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蝉も泣き出し本格的な夏で20日の土用から暑中見舞いの時期になったようです。私は暑中見舞い状は出す習慣がないですが今年も会社時代の大先輩から版画で戴きました。
この大先輩は現役時代は社長車を担当し10数台の社用車がありましたので車両長を長年務められ定年後趣味として版画を始めたようで賀状、暑中見舞いなどは版画で戴きます。数年前に版画展のお誘いがあり蒲田のアプリコへお邪魔した記憶があります。
切符収集、美術館巡り、お城めぐりなどどちらかと言うと落ち着きのない趣味の私はこういう趣味の人を尊敬します。
写真はこの数年に戴いた暑中見舞い状です。一番上が今年の見舞状です。今年の海岸は何処だろうか?段々テクニックのいる版画になって行きます。来年も楽しみだ。
鳥居清長の「四季八景立秋帰帆」国貞の団扇絵
豊国の「両国花火之図」、広重の「朝顔に鶏」広重のには漢詩風のものが書かれていますが和歌だそうです。
北斎の「百合」、広重の江戸名所「両国花火」北斎の百合は版画に見えず素晴らしく濃淡もありみずみずしさを感じます。広重のは江戸名所百景の両国の花火の方が花火が細かく描かれていてそちらの方が個人的には好きです。
この他にも歌麿の江の島岩屋の釣り遊び、鳥居清長の橋下の涼み舟など素晴らしい作品が多い。別館の平成館で台湾故宮博物院の展覧会があり本館には外国人、修学旅行生で他の展覧会に比べ人が少なくゆっくり見られます。
何より涼しい、しかし外に出れば肌を焦がすのではないかと云った日差しが痛い。今月は見ようと思った展覧会はこれで見終わりました。
オルセー美術館は19世後半から20世紀初めの作品を収蔵、セーヌ川沿いの旧駅舎を改築して1986年に開館した、俗に印象派の作品の殿堂と言われる美術館です。
マネ、モネなど印象派と言われる画家達が活躍した時代は国の展覧会での評価が重要でした。当時はアカデミスム、現実のレアリスムなどで革新を求める人たちの画風や技法は認められませんでした。
印象派の人々に影響を与えたと言われるマネですが印象派展には一度も出展していなく、サロンで認めさせるという気概でしょうかサロン出展を続けます。1861年に入選はしていますがその後は多分していない。
モネは1865年に初入選、その後落選続きで印象派展旗揚げに加わる。ルノワールは64年に初入選も印象派展出展とサロンにも出展している。ドガーは65年から70年まで連続入選を果たしているが印象派展を選ぶ。セザンヌは9回連続落選、1回、3回目の印象派展に参加した。
今回出展がないですが印象派の作品と言うとマネの「草上の昼食」「オランピア」と云った旧来の歴史画のお決まりの裸体画でも天使から娼婦のヌードで物議をかもした。そのマネの作品の同じ題名でモネが描いた「草上の昼食」は今回展示されています。
残念ながら6M4Mの大作もモネに戻った時には絵は痛み、2つに分断せざるを得なかったそうです。
今回の展覧会は入るとマネの作品が5点一つのコーナーで展示、目玉は笛を吹く少年だそうです。少年の立姿だけで他に何も描かれてなくこの作品は線描で浮世絵の影響を受けているとの事です。個人的にはバジールの自身のアトリエにマネ、モネなどが描かれた作品の方が興味深かった。
2章はレアリズムの諸相でクールベ、ミレー、コロー、カイユボットなどの作品。やはりミレーの晩鐘は何度見ても良い。シャルル・ジャックの羊の群れのいる風景は初めて見たが好きな絵です。カイユボットの鉋をかける人々は確かブリジストンで見た。個人的には絵としてそんなに話題になるほど好きではない。
カイユボットは裕福で印象派の人達のスポンサー的役割を果たす。国が認めなかった絵を彼の遺言で国が寄贈を受け今のオルセーがあると言っても良い位です。
3章は歴史画
6点展示ですがあまり好きな絵はない。ドガは馬が好きなのだが絵としては馬だけに旨くない。
4章裸体、此処ではマネの物議を醸しだした同時期にナポレオン3世から買い上げられたカバネルの「ヴィ―ナスの誕生」が展示されています。
セザンヌ、ルノワールの裸体画もありますが初期の作品のようでルノワールらしさの裸体画ではなく言われなければ解らない作品。
5章は風景画で田園、水辺と分かれています。この中ではシスレーのルーヴェンシエンヌの雪、同じ道の2作品とモネの「アルジャントゥイユの船着場」と同じレガッタが好きな絵です。
6章静物画、6点展示されていますが好きな絵はなし。
