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日伊国交樹立150周年記念として世界で初公開の伊東マンショを描いた肖像画を展示しています。710日まで。(看板の後ろにある小さな絵が肖像画です。)

 

天正1013歳前後の4人の子供がキリシタン大名の名代としてイエズス会の巡察師アレサンドロによってイタリアへ。目的は日本での布教の状況の知らせと教会活動の資金を求める事、帰国後に使節達がヨーロッパの見聞を普及する事だったようです。

 

帰国後日本では切支丹追放令もあり彼らの人生は一様ではありませんでした。

 

この発見された肖像画はヴェネチア共和国を訪問した際歓待した共和国元老院が大画家ヤコポ・ティントレットに発注した事は今までも解っていました。今回の絵はヤコポ没後、工房に残された絵を息子が切り詰めて単独の肖像画として完成させたか個別に制作された肖像画のうち唯一仕上がっていたこの肖像画を切り詰めて完成させたと見られます。

 

展示は肖像画と三聖人像(重要文化財、長崎奉行所旧蔵。現東京国立博物館蔵)模写(右側)もありこれも重要文化財に指定。天正遺欧使節記(重要文化財、東京国立博物館) 聖母像(親指のマリア、重要文化財、長崎奉行所旧蔵、東京国立博物館蔵)

 

何で今頃出てきたのか解らないが元々は大きい作品で少年4人の集合体だったのだろうか。肖像画は状態も非常に良かった。



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ちょっとビックリしてます!
パパリンさんどうも!

天正遺欧少年使節は、有名だから、地元長崎でも、いろいろ語り継がれております!
なのに、この絵のことを知りませんでした!

伊東マンショは、もともと長崎の人じゃなく
宮崎の人なんです。
だけど、戦国時代だから、追われて大分へ逃れ
そこでキリスト教と出会い、長崎の島原のキリスト
関係の学校に入学し、天正遺欧少年使節の1人に
選ばれて、イタリアまで行ってます。

使節団のメンバーのその後の運命は波乱万丈です!
aibiki 2016/06/04(Sat)16:40:04 編集
Re:ちょっとビックリしてます!
>aibiki様
こんばんは
aibikiさんも以前ブログに書かれていたのも覚えていますよ。
現在の宮崎西都市出身で島津氏の侵攻により豊後に逃れたとか詳細は書かれていました。
大友宗麟の名代でイタリアへ行きましたが彼はまだ良かったですが他の人は波乱万丈ですね。
まだ仙台の支倉氏のほうが匿ってくれたり面倒を見てくれたので良かったですね。

絵は中々良いですよ。400年以上前の絵とは思えないですね。親指が出ている聖母像も良いですね。あまり宗教臭くない点も良いです。
【2016/06/04 19:42】
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