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eec56256.jpeg973906b9.jpeg国鉄バスは1921年の鉄道敷設法改正により鉄道建設予定線が増え、中には膨大な建設費が予想される路線、近隣の輸送量が少ない路線などもありその鉄道補助として代行のバス事業と云う事から国鉄のバス事業が認められました。
 
1930年に岡崎・多治見間の省営自動車が最初の運行になります。当然その前から地元の足として各地にバス事業は行われていました。国鉄バスとの話からずれますが切符の中には昔のバスが描かれたものがありますので整理上載せてみます。
 
切符は常磐交通自動車㈱の創立30周年記念で発売されたものです。昭和48年11月発行でイラスト画5枚組、写真5枚組の2種類の発行です。
 
054c22a0.jpeg979ba129.jpeg1番上のきっぷですがT型フォードツーリング(幌型)
大正末期から昭和初期にかけての乗合自動車としていわき地方に登場。箱型と幌型があったようでいわきでは幌型だったようで乗車7名定員、平・四倉間が25銭。昭和初期には女性運転手も登場しています。
 
0564b7f8.jpeg191c2257.jpeg2番目のきっぷはA型フォード1932年式、銀バス
昭和10年から15年にかけての乗合バス、ガソリン、石油で走っていました。車体が銀色なため銀バスと呼ばれていました。女子の車掌も同乗、平・四倉間40銭。当時は手を上げれば止まってくれたり停留所は所々の商店に置き客が有れば竹に赤い布を付け立てていたようです。
 
210fc69b.jpegb3feb265.jpeg3番目は木炭バス
シナ事変の長期化によりガソリンの規制が強化され燃料は木炭に切り替えられ、いわき地方では昭和14年11月から1号車が走る。昭和16年には完全にガソリンの配給はなくなり全国で木炭バスがスタート。
力が弱く急な坂では乗客も降り押すと云う風景も珍しくなくなりました。木炭車は昭和25年位までありました。
 
082f4f4c.jpeg40b9ca80.jpeg4番目はトレーラーバス
戦後の交通難時代、日野自動車が大量輸送用として開発、常磐交通も昭和23年1月に全国に先駆けて導入、運転部と客車部と分かれていた為、運転手と助手、車掌も2人乗りで運行。アンダーフロアーバス、リアーエンジンバスが開発され昭和36年には姿を消していきました。
 
03e29f72.jpeg5番目リアーエンジンバス
現在の形で路線ワンマンバス、観光バスとして活躍。
 



現在は国鉄バスはありませんが各JR会社に所属し各JRバスになっています。JRバス検索はhttp://www.tetsudo.com/ から各JRを検索してください。
また時代の流れでJRバスもかなり廃線になっています。
 

 
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