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東京駅北口からまず一石橋へこの橋の袂には迷子しらせ石標があります。この周辺は江戸時代繁華街で当時は迷子などは町内が責任をもつ事になっていたそうで安政4年に近隣名主が世話人になりこの告知石標が建立されました。左側に尋ねる方、右側に知らせる方と書かれ上に窪みがあり紙を貼るシステムだったようです。
一石橋は近くの金座支配。後藤庄三郎、南の呉服町の頭取後藤殿助の屋敷があり五斗を足して一石橋と付けたそうです。
その先のめがね橋が常盤橋、その近くには常盤橋門跡があります。枡形にした江戸城を守る門の一つです。公園には渋沢栄一の像が。
一石橋を渡った右前は日本銀行本店明治29年金座があったこの地に永代橋から移転。辰野金吾設計。ドームや柱はネオバロック様式の建物で壁面などはルネサンス様式で水洗便所、エレベーター、防火シャッターなど当時の最先端の設備を要していたそうです。この建物は上から見ると円と言う字になるようです。向かい側は貨幣博物館で無料で見られます。1億円の重さも体験できます。
日銀の裏が三井本館、江戸時代の越後屋呉服店が出店した周辺に立っています。昭和4年に竣工。コリント様式の柱列で囲まれています。戦後はGHQに接収されていた。
その前が三越本館、越後屋の呉服店を引き継ぎながら百貨店に。関東大震災後鉄筋コンクリートのルネッサンス様式に昭和10年改修。
三越は三井と越後屋の頭文字をとった。中にはロンドントラファルガー広場のライオン像、天女像があります。人知れずライオンに跨ると受験に合格するという都市伝説も。
日本初のエスカレーターを設置、エレベーター、スプリンクラー、全館冷暖房など当時の最先端の設備だった。
コレド室町1、コレド室町2、コレド室町3と高層の商業施設がド~ンと聳えています。全国の老舗が入居しています。来年の年賀のおしるしとして敦賀の奥井海生堂の吉祥昆布を購入。
コレド1,2の間が浮世通りとしてその突き当りに色々変遷があった福徳神社が10月に建てられた。コレドが出来てこの周辺は一変しました。
コレドの裏の数年前にオープンした天丼の金子半之助、未だに並んでいます。オープンした頃戴いた事がありますが千円程度で天麩羅がどんぶりから溢れるくらいの量でお腹いっぱいになります。
三浦按針(ウイリアム・アダムス)イギリス人航海士、オランダ船リーフデ号で臼杵に漂着。徳川家康に招かれ当時の国際情報、造船、航海術、天文学など指導し旗本に。この地に屋敷があった。
同じ漂着したヤン・ヨースンも招かれ屋敷が今の八重洲あたりでそこから八重洲と言う地名に。
日本橋。もう語る必要のない日本の道路起点地。この橋の袂には広重の東海道にも描かれている魚市場があった。今は桟橋が出来てリバークルジングが人気。この寒い冬でも多くのお客が楽しんでいます。
高島屋日本橋店
昭和8年に日本橋店は開店。今でも昔ながらのエレベーターガールがいて中扉が付いたエレベータが有名。入るとすぐメリーゴーランドが。地下のとらやへ年末年始の饅頭を買いに行くも販売なし。日本橋手前のとらやは売り切れで残念。
高島屋前の三菱UFJ信託銀行、洋書の丸善、創業者早矢仕有的氏が作ったとされるハヤシライスで有名。
山本海苔ではお正月、新しくなった東京駅八重洲口。
本来は水天宮方面へ行くつもりで出たが急用ができ帰宅。
身体のケアとして30日に生体へ行って股関節等のゆがみを直してもらう予定。年2回行くようにしています。
自分の躰と同じように普段乗っている自転車も毎年年末にはまだ使えるかもしれませんがタイヤは替えています。また同時にブレーキ、ボルトなどの調整もしてもらいます。そして傷害保険は当然として他人を危めたりした場合の損害賠償保険も切り替えています。
この歳で同じ年寄りにぶつけたりしたら申し訳なく寝起きが悪くなります。安い掛け金でもしもの時に安心です。
今乗っている自転車は10数年乗っていますので友人からはもう代えたらと言われますがそれが中々乗り心地が良く代える事は考えてもいません。
