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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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川端龍子は大正から昭和に掛けて活躍した日本画家です。馬込にて永くお住まいになっていました。同じ文士村の川端康成とは親戚ではないようです。川端茅舎は異母弟です。

川端龍子記念館は龍子喜寿に自ら設計して私財を投じて建設したもので中に入れば解りますが中がうねっています。上から見るとタツノオトシゴの形になっています。また校倉洋式に似て高床式にもなっています。美術館の回廊的に回ることにはちょっと無視された作りでもあります。

龍子は明治18年和歌山の生まれで家業の呉服屋が傾き、一家は明治28年に東京へ移り住んだようです。絵の好きだった龍子は現在も山王にある徳富蘇峰の国民新聞に勤め新聞の編集や挿絵を描いていました。22歳で第一回文部省美術展覧会で入選,その頃から大森新井宿に住み始める。

アメリカに憧れていた龍子は大正2年に渡米する。ボストン美術館で見た「平治合戦物語絵巻」をはじめとする日本の美術に影響され日本画へ転向する。帰国後大正3年大正博覧会入選、洋画の技法を東洋画風にしたものであった。日本画の絵の具で洋画風に描く表現は周囲から批判され,画面の大きさ、大作主義から会場芸術という批判などがあり日本美術院を脱退し「清龍社」を旗揚げし会場芸術へと向かっていく。

大きな天井画は浅草浅草寺、修善寺宝物館、池上本門寺本堂(絶筆)80歳で生涯を閉じる。最近ではニューオータニ美術館で見た横山大観、川合玉堂、川端龍子三人での雪月花は良かったなぁ。(東京富士美術館所蔵展)

自分で作った記念館は清龍社が運営していたが平成2年に大田区へ寄贈され現在は大田区立記念館となっています。

この記念館は変わっているのは1日3回龍子の画室や庭などを巡るツアーを開催している事です。(11時・13時・15時)展示企画は年に何回もないようですが時間があれば普通の美術館と違い私の場合散歩の途中で何度でも寄りたい美術館です。前に見た龍子所蔵の富嶽三十六景は裏もあり良かった。もう数年後しか見られないでしょうか。

現在は川端龍子名作展「よみがえった絵画たち」というタイトルで修復の過程などを説明展示しています。仏像、観音などの吾が持仏堂の連作です。

http://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/





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