストランです。その当時、返還前でUS$が360円の時代でした。国内持ち出し500$という制限がついていました。何人かで沖縄に行きステーキハウスへ入りすごく緊張してメニュー帖から華麗なる英語でサーロインステーキを注文した。みんなにも、自分にも、スープがきてサラダがきてサァ、イヨイヨステーキだ、ジュート音がしながらウェーターが運んでくる、ステーキだ、うれしいーな。隣の人にT-ボーンステーキがさぁ次は僕のだジュート音を立ててきた。僕の前に!  「アァー」違う、僕の前には、ピンクの大きな切り身が! これは違う、僕は、一生懸命説明した、ウェーターは、そうですかと戻ると今度は注文したウェーターが来た。変な日本語でアナタハ、サーロインでなくサーモンステーキと言ったという、僕は、サーロイン、サーロインと言ったが彼はそれを聞かない、最後は、アラスカのおいしい鮭だ、あなたは今日最高の鮭を召し上がるのだ、これは、最高だと言う、しょうがなく、ちょっと冷めたサーモンステーキを食べた。僕の英語はなんて素晴らしいかお解かりいただけるだろう。
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