タイヤを代えるだけで安い自転車は買えますが以前着ていた(昨年で涙ながら処分)かみさんからみっともないと言われ続けたジャンパーのように愛着が出てきます。
年末の作業は大体終わります。
26年は白鵬の場所で5回も優勝をした。先場所は逸ノ城が関脇になり、さすが怪物と言われるだけに8勝の勝ち越しをした。いろいろ弱点がさらけてきたが大したものです。
個人的に白鵬は嫌いでも好きでもないのですがどうもこの所、この横綱の立派な言い方と実際の所作にはあまりにも開きがある。
横綱なんだから斜めのスタイルで仕切らない、ハリサシをしない、勝負ありのダメ押し(此れはお客さんが危ない)、懸賞金の取り方などひとつひとつ気になる。尊敬すると言う大鵬のような相撲を取ってほしい。
他には栃煌山が小結に戻ってきたし二枚目照ノ富士、そろそろ遠藤も今までの相撲から切り替えて来て大型力士との圧力にも屈しない相撲が見え始めてきた。
遠藤、逸ノ城人気が定着すれば相撲人気も本物になる。それにしても大関の価値が感じられない。昔は大関が最高峰だったんだから9-6大関、負け越しなんて考えられないが。
中々入らない九州でも7日の大入りだった。秋場所は14日、その前の名古屋は10日と相撲もアベノミクスなのか本物の人気なのか、正月場所で解る。
来年こそ幕下トリオから関取が出て欲しいし朝赤龍も2枚目なので幕内に戻ってほしいものです。そして明るいニュースは1年間リハビリに励んだ朝西村が戻ってきた。無理せず徐々に慣らして励んでほしい。
当時は賃金もカナダ人の10分のⅠの賃金で重労働が多く白人店への立ち入り禁止などの差別などもあり貧困の中、重労働の後野球の練習をして、いつしかバントエンドランなどにより強い人気のチームに。
ボールをストライクとしたりする審判にもフェアープレーでカナダ人にも人気チームになり、日本人の勇気と誇りにもなる。
太平洋戦争が勃発し日系人は荷物1つで強制収容所へ。家、家財など全てが没収にあう。当然このチームも無くなる。戦後60数年後にほとんどの選手が亡くなった頃カナダの野球殿堂入りになるが。
妻夫木聡、佐藤浩市、石田えり、亀梨和也、上地雄輔、宮崎あおい、ユースケ・サンタマリア、鶴見慎吾など脇役人も演技派が多い。
私にとって今年最後の映画だろうが内容的には大したものはないが中々面白かった。封切り間際と水曜日でレディースディでかなりの観客がいました。
今年の映画鑑賞は24本、昨年の30本からずいぶん減った。どうしてもスタンプカードがある映画館を優先して、観たいと思った映画を外してしまった。収集癖の性かも知れない。
此処に載せると何か自慢ぽくなるので今まで特別なカテゴリーでの中で載せてはいましたが今回少しづつ載せようと思ったのは今は私がホルダーして大事にしていますよと以前のコレクターに伝えたかったからです。多分お亡くなりになってはいるとは思いますが。
大分交通耶馬溪線は大正2年開業、大分鉄道はその他に別大線、国東線、宇佐参宮線、豊洲線もあった。耶馬溪線は山国川に沿って走る鉄道で青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を抱えていた。昭和50年に全線廃止、バス事業に転向。
中津駅から守実温泉駅まで36K の全線単線路線、19駅だった。
鉄道切符を集めていると何時の間にか廃線になってしまった路線が出てくる。持っている物では北海道、九州、北陸などが多く。国鉄が廃線を決めて三セクとして生き残った路線もあるが大半はそのまま消滅してしまった路線が多い。
北海道はビート、石炭、木材などの貨物輸送から発足し旅客は後から地元要望で混合列車になった鉄道も多い。特に北海道は国鉄廃線も多く現在三セクも走っていない。
十勝鉄道は大正12年から昭和52年まで運行していました。元々はビート(北海道製糖)を輸送するための貨物線だったが地域からの要望もあり混合列車として活躍した。北海道最大の私鉄だった。
帯広部線、清水部線があった。時代と共に輸送はトラックに変わられ廃線となった。
