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私の場合の入院生活は車いすで看護師やヘルパーさんに押してもらう生活と自分で歩ける生活2段階でした。
起床は6時に音楽が流れ8時に朝食、12時昼食、夕食が6時でした。その間に朝の採血や体温・血圧計測、点滴たまにレントゲンやMRIなどの検査、私の場合は傷口の処置として毎日消毒洗浄があります。
動けない時間は大半がテレビ、ラジオを聴いて過ごしていました。私はお城、鉄道、美術館などの番組が好きで大半がBSの番組でした。この病院のテレビは残念ながらBSは映らず、お相撲位しかテレビは見ませんでした。2月に入りNHKEテレで「趣味どきっ」と言う番組が毎週火曜日の9時半からのお城番組があり大した内容でなかったが嬉しかった。
本は退院間際の10日間位しか読めず、あれだけ好きだった本は当初は全く読む気がしなかった。
病室は4人部屋でした。窓側で晴れていれば光も入り景色も楽しめました。ただ歩けない時、痛みがある時はベットから出られない。
この建物は内科、皮膚科の患者だが皮膚科は少ない。4人の年代、病気もバラバラで普段も食事中もカーテンは閉めている。退院まで会えば挨拶をするが会話は殆どなかった。
最初は「おなら」も遠慮しながらだったが途中から自然に任せた。朝起きると下半身が元気になっていた。ベットで毛布をはいてそのまま寝ていたが看護師が朝の体温などでやってきたので慌てて横になり毛布を掛けた。
昨日友人が色っぽい週刊誌を持ってきてくれたからか?巨乳の看護師さんの夢を見たのか解らないが今朝も元気だ!になつた。夕方昼寝で目が覚めると下半身が元気になったりする。
病室はカーテンだけでおなら、いびきそして元気印とプライベートが守られている。
とんでもない整形外科医
私の症状から担当医から教授へ整形外科か形成外科の何方の医師に診てもらうか聞いたところ整形外科にとりあえず見てもらいその後手術には形成外科と言う事になった。
車いすで整形外科に連れて行って貰った。若い医師はデーターで傷の症状は事前に見ていていきなり「MRIを撮ってきてください」「骨に菌が入っていれば足に膝下から切ります。」といきなり宣言された。
MRIを撮って何日か経ったがもう結果が担当医にも来ているだろうからと担当の女医さんに聞いたが「私にも連絡がない。」という。
整形外科の若造から言われて心配でその日は寝られなかった。いきなりそんな事を言われて動揺しない人はいない。何て失礼な若造かとおもっていた。
数日後整形外科に説明を聞きに行った。今回の医師は中堅の医師で結果骨には菌が入っていなかった。(骨ずい炎にならなくて良かった)
同じように男の看護師も役所的で患者の心にグサッと来る言い方をストレートにする人が多い。
患者は心も身体の病気も不安なのだからその所をもう少し解ってしゃべってほしい。
私のお世話になっていた病院は大学病院で週に一回教授回診があります。その日は回診が午後の3時頃でも朝一番から担当医が見えその時間には洗浄をしてベットで待っているようにと指示が出る。
担当医、インターンなど沢山の人を連れてテレビでみる白い巨塔を地で行った光景です。ある意味見世物のようです。担当医が説明し教授から小さい声で指示があり担当医はいちいち反応をしている。
教授が帰ると全員が出ていく。担当医も出ていくので私の傷口は自分で薬を塗って包帯をしなくてはいけない。当初は看護師さんにナースコールで連絡して薬を塗ってもらったが後半は自宅で出来るようにと自分でやるようになった。
しかし教授回診はサラリーマン時代を思い出したが私の担当医は若くなったばかりのようで朝診察前、夕方食事後に状態などを見に来てくれた。医者も朝早くから夜も遅くまで働いているようで感謝。
私の入院していた担当医は女性軍団でした。今回切開など手術をしているので当初は外科かと思ったが私のかかった大学病院は皮膚科です。
皮膚科と言えば水むしやおできをイメージしますが皮膚がんなどもあるようです。
私の足の甲の腐った部分をピンセットと鋏でジョキジョキと切って行く。痛み止めの注射をしながらだが「痛い!」というと「麻酔がまだ効いていないか。」「痛いのは生きている証拠だ。」とのたまわう。
