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冷蔵庫にはビールとペットボトルくらいしか入ってはいないのですがこの暑さで冷蔵庫のお茶を飲むがぬるい。そして冷凍庫のロックアイスが只の水袋に、アイスクリームは溶け出していました。
ひょいと見ると小さなパッケージの千疋屋のレアチーズケーキがあり、おやつにと戴きました。千疋屋はフルーツゼリーが美味しいのは知っていましたが、チーズケーキ?
先週戴いたものですがとても口当たりがよく美味しく戴きました。チーズチーズしていなくソースと絡まってとても美味しかった。只もう少し冷えてれば最高だった。
今週乗り越えればこの暑さも一段落だそうです。9月に残暑が少しあるようですが直ぐ秋が来るでしょう。木曜まで何とか我慢すればヒャッコイビールが隠れ家で飲めます。
銀座千疋屋チーズケーキ
http://pa.ginza-sembikiya.com/fs/sembikiya/c/rare-cheese-cake
申し訳ございません続きはありません。
ブログ書式が変わっていました。勝手に出てきます。直しが解らず。
そんな条件をつけ12日までにモデル案を作っておくという事で解散。12日は東京ドームの巨人広島を見に行く事になっています。今年初めての野球観戦です。塚ちゃんは巨人フアンですが私は今は好きな球団は有りませんのでまぁビアガーデンと思って行きます。
さて現存する天守を持つお城は12ありますが今回備中松山城へ行けば後は福井の丸岡城だけになります。丸岡城は行く気になればいつでもいけますが備中松山城は城事態は小さいお城でそんなに魅力があるとは思えません。
しかしこの城は日本3大山城で唯一建物があり冬は登れません。城めぐりの基本として城下町を歩き城に向かうのですが今回は峠までタクシーで上がりそこからは約20分位の山登りになります。
年齢的にも前回の四国一周城巡りでも体力の衰えを感じましたのでこの城のためにトレーニングをしてきました。今行かなければ難しくなると思い体力のある塚ちゃんと一緒に行く事にしました。山陽道には工事中の姫路、岡山、福山、広島、岩国などのお城があります。
一度は行っていますから今回はパス予定で岡山から伯備線で備中高梁で宿泊し朝から体力のあるうちに制覇したいと思っています。同じ岡山の津山城は見ただけで入っていませんが今回は塚ちゃんが行った事がないというので山陰方面にと考えています。
山陰は12のお城のうちの1つ松江城がありますが今回は行けるかどうか。出雲の一畑電車にでものれれば、肝臓強化の為しじみでも食べるかなぁ。
今週は時刻表と首っ丈の1週間になりそうです。その外にかみさんと日帰りの信州の上諏訪温泉に入浴も検討しなければ。
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今日のバロン
玄関の靴箱の上に日本書鏡院の長谷川耕生先生の書と大昔買った妻籠の番傘とポーズ フォト ままりん
格闘探偵団バトラーツというプロレス団体を知っている人は相当マニアックなプロレスフアンです。1996年藤原組から若手選手が全員離脱して若頭の石川雄規を中心として結成されたプロレス団体です。
此処のスタイルは俗に言う「1,2,3カンカン」のフォールカウントがなく、蹴り、関節技を中心の「パチパチスタイル」です。ですからリングから降りて凶器を持ったりリング下での大暴れはありません。ギブアップが多い試合です。
いつ関節技がかかるか目を凝らしてフアンは見ています。歓声もそんなにありません。初めての人は他のプロレスと比較して異様な空気を感じるはずです。
当初は後楽園ホールをやるたびに満員が続き旗揚げ2年目で異例の両国国技館で興行を打ち大成功を納めた伝説の団体です。
そのバトラーツも現在道場を維持することも難しくなり11月に15周年記念と最終興行を行う事になりました。私は藤原組時代から仕事でお付き合いしてその後はプライベートでたまにお会いする程度です。私が伊豆に居る時は全員で宿泊だけするためにわざわざ来てくれました。(名目は合宿)
昔はプロレスなんてと思っていましたが知ってくると中々奥が深く難しい興行、選手個人にも厳しい世界だと思うようになりました。練習、稽古は大変ですが終了すれば和気あいあいの若者集団です。
先週石川君に偶然会い、大森で格闘技が好きな正助市場の荻野社長にポスター、チケットの依頼され祭りで忙しい中昨日行ってきました。ちょっと先ですが11月5日(土)新宿FACEでの開催。近々に石川君とまた正助市場で一杯の予定。
まだ予定ですが藤原組長始めアレキサンダー大塚、ミノル、チョコボール向井、タカなど昔の名前の人も見えるようです。メインイベントは誰だ?
