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以前宇都宮で餃子をはしごした話でグルメ通の友人から餃子を食べたいというリクエストがありました。彼は余り我々下々のB級の食事でなく少し上のグルメ通。
彼はコンサル会社の社長で、某大学の経済学部と大学院の先生をしています。経済学を教えていますが私からするとどうもご自身は生活の中で不経済学をしていると良く誂う。そんな仲です。
私は宇都宮や浜松の餃子をわざわざ電車賃を使い、食べに行くには?蒲田の餃子で充分だと言ったので蒲田で戴く事に。
その日私は2時頃JR田町駅近くでお茶をしていたので田町で待ち合わせ。蒲田のお店は昼以外は夕方になりますので取り敢えず昼間飲めるところという事でなぜか銀座へ。
大きな餃子で有名な銀座一丁目の天竜、蕎麦屋など彼は考えていたんでしょうが、私がその前にその日から始まる井上よう子展を見たいと行って並木通り「枝香庵」へ向かう。
相変わらず独特の青を基調とした絵が並んでいます。1枚小品で好きな絵があったが売約済になっていた。此処まで来たのでビアホールで時間つぶしに飲むことに。
ピザを頼む、私は何故かビアホールだとピザがあると頼んでしまう。彼から此れから餃子でしょと言われてしまうが、飲んでいるうちに彼もソーセージからローストビーフを頼んでいる。(おいおい、餃子だぜ。)
4時過ぎになり東銀座から京急蒲田駅へ、まずは羽つきで有名になった「ニイハオ」へ、本店は開いてなかったので近くの別館へ。準備中だったが入れて、まず生ビール、焼き餃子と水餃子を戴く。
3軒行くつもりで此処を出ると大雨、隣のコンビニで急遽傘を購入。本来なら向かい側の「来富市場」でしょうが彼は餃子の王将も行ったことがないとのことで少し歩いて東口商店街中央の餃子の王将へ。
この大雨のためラッキーな事に待たずに入れたがかなり混んでいた。生ビールと焼き餃子1枚戴く。230円という値段に驚いている。ここの餃子が一般的な味のもので出来立てだからそれなりに美味しい。
JR蒲田駅横の大田区役所奥の「歓迎」へ此処ではチュウハイに焼き餃子を戴く。此処も羽根つき餃子。私のお腹はもうパンパン。この大雨でも待ち時間になっていた。
今日は昼酒から夕餉まで飲んでしまった。グルメの友人は満足しただろうか? この所夜のお酒はあまり飲まなくなった。やはり年寄りは昼酒がちょうど良い。
今日でプール授業が終わりました。6月後半から9月半ばまで期間としては夏休みを入れて約3ヶ月。勿論、毎日でなく特に夏休み期間は数回しか行きませんでしたがやはり長かった。
そして一応事故もなく終了できた事が何よりでした。私の担当日ではなかったですがふざけ合って滑って頭を打った子供もあったようです。特別何もなかったようですがやはりその後は緊張した日々が続きました。
今年は特に暑く帰るとシャワーを浴びて目薬をつけます。勿論行く前、寝る前も点眼します。大体夏で1本なくなります。シャンプー、ボディソープも普段の月より多く消費します。
今日は散髪しマッサージへ行き体のケアをして来週からは自分のトレーニング再開です。事故なく終了が何よりでした。
土浦城見学から友部駅で乗り換え笠間駅へ。水戸線は接続が悪く良かったか悪かったか30分位の待ち時間があり駅前の一軒の食堂だけ開いていて遅い昼食を戴く。
笠間駅は有名な笠間稲荷、日動美術館、笠間焼などで笠間城址へ行く人は全くいない。城には何もない。石垣程度である。しかし、この石垣が関東では珍しいのです。
駅から真っ直ぐな道を歩き、笠間稲荷神社と別れひたすら笠間城址公園(差白山)へ向かう。帰りには日動美術館でも見学しようと思いながらひたすら汗びっしょりなりながら歩く。
笠間城は承久元年(1219)笠間氏が築城した山城で笠間盆地の中央に聳え全山うっそうとした樹木に覆われています。遺構はほとんどなく空堀、土塁で関東では珍しい石垣が多く残っています。
山城と言っても182mですから軽く考えていました。駐車場から出てきた地元の人?と途中会い、せっかく遠くから来たのだから、なだらかな道でなく、昔の石段などが残っている所を案内してもらいました。その方は山の中で食事をするのが好きだそうです。
そこから別れ頂上を目指し、佐志能神社まで急な石段を登り何とか到着。もう途中の石段、石垣は東日本大震災で壊れ、崩れています。立ち入り禁止になっていましたが石段を登りました。佐志能神社は完全に崩れ、周りをブルーシートで覆われています。