外科的な仕事をしているので想像する子供相手の皮膚科の先生とは違い少々荒っぽい。
よーく頑張ったね。と言われたので「私はオタクだから我慢強いんだ。」と言ってやった。医者はピーンと来ないようだったが暫くして解ったようだ。(コレクションはコツコツと我慢強く集めている。)
看護師さん3
入院していると何から何まで看護師さんにお世話になる。本当に天使に見えるし夜勤が有ったり勤務的にはハードです。国家資格をもち馬鹿では出来ない仕事です。
私の足の傷のように骨やケンが見えるような病状で顔を背けずかいがいしく消毒、包帯をしていただいています。
看護師さんはマスクをしています。それが「ざわちん」ではないですが皆さん綺麗に見えてきます。
シャワーをパスすると熱いタオルを4本、紙おしぼり1本が入った物を持ってきてくれ背中を拭いてくれる。その他は自分でやる。紙おしぼりは最初知らないで顔を拭いていたが看護師さんが慌てて紙おしぼりは局部を拭くのだそうです。週に2,3回行われる。
洗髪は流しの所でビニールのエプロンをかぶりシャンプーをしていただく。人にやってもらう洗髪は気持ち良くまして若い看護師さんで狭い場所で体が密着したりして頭の気持ち良さと身体の接触が良かった。週に二、三回で洗髪は気持ちが良く楽しみだった。
こういう感覚は身体が元気になって来てからで入院当初は手を握られたり巨乳が迫って来ても下着が透けていても何も感じなかった。
何時頃から看護師と言う呼称になったのか解らないが私の5階の病棟にも男性が2名いる。男性は力仕事には良いだろうが本来の看護婦さんとは全く違う。
ナースコールを押すとすぐ来てくれるのは中堅の看護師さんで若い人ほど遅い。此れは仕事をダブってしていてすぐ来られないようだ。
今回の病院では看護師さんのユニフォームはスカートでなくパンツルックでナースキャップはしていない。パンツでも看護師さんは色々な態勢を取るので下着が透けて見える。
若い人は結構きれいな人が多く脈拍取るため手を握ってくれたり、看護師さんの大きな胸が目の前に迫ってきたりしてささやかな病院生活の楽しみである。
入院の大半は車いすでの生活。この病棟では自分で車いすを使えなくナースコールを押して来てもらう。看護師さんも忙しいのか中々来ない場合もあり私は歩いてはいけないのだが部屋のトイレなので無理して行って何とか漏らさずに済んだ。
私は普段ペットボトルのお茶、水を1日1本づつ飲んでいるが車いすの時は控えていた。一日小が8回、大が1回。それが自分で歩けるようになったら小10回、11回と多くなっていった。
看護師さんも忙しいので中々これない。車いすの大きなトイレで暫く待っていると風邪をひくくらい寒い。病院生活で車いすの生活から自力で歩けるようになりささやかに嬉しかった。
入院中は食事が楽しみであります。
私の入院したのは東邦大学医療センター大森病院です。
この病院は機内食で使用する温冷蔵タイプを使いプレートが暖かい、冷たいと分かれていています。暖かい物は暖かく提供してくれます。
また季節も大事にしていて2月3日節分では夕食はご飯、鮭の焼魚、煮物、酢の物、清汁、福豆で小さな福豆、煮物の人参には赤鬼にが描かれている。そしてランチョウンマットには節分の薀蓄が書かれている。
2月11日建国記念日の夕飯は赤飯、赤魚の焼魚、紅白のなます、冷奴、おしたし、牛乳、いちごで紅白の目出度いメニューです。
朝食は2日に一回パン、昼食は麺類が多い。サラダはその都度ドレシングが変わる。パンも暖かく食パン、ロールパン、サンドイッチなどと手を変えています。
栄養士さんが月に一度訪ねて来てメニューのチョイスが出来たり、注文を聞いてくれる。勿論聞いてくれるだけだが。この病院の給食は頑張っていると思うし美味しい。
私は抗生物質の点滴で肝機能の数値が高くなり脂質異常症1,800常の食事メニューで残念ながらとんかつやみそ汁が出なかった。それでも無理してでも早く退院するため毎食完食していた。
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