http://ishikawayuki.blog.players.tv/
昨日は避暑第二弾でママリンの同級生が出展している第6回チャリティーポストカード展へ濡れ落ち葉の如くついて行きました。場所はJR原宿から程近いところです。
夏休みと土曜日が重なり多くの若者が出没、夜に神宮の花火大会があるので浴衣姿の人も多くいました。私にとって原宿は浮世絵の太田記念美術館と明治神宮の為しか降りない駅です。
真っ直ぐ歩く事も出来ない位の人で尚且つ皆さん特に目的もなくキョロキョロとして歩いていますから余計のんびりな歩きになります。私達は避暑が目的でありますから炎天下で汗は出したくないのですが。
160名のアーチストが描いたイラストがポストカードになっていてそれを購入すると1枚に対して30円がチャリティーされるそうです。アニメキャラ的なものが多くマンガを見ない私には新鮮で可愛く描かれたり戦闘モードのキャラなど楽しく見させていただきました。年寄りですからこの手のものは水森亜土さんのものに見えてしまいます。
ポストカードは展覧会、旅先で購入するので使い切れないほどあります。今回はチャリティーということでハガキでなくポスターを購入しました。なぜこの絵(おがさわら・きょうこ)かといえば列車が描かれていたからです。
中庭で冷たいビールを戴きかみさんは神宮外苑花火大会へ、私は待ち合わせの大森正助市場へと別れて帰宅しました。
このたびの震災チャリティー関係では色々声を掛けていただいていますから区内のコンサートや物産購入など出来る範囲で協力はしていますが、、、、、
その地震、津波、原発の東日本大震災の日赤への寄付金は中々配布が出来ず本来の独立組織の日赤に厚生労働省が介入しとりあえず一時配布をしました。
3000億円といわれる寄付金は3ヶ月経っても全体の15%しか配布していないとの報道を記憶しています。その後の報道は私が見落としているのか解りません。もうすぐ5ヶ月です。
義援金はルールに基づき15都道県に配布され、その後市区町村を通して被災者へ届くようです。市区町村によっては村ごと無くなり臨時役所を設け職員も少なく事務処理も大変なんでしょう。
マスコミも当初は寄付金は当社へお贈りください。そこから日赤にと報道していました。今は殆ど放送内の告知はなく、芸能人等の慰問を放送するだけです。外国から国内から集めた寄付金はもう日赤へ渡しましたからでなくその後の追跡、実績も報道するのが筋ではないでしょうか。
知り合いがいる人、友好都市、同業者関係、芸能人の慰問などは直接その人、地区へ義援金、物資として届きますから時間的には早く、その目的も達成しています。
しかし多くの国民は寄付金と支援金の区別を知らずテレビなどのマスコミの広報から金融機関を通じて寄付をしています。まだまだ復興には長い期間が必要ですから一回だけでなく多くの人が寄付金をするでしょうからその後の経過も是非やりっぱなし、流しぱなしでなくマスコミは報道して欲しいものです。
なんだ集めただけで中々被災者に届かないならといった気持ちが出れば経済状態も悪く、増税もありますので最初の意思が段々弱くなっていきます。
昨日横浜そごうへ行きました。ウロウロしていると地下の階で神奈川県のグルメ的な催しがやっていて鎌倉小川軒のレーズンサンドを買いました。袋に包んでもらっていると普通の半分くらいの大きさのロールケーキがありましたので何となく見ていたらお姉さんの60本限定、もう直ぐ無くなります。の一声で一緒に買ってしまいました。
どうも限定、もうすぐ無くなるの言葉に弱い私です。三人で食べて丁度良い大きさで皮はふあふあ、中の生クリームもしつこくなく大変美味しく三人共満足でした。
レーズンサンドは目に付けば必ず買います。とても上品な味でレーズンの歯ごたえも気に入っています。ロールケーキは初めてでした。家族がいなかったら多分ロールケーキは全部食べてしまったでしょう。折角週2,3のトレーニングをして体重も落ちていますから、1本食べてたらまた大変な汗を出さなくてはならない所でした。家族って居てくれてありがたいなぁ。
鎌倉小川軒
http://www.ogawaken.jp/
今日のバロン
ちょっと今日はムシムシ、バテ気味です。
密乗院
真言宗智山派 山号は海光山 寺号 大森寺
承久年間(1219-1222)真栄が開創したと伝えられる。墓地には大森干海苔を考案したという野口六郎佐衛門の墓、明治初年に当寺で私塾を開きその後貴船、寄来小学校校長を歴任した山口琢磨の遺徳碑、2基の庚申塔、16基の板碑がある。板碑は大田区では鵜の木の光明寺、馬込の万福寺に次ぐ青石塔婆と呼ばれる。
三輪神社
享徳年間(1452-1456)住民が土地開拓の神として大国主命を祀り第六天社(この地域ではデイロクサマと呼ばれる)が創始と伝えられています。
天正4年(1915)7月に貴船神社、天祖神社などを合祀してこの地区の鎮守となった。祭神は大国主命、天照皇大神、高麗神、菅原道真、元別当は密乗院。神社の威容は高まったが戦災により全焼しました。昭和27年に新築され祭礼は10月の第一土日に行なわれています。
境内には海苔の養殖に貢献した北村石見守を祀った北村神社がある。