塀として囲っていた多分天守の瓦を使った塀も崩れています。その神社裏には大きな石がたくさん積まれています。そこも何とか乗り越えここから先へ降りようとチャレンジ。
下に降りたら昔、舗装された道へ出てどっちへ行って良いのか解らないですが取り敢えず右に行く。上からは大きな石が木で一応止まっていますが一寸した揺れで落ちてくる心配があります。
まだ夕方前ですが空もだんだん曇り、周りが暗くなってきました。道には落ちた木かと思ったら蛇だったり、訳のわからない電気もないトンネルがあったり顔から蜘蛛の巣に絡んだりと中々下におりられません。
登ったのは20分位なのにもう1時間近くは歩いています。空も暗くなり集中豪雨も心配、中々降りられず、人もいない。ただ携帯が使用可能なのがちょっと安心
やっとこ栗林を超え下の車が走る道に出ましたが、手を挙げても車は止まらず、民家がないかまずとことこ歩く。あっても声をかけても出てくれない。ここでも30分以上歩きやっと民家から人が出てきたのでタクシーを呼んでもらった。
乗れば15分くらいで笠間の駅に到着。駅まで歩く元気もなくタクシーに待ってもらい途中の笠間稲荷神社参道でクルミ入りおいなりさんをお土産に。お稲荷さんは遠くから参拝したことに。
駅で汗ビッショリのシャツを替え、頭の蜘蛛の巣などを払い、顔を洗って帰宅の途に。予定より2時間以上遅れました。
どうもこの所自分で勝手に決めて思い込みで歩き無駄な散策になる。今回は雨が降らなかったので良かったが危なく遭難の危機でした。やはりパワースポット笠間城恐るべし。
この時のパンパンの足は未だ弁慶の泣き所、太ももなど押せば痛い。
10日で切れる青春18切符の1枚残りを何処へ行こうか悩みましたが日にちもなく取り敢えず、近場の土浦、笠間の城址公園にしました。
土浦は常磐線で2時間もかからず到着できます。霞ヶ浦近くの低地に位置する土浦城、ここも輪郭式の平城で何重の堀と土塁で巡らせたお城だったようです。
太鼓櫓門の遺構に東櫓、西櫓の再建もあります。また東櫓は2階建てですが中を見学ができます。たった2階ですが駅から20分くらい歩いたのでちょっとした風も心地よかった。
西櫓近くには土浦市博物館もあり昔の栄華を見ることができます。
博物館で食事処を案内してもらったが全く反対の方向へ行ってしまい、時間は食うし食事もできずトイレは行きたいし途中見学しようと思っていた蔵屋敷なども見れず何とか駅に行き電車に飛び乗る。
最近こういうことが多く、方向感覚は狂いっぱなし。これがそのまま次の笠間城で往生することになります。
今週日曜日から9月場所が始まります。行司&呼び出しの会の幹事さんから朝稽古をみたいということで募集をしましたが今回の参加は5名でした。
相撲の話をしながら一杯飲むのは良いが日曜の早朝に両国集合では、や~めたになるんでしょうか。飲んでいる時は結構盛り上がったんですが(写真の小さい力士が幕下8枚目朝天舞、手前の大きい力士が幕下34枚目朝弁慶)
当日はオリンピック招致決定の日で両国駅では号外を配布していました。久しぶりの号外を戴きました。
高砂部屋は本所4丁目にあり、もう若い人がぶつか稽古をしています。元朝乃若の若松親方が熱心に指導をしています。幕下の朝天舞、朝弁慶、この3月入門した朝西村の三人が熱心に稽古をしています。
稽古後ちゃんこを戴き、記念撮影をして旧安田庭園、国技館内相撲博物館、回向院、旧吉良邸跡などを見学して解散となりました。皆さんはご満足頂いただろうか。木村朝之助、呼び出し邦夫両君もわざわざ出て来てくれて色々気を使って戴きました。
追伸
色々試行錯誤していますが何とか写真は出ましたがサイズの編集がまだ出来ませんがお許しを。
久しぶりに会社時代の大先輩と京急弘明寺駅から程近い日帰り温泉の「みうら湯」弘明寺店で待ち合わせ。
みうら湯は出来てだいぶ経ち当初は三浦の海洋深層水を売り物にした日帰り温泉施設でしたが、今は黒い天然温泉が売り物になっています。そしてスタッフは女性が多くいつ行っても綺麗な施設です。
女性の目でいつもチェックしメンテナンスをしているんでしょうか。きめ細かな対応も気持ちがいいです。戸塚にお住まいの大先輩とは弘明寺は近くちょうど良い。
私の新入社員時代に教育を受け、その先輩のスタイルで私は最後まで仕事をしました。今の若い人からすれば泥臭い営業と言われるでしょうが此れがまたフェイスツウフェイスでお客様から信用もでき、何処に異動してもそのお客様たちは応援して戴きました。