切符は昭和25年、26年、32年、52年と年代はバラバラだが帯広大通駅から戸蔦まで。藤駅から八千代駅まで。清水駅から鹿追駅まで揃っています。
この切符は大分前にオークションで購入したものです。最近特に思うのですがコレクターは集めている時は楽しく色々な所へ行ったりして収集したが亡くなれば遺族が興味がなければ二束三文で処理されるかゴミとして処理されてしまう。
本日の読売夕刊に20日に大混乱だった東京駅開業百周年スイカは増刷して希望者全員に販売すると発表があったようです。
約8000枚販売して残りを後日ネット販売としていたが先着順、抽選とまた揉めることから増刷枚数、販売時期は未定だが希望者全員に行き渡るようにする。
今日は冬至
一年で一番太陽の昇る高さが最も低く、日照時間も最も短い。そして新月と冬至が重なる19年に一度の「朔旦冬至」だそうで目出度い日だそうです。
毎年同じようにゆず湯に入りカボチャも食卓に出てくるだろう。
宿屋を担当している時は庭にゆずが一杯成っていたので毎年このゆずは温泉に入れているかと聞けば入れてないとの事でもったいないし折角なっているのだからと湯船に入れさせた。
翌日番頭さんからクレームが、お客さんがゆずを掴んで肌に刷り込んだりしてお風呂が大変汚れ、二度も掃除して入れ替えたとの事。お客さんからは非常に評判は良かったので番頭さんには申し訳ないが私が担当している時は毎年ゆず湯にしていた。
今はどうしているんだろうか?とゆずを買いながらふと思った。
現在はJR東日本では非接触ICカードSuica、民鉄ではPasmoが相互利用されて鉄道以外バスも買い物も出来ます。
このICカード前は鉄道各社で共通の磁気カードパスネットを発売していました。2000年10月14日から2008年1月までで発売が終了していて自動改札機を通る事が出来ない。
一部の駅では自動券売機での発券に使えていたそうでそれも来年3月末までだそうです。カード残の処理はその後数年清算が出来るよう。
写真は発売当初の各社の16社セット限定500部。
翌年京急なども独自システムからパスネットシステムに移行した19社セット限定500部。結局最後は22社で行われていたがバスは別にバス共通カードがあり使えず、将来的にはJR東日本のイオカードとの相互利用を考えられていたがJR東は現在のSuicaシステムを検討中で共通乗り入れは出来なかった。
その後、現在の非接触ICカードになりJRも民鉄、バスも買い物も出来、現在はJR北海道、JR東海、JR西日本、JR九州の一部で利用できます。ただその管内だけの利用でJR東からそのままJR西日本までは使えない。将来は1枚のカードで全国で使えるようになるんだろう。
未使用は各社の記念パスネットなど沢山ある。しかしお金に変えるつもりは全くない。私が生きている間の価値は大したことがないが孫の代位なれば少しは上がるか?コレクターは持っていることで満足感があるので利益はあまり考えていない。
浮世絵が錦絵となった立役者鈴木春信の火鉢を囲む二美人、勝川春紅の浅草浅草寺歳の市
広重の東都名所・金龍山雪景 雪の中多くの人が浅草寺に入って行きます。
広重の名所江戸百景から「愛宕下藪小路」「目黒太鼓橋夕日の岡」
武家屋敷の塀と桜川の小道を遠近法で描いた作品、目黒川にかかる石橋、目黒不動への道、左端の店は「しるこ餅」の正月屋。
勝川春栄の仮名手本忠臣蔵、赤穂事件をそのまま演技が出来ないので鎌倉時代に変えて歌舞伎なども演じています。
国芳の化物忠臣蔵も内容は大差ないのですが国芳独特の表現をいます。四つ切版の小さな錦絵ですが今回の展示は鮮やかな色が出ています。
同じ国芳の義士引き上げは忠臣蔵では良く使われる作品です。
栄昌の「めんないちどり」見立由良之介一力遊興、大体七段目の話で遊びほけて仇討などないと思わせる場面。
武家煤払いの図、喜多川歌麿の5枚続、この時期の大掃除の様子が描かれています。男は如何に役に立たないか。
此れで今年の東京国立博物館の浮世絵も終わります。
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