7章は肖像画、印象派の面々も描いていますがやはり写実的な物が良いと個人的に思うので印章派の作品には良いなぁと思う作品は無し。モネが描いた死に行くカミュー夫人の絵は見たくない。
8章近代生活
此処には好きな絵、良いなぁと思う絵が沢山あった。モネの2つに切ってしまった草上の昼食、モリゾのゆりかご、ドガーのバレエ舞台稽古、モネのサン=ラザール駅など。ラザール駅は写真では見ことがあるが本物は初めてで近くでじっくり見せていただいた。鉄道好きとしても良かった。
9章は円熟期のマネ、6作品ですが個人的には好きな絵は無し。この展覧会はマネに始まりマネで終わるをコンセプトのようですが個人的に勝手にマネは好きでないのでどうもピンとこない。
しかしまだ招待券があり入れ替え後でも見に行きたいと思う。暫くはオルセー美術館展はないだろう。火曜休館
大変長くなりました。
浜松町、大森、品川港南口、品川港南口は駅前は高層の建物が多く林立していますが一寸海側に歩くと昔の呑兵衛横丁が縦横無尽に存在します。
初めて案内してもらいましたが三軒茶屋の三角地帯、大森山王側の地獄谷のような感じで細い道が縦横無尽にあるディープな感覚の横丁です。
浜松町は開店前から行列のできる有名な焼き鳥屋ですが3時半前に着き付近を散策。文化放送前ではインタビューをされそうで慌てて横にそれる。それにしても開店すぐに満杯になる凄い店ですがこの人達何をしているんだろうかと疑問に思う。尤も人の事は言えないが。
大森は何でも300円の中華のお店で24時間営業でいつ行っても開店しているので安心です。8月の旅行の打ち合わせを兼ねて集合。
目的はそれぞれ違いますが久しぶりに昼酒を楽しみました。今週は胃の為に大人しく過ごそう。
夏を告げる川崎大師恒例の風物詩、風鈴市、17日から21日まで境内の特設会場で行われています。
特徴は全国47都道府県900種類3万個の風鈴が涼しげに奏でています。
当然多くの参拝者が訪れていますので縁日の屋台や猿回しなども賑やかに人を集めています。やはり川崎大師はだるまでだるま屋、くず餅屋、とんとこ飴、手焼きせんべい屋、海苔屋などが参道に並んでいます。
そして食事もうなぎ屋、あなご・はまぐりなども名物です。今日は一寸曇り空でしたが夏を感じるイヴェントを楽しみました。
その他に19日は「人間国宝一龍斎貞水の世界」納涼講談(無料)21日「古賀政男生誕110周年記念元気古賀メロディ―コンサート」アントニオ古賀他の出演(無料)なども行われます。
久しぶりに深川江戸資料館へお邪魔しました。大相撲と江東というタイトルで相撲絵が見られるかと期待していきました。
江戸勧進相撲と富岡八幡宮、江東区に眠る相撲ゆかりの人、相撲と職人、ゆかりの力士、力士の肖像、昭和の大横綱大鵬、江東区の相撲部屋と云ったコーナーに分かれています。
横綱大鵬の顕彰コーナーが出来たその特別企画のようです。残寝ながら浮世絵はコピーで手形などもありますが大鵬の手形は持っていませんが大体は持っています。
富岡八幡宮は勧進相撲の地でしたから今でも土俵入りがあったりします。横綱力士碑、大関碑、強豪関脇碑、巨人力士碑、50連勝力士碑など他にはない物が沢山あります。
職人では、呼び出しの裁着袴製作、化粧まわし、軍配、足袋などの製作者の紹介。
相撲部屋は7つあるようです。朝日山、伊勢ケ浜、大嶽、尾車、北の湖、錣山、高田川部屋だそうです。両国にも近いのでもっとあってもと思う。
深川と言えば深川めし、資料館の近くにはめし、丼、釜飯とあさりを使ったお店がありました。またお土産にしましたあさりの佃煮、やはり江戸前の作りでしょっぱく旨い。
資料館隣には霊厳寺があり寛政の改革の松平定信のお墓があります。元々霊厳寺は松平家の上屋敷の近くの霊厳島(中央区新川)にあったようですが明暦の大火で焼失し現在地になったようです。
この資料館がある江東区白河は白河藩主松平定信でしたので白河様と呼ばれていて昭和22年の江東区誕生と共にこの地を白河にしたそうです。
その関係で資料館では江戸の三大改革と松平定信展、七夕展なども同時開催中。入場料400円。
18日から20日までの3日間東京モノレール東京流通センタ駅前流通センターで開催中。普段は午前中ですが午後に出かけました。出展者はこの所同じお店ですがやはり午後からの客は午前に比べると少ない感じ。
普段見る外国人、特に欧米人は少なく、中国系の人がトランクなどをもって団体で買い物をしています。
普段顔を出すお店は今回も目ぼしいものはなく、初めての店で中古の額を一点購入。
東京モノレールは17年ぶりの新型10000が今日から運行するので暫く見ていたが残念ながら見れなかった。