社によるとこの地域は徳川期以前すでに大森周辺は武蔵野国大森と総称され堀の内はその字で今日まで伝承され住民に親しまれてきました。堀の内という地名は「館」に壕を巡らせた地名だけに与えられるもので此処は北条時頼の時代(1247-1259)に陣屋の旧邸が有ったとも言われています。
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怒っているのか不満なのか変な顔をしています。
バロン(猫の名)は、私が昨年秋に四国へ行っている間にかみさん、娘で共謀して買ってしまった猫です。
自分達で買ったのに何時のまにか私が餌をやることになってしまっています。動物を飼うのは私は賛成できなく、子供にも小さい頃は休みのたんびに動物園に連れて行き動物は専門の人がいる動物園で飼うものだと教え込んでいたのですが。
案の定、娘は会社、かみさんはお稽古、コンサートと称し外出が多く結局私が餌やり係りに。飼えばそれなりに可愛くなります。それは最初から解っていました。まだ、1歳にならないのにこんなに大きくなった。それはパパが余計に餌をやりすぎるからだ。と猫が大きくなった事に対して非難が集中。
可愛そうなパパはしょうがなく10才用の餌を買ってきました。そしたらまだ1才にもならないのに老人用の餌を買って来たと非難が集中。老人用は低コレステロールで良いじゃないかと反論も2人に負け。
猫までがこんな老人用かと言った顔で私を見ています。トホホ
二人とも同時期の生まれで共に曾山幸彦に学び共に現在の芸大の教授になり後進の指導に勤めたようです。そして二人とも人物画、風景画を多く描き特に女性美を追求した婦人像に定評があるようです。私は良く解っていませんでした。
藤島武二、岡田三郎助ともに絵画だけでなく藤島武二は与謝野鉄幹の発行した雑誌明星の表紙、晶子のみだれ髪の表紙なども書いています。また岡田三郎助は三越呉服店のポスターなども手がけています。また岡田三郎助がモデルに着せるために収集していた着物や藤島武二の黒田清輝への手紙なども展示されています。展示点数100点、9月4日まで開催。
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上の切手は岡田三郎助の代表作「あやめの衣」今回は並列して各絵画の下絵も展示されたりデッサン、スケッチなども多く展示されています。夏休みなので学生が真剣に注釈を写していたりお客もそんなに多くなくゆっくり見させていただきました。
このまま帰ったら暑い中帰ることになるのでちょっと咽喉を潤そうとレストラン街に行きました。かみさんは「美々卯」のリクエストでしたが待ち時間になっていました。そこで何処にするか歩いていると良い匂いが鼻をつきます。お腹はグゥーとなります。うなぎの匂いです。この匂いは岡田三郎助のポスターより、名人の呼び込みより強烈です。竹葉亭に決まりました。
久しぶりの横浜そごうです。かなりリニューアルされています。何はさておきビールにおしんこです。ゆっくり飲んで此処の蒲焼で夏バテしないように精をつけさて、館内のギャラリーでもう一つ猫の絵を見て、「日本の職人芸展」を感嘆しながら見ました。本日のデパート避暑の一日は終わりました。
美術館にも一寸したカフェはありますが横浜そごうやホテルニューオータニみたいなゆっくり一杯のめるところはあまりありません。本来の目的を逸脱していますが専門的なことも解らず見ているだけの素人にはちょっと一杯出来るのは良いですね。
横浜そごう美術館
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/
NHKのリリースから
第二次世界大戦後、焦土からの復興は庶民の底力が成し遂げた。彼らの力の源は家族、そして地域の絆。
昭和20年焼け野原化した東京蒲田 復興、そして昭和の奇跡の経済成長を支えていく名もなき人々に寄り添って命を守る医師になっていく女性。
跳んで失敗して笑って泣いて、いつも家族、町の人々の笑顔が溢れている。震災から1年、24年度の連続テレビ小説は地域医療に生きようとするヒロインのひたむきで賑やかな日々を描き出す。
現在歩いている大田区、そして住んでいる蒲田が舞台だそうです。朝の連続テレビ小説は殆ど見たことがありません。そしてこのドラマには苦い想い出があり余計見ないのかもしれません。
若い時専務がお昼の食事も終わり、ちょっと急いでいた稟議書に判を貰いに入ったら昼からの再放送を見ていた。ぶつぶつ文句を言われ稟議書をバインダーごと投げられたことがあります。
その方はそのドラマを毎日楽しみにしていたそうです。テレビを見ているのは知っていたが月に数度しか来ない社長の印を取る為社長が来る前に処理をしておけとの指示で行ったんですが。
さてやっていただくのはありがたいですがNHKドラマですから全国で多くの人が見るでしょうが、さて、多くの人が蒲田へ訪れる観光目玉は?ヒロインの女子医専は現在の東邦大学(昔女子医専)だとまだ良いのだが。梅屋敷じゃ東京の人には良いが交通費掛けてくる所じゃないし。さて。
ドラマは震災から1年経った24年4月から、現実はどこまで回復しているんだろうか。
NHKリリース
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/87236.html
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