歳を取るとどうしても昔の話になり懐かしく、美味しいお酒で和やかな時間を過ごせました。結構飲みましたから風呂は残念ながら1回だけでした。楽しい時間でしたが帰りの弘明寺の坂が飲んで帰るといつもつらい。
まもなくプール授業も秋風と共に終わります。そんな中、帰りがけ、生徒から先生息継ぎが出来ました。級が上に上がった。と言う報告を貰う事が何度かある。
大体女の子が多い。ありがとうございました。と言われると何となく嬉しい。男の子は恥ずかしがり屋なのか全く聞かない。
水の中に顔を浸けるのも出来なかった子、けのびが何度やってもできなかった子、男の子を教える方が多かった気がしますが全くない。
小さい時からスイミングスクールへ行っている子は1年生でかなり泳げる。行っていない子は顔を浸けるのも怖がる。そういう子を何とか恐怖心を取り除き、少しづつレベルアップすると子供もやる気が出て徐々に泳げるように。
今年は夏休みより授業の方が多く毎日行く日が出てくると体力、美術館や旅行の日程が限られて後半は雨で中止にならないかと思うようになっていましたが、生徒から感謝の言葉をもらうとその日一日気分が良い。でも来年はもうこのボランティアは?
今月後半から自己トレーニングの再開の予定です。
没後10年 人間国宝の陶芸家松井康成展が23日まで開催中。笠間に移住し月崇寺の住職を兼ながら窯を持ち種類の違う土を組み合わせて模様を作る「練上」。ひび割れを意識的に装飾模様とした「嚼裂」(しょうれつ)、像裂、破調練上など練上技法を追求した作家です。
私の最高齢のお友達のGさんのお兄さん、故田村耕一さんのお弟子でもあり田村先生も人間国宝で東京芸大の教授でもあり、今年は行っていませんが毎年のように佐野市の田村耕一美術館へGさんと行ってました。
私は陶芸をやらなくなって10年以上経ちますが練上と聞くと私は初歩のたたら作り程度位しか解りませんが出展作品はどうやって作るのか解らない、素晴らしい作品ばかりです。
今回Gさんは足の問題でご一緒出来ませんでした。大森でお茶しながら報告をしました。
先ほどニュースで東京オリンピック、パラリンピックの2020年開催が決定のニュースが流れました。良かった。おめでとうございます。
中々国民の招致意識が少なかったが、日本人の特性か中々表に気持ちを出さない、間際になってやっとその気持ちが出る。
私は関係者の方が近くにいましたから元都知事石原さんの時代から応援していました。そして今朝決定、良かった。
日本人の特性で中々気持ちを表に出さないと書きましたが、もうひとつ落ちたら悪玉探しが始まるのではと危惧していました。福島が悪いと必ず出てくるんではと思っていました。それがなくなりまして総理大臣が約束した早い収束、安全宣言で2年以上も経ち未だ本当かどうかも解らない隠せるものは隠すという体質の東京電力に変わり国が行うことになり今まで以上に早い処理が出来るでしょう。ただ目に見えない放射能収束は何十年もかかりますから国策として処理してもらいたい。
2020年に決まったら決まったで今度は世界有数の安全都市をうたって勝ったが今度はテロが怖い。開催しなければそんな心配がなかったのだが。考えたら色々有り心配は尽きない。
それにしても安倍さんは本当に運が良い。民主の自滅で勝ち、デフレ解消の日銀とのタッグなど3本の矢の2本はそれなりに結果が出ている。国としての経済政策もいよいよ出てくる。
国際公約の消費増税もやれそうだ。そして経済浮揚にもオリンピックが貢献するでしょう。何はともあれ福島が悪者にされないで良かった。
極道ものの弟に人生を変えられていたが何とか生きていく姉にまた弟は賭場で30両もの借金を作り、姉は女郎に売り飛ばされそうになる。
そこへ桶職人の重吉が助けに入る、8両しかないが今後少しづつ返済すると言うが当然ヤクザは納得しない。重吉は片肌を脱ぎ叩きの刑の跡、手首の入れ墨を見せ自分も堅気でない、約束は守ると脅す。
土手で弟にビシィっと言い聞かせるも弟は怯えて逃げる。密かに思いを寄せるこの人、怖い人だがそばにいると何となく幸せを、、、、、
今月は、寝ないで聞こうと思いながらまたしっかり途中寝てしまった。久しぶりの藤沢周平ものでしたがプール後の慌ててシャワーを浴び食事したのでと言い訳をしながら目覚めは気持ちが良い。
来月こそは。
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