帰りに京急平和島駅前で自転車を預け川崎大師に行こうと予定していましたが額が重く、そのまま自転車で帰宅。
印象派を魅了した日本の美、9月15日まで開催中です。浮世絵が比較展示されるため沢山展示されています。早く見に行きたかったのですがやっと見ることが出来ました。65歳以上1200円、月曜休館。(上のチラシがモネの奥さんカミュー夫人をモデルにした今回の目玉作品)
日本の工芸品などを1867年パリ万博に初めて幕府、佐賀藩、薩摩藩が出展、その後73年のウイーン、76年のフィラデルフィァ万博と続き開催されています。
50年代には浮世絵などは一部知られていましたが長年の写実的表現に行き詰まりを感じていたヨーロッパの絵画に独特の明暗、構図、一転透視図、空気遠近法、俯瞰図などが大きな刺激になったようです。
ゴッホ、モネなどが収集し模写などをしていますし、そこからの構図を生かしたりして新しい絵画が生まれていきます。(ゴッホは500枚以上収集していたと言われています。)また柿右衛門様式の陶磁器も各国で同じようなデザインや色を出そうと研究が進んでいきます。日本の外貨獲得の品物として伊万里港から輸出されていきます。(上のゴッホの作品はこちらでは展示されていません。)
ボストン美術館には沢山の日本の絵画、工芸品がありますが岡倉天心、フェノロサなどが明治の洋風化に伴い収集して行った過程があります。川端龍子などはボストン美術館で初めて日本の絵画を見て洋画家から日本画に転向しています。
印象派はフランスでは認知されていませんでしたがアメリカ人によってその美術価値が認知されていきます。同じように日本の浮世絵はいち早く印象派の人たちが認知してモネなどは自宅に額に入れて沢山飾っています。(上の広重の梅屋敷も展示はされていません。)
長崎にいたシーボルトも何百枚とオランダに持ち帰っていますし日本の考古学の父と言われるモースも沢山の浮世絵を持ち帰っています。同じように明治の廃仏毀釈で沢山の日本の伝統的な物が海外に行っています。特に日本政府が雇った高額な外国人が多く持ち帰ったようです。
その為に戦争で焼失を免れたと言った事もあります。そして浮世絵は高い価値のあるものとして認められています。
久しぶりに沢山の印象派の作品と浮世絵を見られ満足でした。
昭和61年に砧公園内に世田谷区が財団法人として設立。とても大きな公園の中に木々に埋もれたような2階建ての美術館。
分館として向井潤吉アトリエ館、清川泰次記念ギャラリー、宮本三郎記念美術館があります。
今回はジャポ二ズムを取り上げボストン美術館の作品が沢山来ているとの事で楽しみにはしていました。私の美術館巡りの原点はこの印象派の人たちの作品を見てそこから浮世絵、日本画と見るようになりました。
面白いものでフランスでは印象派の人達はサロンでは認められていませんでした。アメリカ人が印象派の人達の作品を認め多くがアメリカに流れました。
そして浮世絵は日本ではプロマイド的な物、お土産品程度で破れ障子に貼ったりしていましたが、万国博覧会などで浮世絵がヨーロッパに渡ると印象派の人達を中心に一大ブームになりました。
自国の良いものは中々解らないのか舶来ものに憧れるのか。浮世絵に限らず日本の工芸品、柿右衛門様式の磁器、豪華な薩摩焼、蒔絵などが日本の輸出品になって行きます。そんな事で今回の美術展は楽しみにしていました。
この期間、梅雨が明けたのかと思うような気温で暑かった。
夏のようで菩提寺のお花は2日しか持たない。明日からお花の料金も下がるだろう。
お酒もこの所外であまり飲まないのが火曜日は昼の酒、夜の酒とダブルヘッダーだった。
普段ビールは最初だけだが昼は2杯続けてビールになったし、夜もビールから始まった。夜は日本酒だったがやはり気候に関係なく私には日本酒が旨い。
65歳過ぎると介護保険料は入っている健保組合の保険徴収から個人で区に払うようになるようだ。郵便局に行き払い込むと、2回目の日本の城シリーズが発売になっていた。今回は松前、松江、高松、熊本、犬山城でパッと見解らない。構図、私のイメージの違いもあるがまだまだ修行が足りない。
家にいれば昼はざるそばばかり食べているが今回は外食が多かった。健康診断の結果は全部〇でトレーニングのお蔭でしょうが外出すると揚げ物が多くなるのがたまに瑕です。もう社会人時代のように動き回っていないのだから週に1度くらいにしないと。
ご先祖様、明日になると花も安くなり、今日一日汚い花ですが今暫くお待ちください。(合掌)
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